勘当
イスタリスがパーティを解雇されたのとほぼ同時刻……。
ニーレ王国王都ゼルンの貴族特区。その広大な敷地にある屋敷のひとつでは、ひとりの若い女が人生の岐路に立たされていた。
彼女の名はダイアナ=ギスラー。年齢はあとひと月で十九歳になる。代々優秀な魔法士を輩出してきた名門貴族ギスラー家の娘で、王都の魔法学校を二番目の成績で卒業し、現在は王宮魔法士として活躍している才女である。
彼女は今、父に呼び出され、書斎にいた。
ただ、呼びつけた本人は机に広げた書類に目を落としたまま、かれこれ五分近くも沈黙を貫いている。
娘が発言するのを待っているわけではない。相手を無意味に待たせることで、この場を支配しているのが誰であるかを知らしめるためだ。たとえ家族であっても決してそのスタンスを崩さない父が、ダイアナは昔から苦手だった。
(そういえば、お父様とちゃんと話をするのっていつぶりだろう)
ダイアナはそんなことをぼんやりと思う。
久々に見た父の顔には、以前よりも皺が増えているような気がした。
父はニーレ王国に六人しかいない『一等王宮魔法士』の地位にあり、国政に関わる重要な仕事を担っている。
そんな多忙を極める父であるがゆえに、幼いころから構ってもらったことはほとんどなかった。たまに会っても学校の成績を聞かれる程度で、ここ一年はまともに言葉を交わしてすらいない。
さすがに寂しさを感じる年齢ではなくなっていたが、これから行われる父娘の会話が心温まるものにならないであろうことを知っているダイアナとしては、心穏やかではいられなかった。
「……王宮魔法士の職を辞したそうだな」
ようやく開かれた父の口から発せられた声は、予想していたよりも冷たかった。
「はい、お父様」
「なぜそんな勝手な真似をした」
「他にやりたいことができたからです」
「やりたいこと? なんだそれは」
「冒険者です」
そう口にした途端、ダイアナは父の周りの空気が凍り付く音が聞こえたような気がした。
「……なんだと? もう一度言ってみよ」
「私は王宮魔法士を辞めて冒険者になるつもりでいます、お父様」
父の手のひらが、ばん、と机に叩きつけられた。
「なにをたわけたことを! 冒険者だと? あんなものは下賤の者がなるものだ。お前は栄光あるギスラー家の名に泥を塗るつもりか?」
「そんなつもりはありません」
「ではどういうつもりだ!?」
「王国内は今、レニゴール地方を中心に多くのモンスターが人々の暮らしを脅かしています。私は魔法学校で身につけた魔法の力を、民を守るために役立てたいのです」
「私はそんなことをさせるためにお前を魔法学校へ行かせたわけではない。ギスラー家の人間には貴族として果たさねばならない義務がある。それを知らぬとは言わさぬぞ」
「もちろん承知しております。それでも私は冒険者になりたいのです」
「ならん! 我々貴族には民草を支配し、導く責務がある。それを忘れて好き勝手するなど許されるものではない」
秩序ある社会を形成するには、力のある者が力なき者を守り導く必要がある。貴族が民を支配するのは、その責任を果たしているからに他ならない。それが父の考えである。
ダイアナもその教えを是としているからこそ、魔法学校を卒業した後は、なんの迷いもなく王宮魔法士の道を選んだ。学生時代から得意だった回復魔法の力で多くの人々の命を守りたい……そんな夢を抱いて。
ところが、彼女が配属されたのは王都に数多ある魔導施設の管理部署だった。
魔法とは、本来戦うための力ではない。
人々の安全で文化的な暮らしを支え、社会を豊かにするためのものだ。そして、それらに必要な魔法技術を学ぶ場所が魔法学校であり、管理運用するのが王宮魔法士の役割である。
魔力を動力にした様々な道具で街に明かりを灯し、水を清潔にする。冬は火の力を使って室内を暖め、夏は水の力で涼気を呼び込む。どれもが人々の暮らしに欠かせない重要な仕事であることに間違いはない。
それでも、ダイアナの希望とはあまりにもかけ離れていた。
そこで彼女は騎士団付きの魔法士隊への転属を願い出た。最前線で戦う騎士たちの傷を癒し、彼らの力になりたいと思ったのだ。
だが、その申請はあっさりと却下された。
ダイアナの回復魔法への適性の高さは魔法学校でも群を抜いていた。
本来、魔法学校を優秀な成績で卒業した者ならば、適性を考慮して希望した部署に配属されるはずなのに、どういうわけか申請が通らない。上司に理由を問いただしても、はぐらかされるばかりで明確な答えは返ってこなかった。
そしてつい先日、三度目の申請が却下されたことで、ついにダイアナは王宮魔法士を辞め、直接人々を守ることができる冒険者の道を目指す決意をしたのである。
そんな娘の事情になど関心がないとばかりに、父はあっさりと話題を転じた。
「……まぁよい。どのみち、お前には近々王宮魔法士を辞めてもらうつもりであった。ある意味では好都合と言えなくもない」
「えっ? それってどういう――」
「お前に縁談がきている。相手はバウマン家の嫡男だ。先方がお前をえらく気に入ったようでな、是非にとの申し出があったのだ」
「縁、談……?」
思いがけない話にダイアナは呆然と呟いた。
それと同時に、あることに気付く。
「――待ってください! ひょっとして、私が申請した騎士団への転属願いが却下されたのって……」
「むろん私が差し戻した。嫁入り前の娘を傷物にされては敵わぬからな」
「そんな……」
「バウマン家は過去に筆頭王宮魔法士を輩出したこともある名門。お前の縁談相手も若くして三等王宮魔法士になった逸材だ。家柄も魔法士としての格も申し分ない」
魔法士の家系は、より優秀な子孫を残すため、とりわけ血の交わりを重視する。ゆえに魔法士は同じ魔法士と結婚することが多い。代々魔法士を輩出している名門ならばなおさらである。
とはいえ、ダイアナは王宮魔法士になってまだ一年も経っていないのだ。そんな早くに縁談話が持ち上がるとは、さすがに思ってもいなかった。
しかも、よりにもよってバウマン家の嫡男とは!
