エピローグ
ニーレ王国王立魔法学校――王都ゼルンの西区に広大な敷地を持ち、毎年多くの優秀な魔法士を輩出する、二百年の歴史と伝統を誇る王国最大の学び舎である。
緑の丘の上に建ち並ぶ校舎の中に、魔法学校の権威を象徴するかのようにひときわ高い尖塔がそびえ立っている。塔は灰青色の石で築かれており、長い年月を風雨にさらされていながら、ひと筋の傷すら見当たらない。近づいてよく見ると、表面にうっすらと魔法文字が浮かんでいることがわかるだろう。
この日、尖塔の頂にある学長室では、七代目学校長であるラスティンが来客を待っていた。
といっても正式なアポイントがあったわけではない。数日前に「近々行く」という名前すら記載されていないぞんざいな手紙を携えた使い魔がやってきただけである。
仮にも王国最大の魔法機関の長を相手にそんなことをする人間を、ラスティンはひとりしか知らない。
「そろそろか……」
ラスティンは書き物をしていた手を止めると、傍に控えているゴーレムに茶を用意するよう命じた。
魔法の研究機関に所属する魔法士の多くは好んでゴーレムを使役する。それなりの地位につくと、権力に反比例して信用できる人間が減っていくからだ。ゴーレムは裏切らないという一点において、人間よりも遥かに信用に足る存在である。
ちなみに、ラスティンが使役するゴーレムは岩や木で作られた武骨なゴーレムではない。王都の人形師に特注で作らせた精巧な人形だ。見た目が妖艶な美女なのは、完全に個人の趣味である。
ゴーレムが茶を淹れて戻ってきたのと、室内が魔力の波動で満たされたのは、ほぼ同時だった。
自身の予想が的中したことを知って、ラスティンは小さな満足を覚えた。
「お待ちしておりました」
そう言い終えるや否や、目の前の空間に音もなく大きな裂け目ができた。
空間転移魔法……きわめて高度な瞬間移動の魔法である。専用の設備もなしにここまで完璧に使いこなせる者は、現存する魔法士ではおそらくひとりだけだろう。
この塔の周囲には幾重にも防護結界を張っているが、それを何事もなかったかのように突破してきたことについて、今さら驚きはなかった。
裂け目から黒い長衣に身を包んだ青年が現れる。
双極の魔法使いと呼ばれる大魔法士ケーネイア、その人で間違いなかった。
ただ、彼はひとりではなかった。もうひとり、小さな子供を伴っていた。燃えるような赤毛が印象的で、年のころ七、八歳といったところか。ローブの裾に隠れるように半身を覗かせている。
嫌な予感がラスティンの胸中に広がった。
以前にも似たようなことがあったのだ。
「ご無沙汰しております、我が師よ」
とりあえず少年は見なかったことにして、ラスティンは慇懃に挨拶の言葉を述べた。
「それほど間が空いていたか? つい最近も会ったばかりであろう」
「七年ぶりです、マスター。そのご様子ですと、お変わりないようですな」
「そう言うお前はずいぶんと老いぼれたな、ラスティンよ」
「エルフの血を引くあなたと違って、我々人間にとって七年はとても長い時間なのですよ」
師の容姿は七年前とまったく変わっていなかった。年齢は確か三百歳を超えているはずだが、どう見ても二十代の若者にしか見えない。齢六十を超えるラスティンからすれば孫といっても通じるだろう。
このエルフ特有の美貌を持つ青年――ケーネイアは、百年前の魔神討伐に貢献した伝説の魔法士である。
その魔法の力は一国の軍隊にも匹敵すると言われ、多くの諸侯が彼に対して畏敬の念と、それと同等の警戒心を抱いている。
人間ならば長くても百年程度でいなくなるが、エルフの血を引く彼の寿命は千年にも及ぶ。つまり、生きた大量破壊兵器がこの先何百年と生き続けるのだ。もし野心に目覚めようものなら第二の魔神にもなりかねない。敵になれば厄介だし、味方にいても持て余す。為政者たちにとって彼の存在は目の上のたんこぶ以外の何物でもないだろう。