ダイアナよりも十歳年上の優男で、王宮内で何度か顔を合わせたことがある。その印象は最悪の一言に尽きた。傲慢で、平然と他人を見下すような態度をとり、能力や人望ではなく権力で人を従えようとする性格の持ち主だった。個人的に親しくしたいとは微塵も思えないし、ましてや結婚など以ての外である。
が、今は相手の人間性云々の話ではなかった。
結婚するということは、すなわち魔法士としての未来が閉ざされることを意味していた。先方が求めているのはダイアナという魔法士ではなく、優秀な子を産むための母体である。このままでは魔法の才能を活かすどころか、夢そのものが奪われてしまう。
「……その話、お断りください」
ダイアナは絞り出すように言った。
だが、それに対する父の反応は冷淡を極めた。
「そのようなわがままが通るはずなかろう。この縁談はギスラー家にとっても非常に有意義なものだ。来年、筆頭王宮魔法士を選出する選挙があることはお前も知っていよう。ここでバウマン家と誼を結んでおけば、一気に優位に立てるのだ。お前もギスラー家の人間ならば、家のために役に立て」
「……」
ダイアナは目の前が真っ暗になった。
筆頭王宮魔法士とは国王に直接意見できる数少ない重職であり、王国最高の魔法士であることの証でもある。その座に就くことが、父の――いや一族の悲願であることはダイアナもよく知っていた。
つまりは、そういうことだ。結局、父にとって大切なのは娘の意思などではなく、自身の出世と家の名誉なのだ。
「……私は結婚はしません。どうか冒険者になることをお許しください」
ダイアナは深々と頭を下げた。これがわがままであると承知している以上、どのように叱責されようが、自分の意見を押し通す以外に方法がなかった。
「まだそんな世迷言を言っているのか。お前ごときの魔法で何ができる。お前のようなひよっこが冒険者になったところで、どうせすぐに挫折して屋敷に逃げ帰ってくるに決まっている」
「そんなことはありません。たしかにすぐには通用しないかもしれませんが、これまで以上に研鑽を積んで、いつかお父様のような一流の魔法士になってみせます」
「そういう台詞は真に才能のある者が口にして初めて意味を成すのだ。お前の兄や姉たちは皆、魔法学校を首席で卒業した。それに比べてお前はどうだ? どこの馬の骨ともわからぬ男に首席の座を奪われたではないか」
父の言葉は鋭い刃となってダイアナの胸に深々と突き刺さった。
ダイアナを差し置いて魔法学校を首席卒業した男……。攻撃魔法と回復魔法と専攻こそ違ったが、その男は魔法を扱うために必要な技能のすべてにおいて、ダイアナの遥か上をいっていた。
ギスラー家は、ニーレ王国建国以来、何世代にもわたって多くの優秀な魔術師を輩出してきた名門である。脈々と受け継がれてきた秘術や知識。それらを継承し、一族に名を連ねる者が、魔法で平民に後れをとることなどあってはならない。
だが、誰よりも努力を積み重ねたにもかかわらず、ダイアナは一度としてその男に勝つことができず、後塵を拝し続けた。
「お前はギスラー家の面汚しだ。才がないのなら、せめて他のことで一族の役に立つしかあるまい」
「自分の進む道は自分で決めます。私はお父様になんと言われようと冒険者になります!」
「まだ言うか! お前は私の言うことに黙って従っておればよいのだ!」
「私はお父様の出世のための道具ではありません!」
それは今まで我慢してきた言葉だった。それをついに言ってしまった。
室内に一触即発の空気が充満していく。
「……お父様、私は私なりのやり方で、ギスラー家のため、民のために尽くすつもりです。決してギスラー家の名を穢すようなことはしないと誓います。そして必ずや魔法士として家名に恥じぬ活躍を――」
「もうよい」
無慈悲な声がダイアナの言葉を遮った。
「その必要はない。お前には愛想が尽きた。お前のような半端者はもう不要だ。冒険者でもなんでも好きにするといい。ただし、二度とこの屋敷に戻ってくることも、ギスラーの家名を名乗ることも許さん」
「お父様……」
「明日の昼まで猶予をやる。それまでに荷物をまとめて出て行け。そして二度と私の前に顔を見せるな」
父はそう宣言すると、書類に目を落とし、そして再び顔をあげることはなかった。
ダイアナはそんな父の姿を呆然と見つめる。
結局、父は一度も名を呼んではくれなかった。
それほどまでに心の距離が離れていたというのか。
思えば母が亡くなった時も、父は眉ひとつ動かさなかった。
家族への情など微塵もない。父にとって重要なのは、ギスラー家の役に立つか否か、ただそれだけ。
わかっていたことなのに、そのことが無性に悲しかった。
この日、ダイアナ=ギスラーは、ただのダイアナになったのである。