だが、そんな己の立場を、ケーネイアは誰よりも冷静に理解していた。
人はその恩恵に与るときは力ある者を歓迎するが、不要となれば平気で手のひらを反す身勝手な生き物である。たとえケーネイアに領土的野心や支配欲がなくとも、周囲はそう考えてはくれない。
ゆえに、彼は特定の土地に定住せず、大陸各地を転々としている。
もっとも、ただ放浪するだけではない。行く先々で為政者のもとへ赴き、積極的に友誼を結ぶのだ。求められたら助言を与え、時には必要な知識や魔道具を提供し、必要があればモンスター討伐にも協力する。
むろん恩を売るのが目的だが、それ以上に力を誇示する意味もあった。
「そっちが敵意を示さない限り、こっちも友好的に振舞う」
言外にそう伝えることで、為政者たちを牽制しているのである。
為政者たちからすれば藪をつついて蛇を出すような真似をする必要はない。領内での行動の自由を認め、ちょっとした揉め事に目を瞑ってさえいればよいのだ。
ケーネイアはそうやって世界中の権力者たちと相互不可侵の関係を築くことで、自身の安全と行動の自由を確保してきた。
その成果とでも言うべきか、彼は王国特別高等顧問、魔法評議会特別非常勤参事、魔導学術院相談役、領立魔法研究院外部上級監察官、名誉宮廷魔法士など、立派だが中身のない肩書を五十近くも所持しているという。ちなみに、この王立魔法学校でも『学長補佐兼特別非常任理事』という役職を得ていた。
「こちらへどうぞ」
ラスティンは来客用のソファーにふたりを誘導すると、対面に腰を下ろした。
ゴーレムが音もなく近づき、客人の前に茶を並べていく。その様子を赤毛の少年は興味深げにじっと見つめている。
ゴーレムが去るのを待ってから、ラスティンは口を開いた。
「……それで、本日はどういったご用件で?」
「お前に頼みがある」
そらきた、とラスティンは思った。
ケーネイアは弟子との旧交を温めるためにわざわざ会いに来るような男ではない。来るのは決まって面倒ごとを持ち込む時だけである。今までそれで何度迷惑を被ってきたことか。
むろん、そんな思いをおくびにも出さず、ラスティンは笑顔で応じる。
「私にできることであればよいのですが……」
「なに、たいしたことではない。これの面倒をお前に見てほしいのだ」
ケーネイアは隣に座る赤毛の少年を顎で指し示した。
(やはりか……)
嫌な予感は的中した。
師が子供の面倒を見ろと言ってきたのは、これが初めてではない。
七年前にも、ラスティンは半ば強制的に子供をひとり預けられている。
ここ五十年あまり、ケーネイアは旅先で見つけた身寄りのない子供を引き取っては、好き勝手に魔法を教えるという行為を繰り返していた。おそらく彼の弟子を名乗る魔法士は世界各地に存在していることだろう。かく言うラスティンもその一人である。
問題は師にとって弟子の育成は社会貢献などではなく、己の知的好奇心を満たすための手段でしかないことにあった。
弟子の扱いは非常に雑で、才能や伸びしろがないと判断すれば、まるで物のようにあっさりと捨ててしまう。仮に才能があったとしても、ある程度のレベルに達した途端に興味を失い放逐する。要するに飽き性なのだ。
後の面倒を見させられる身からすれば傍迷惑極まりない話である。
「師の頼みとあらば預かることはやぶさかではありませんが……。その前に、この少年はどういった素性の子で? まさかまたどこかで――」
「安心しろ。拾ったのではない」
「では、どういう?」
「これは私の子だ」
「……今、なんと?」
あまりに予想だにしていなかった回答に、ラスティンは思わず聞き返してしまった。
「人間の女に産ませた。正真正銘、私の血を引いている」
「それは、また……」
ラスティンは再び言葉に詰まった。
おめでとうございます、とでも言うべきなのか。
いや、師の気性を熟知しているが故に、真っ当な家庭を築いているとは露ほども思わない。つまりなにか目的があって子を産ませたのだ。それもきっとろくでもない理由で。
ラスティンはあらためて赤毛の少年を見る。
利発で素直そうな子だ。ハーフエルフと人間の間に生まれた子は、どちらかの種族の特性を色濃く受け継ぐと言われている。耳の長さと髪色から察するに、どうやら容姿に関しては人間の因子を受け継いでいるようだった。
「……それで、なぜご子息を私に預けようと?」
ラスティンは喉の渇きを自覚しつつ尋ねた。
「実は最近になって気付いたのだが、どうやら私は人を育てることにあまり向いていないらしい」
なにを今さら――という言葉をラスティンは辛うじて飲み込んだ。
「ラスティンよ。お前は魔法の才能はたいしたことないが、人を教え導くことに関しては見るべき点がある。こんな学校を営んでいるくらいだからな。それにお前には以前、あれを預けたことがあっただろう?」
「あれというのは……ひょっとしてイスタリスのことですか?」
「そう、それだ」
「あの時は参りましたよ……。突然でしたし、まさか身体に魔神の細胞を移植されているとは思いもしませんでしたからね」
「てっきり三年持たぬであろうと思ったから手放したのだが……存外長持ちしているのは、お前が上手く調整したからであろう?」
ラスティンははっとして赤毛の少年を見た。
「まさか、この子にも?」
「心配するな。これの身体にはまだ何もしていない」
師の発言に、ラスティンはほっと息を吐き出した。
「……イスタリスに関しては、私が特別に何かをしたわけではありません。あの子は良くも悪くも真っ直ぐな性格の持ち主ですから、私を頼ろうとしたことは一度もありませんよ」
あなたと違ってね、と心の中で付け加える。
「だとすればなおさらだ。自力でなんとかできてしまうだけの環境がここにはあるということだからな。預けるに相応しいではないか」
ケーネイアは満足そうに頷き、隣に座る我が子を感情のこもらない目で見た。
「これは私が産ませたなかでも、飛びぬけた素質を持っている。精霊を視る力はないが、術式魔法に関してはかなりのものだ。うまく導けば、いずれ私をも凌ぐ魔法士に育つやもしれん」
「それならば、なおのことご自身で育てられては?」
「私は忙しいのだ」
「それは私も同じです」
「方法は任せる。お前の手で立派な魔法士に育ててくれ」
そう言うと、ケーネイアはソファーから立ち上がった。
「師よ、さすがに私では荷が勝ちすぎます」
「とりあえず五年後に一度様子を見にくる。それまでは任せたぞ」
「話を聞け!」
ラスティンは思わず声を荒らげたが、ケーネイアはそれを無視して、少年を残したまま裂け目の向こう側に姿を消してしまった。
「……はぁ」
またこのパターンか、とラスティンは嘆息する。
師がなんのために子を産ませたのか。母親は何者で今現在どこにいるのか。そういった基本的な情報すら聞けていない。もっとも、聞いたところで素直に教えてくれるとは思えなかったが。
ラスティンはソファーにぽつんと取り残された哀れな少年を見る。
自分が父親に捨てられたことを理解しているのか、いないのか。ただ興味深げに室内を見回している。その澄み渡った空のような青い瞳に、感情の揺らぎは見て取れない。
イスタリスとはまた違ったタイプである。
彼はまったく言うことを聞かなかったし、おまけに魔法学校創立以来、主席卒業者が王宮魔法士にならなかった初の実例まで作ってくれた。おかげでラスティンは未だに王宮から嫌味を言われ続けている。
(どうせ預からねばならぬのなら、せめて同じ失敗だけは繰り返すまい)
ラスティンは膝をついて少年と目線を合わせた。
「君、名前は?」
そう問いかけると、赤毛の少年はぴんと背筋を伸ばし、大きな声で答えた。
「ライザール、七歳です!」
……これが後に英雄となる少年との出会いであった。
最後までお読みいただきありがとうございました。




