苛立ち
アントムの店は、イスタリスが想像していたよりも寂れていた。
街の中心部から少し外れた裏路地という立地条件のせいもあるのだろう。古めかしいというより薄汚いだけの外観は、お世辞にも繁盛しているようには見えない。
店の佇まいと不釣り合いな大きな看板には『安らぎの木陰亭』と書かれてあるが、どう好意的に見ても安らぎとは無縁そうだった。
「まぁ、奇跡の大樹亭に客を奪われた日陰者、という意味ではあながち間違ってはいないのか……」
イスタリスがそんな感想を漏らすと、隣のカイルが苦笑した。
「ここの店主と奇跡の大樹亭の店主はどっちも元冒険者で、現役時代はなにかと反目し合っていたらしい。だから今でも互いに目の敵にしてるんだと」
「くだらねぇ」
そんなやりとりをしつつ、店に入る。
店内は日当たりが悪く、薄暗かった。昼飯時にもかかわらず客はひとりもいない。
カウンターの向こう側にいる初老の店主が、カイルの顔を見るなり舌打ちした。
「なんだ、お前かよ」
そう口にする店主の顔を見て、イスタリスはこの店が不人気の理由を察した。
とんでもない強面だったのだ。深く刻まれた皺とは別に、額から右目にかけて鉤爪のようなもので抉られた跡がある。それを差し引いたとしても、致命的なまでに接客業には向いていない悪人面である。看板に偽りありとはまさにこのことだった。
「相変わらず暇してるみたいだな、親父さん」
「喜べ、カイル。今日はお前が初めての客だ」
「よくそれで潰れないな」
言いながらカイルはカウンター席に座る。
ひとつ飛ばした椅子にイスタリスも腰かけた。
「……見ない顔だな」
店主がイスタリスの方を見ながら言った。
「パーティのメンバーなんだ」
カイルが嬉しそうに答えた。
「魔法士か……。名前は?」
問われたイスタリスは、店主の顔を見ずに「イスタリス」とだけ名乗った。
「ほう、お前が噂の『味方撃ちのイスタリス』か。なるほど、たしかに性根が腐ってそうな面してやがる」
アントムは口の端を上げて笑うと、手際よく杯に酒を注ぎ、ふたりの前に置いた。
「それで今日は何の用だ。ただお友達を紹介しにきたってわけじゃないんだろう?」
「さすが、察しがいいね」
カイルはさっそく懐から領主の手紙を取り出した。
それを受け取ったアントムは封蝋に刻印された紋章を見てため息を吐いた。
「ったく、またあの小娘か……毎度毎度面倒事を持ってきやがる」
愚痴をこぼしつつ内容に目を通すアントム。その眉間にみるみる皺が寄っていく。そして読み終わってから、もう一度盛大にため息を吐き出した。
「……で、俺はお前らに何を協力すればいいんだ?」
「とりあえずダンジョンについて知ってることを全部話してほしい。設置されている罠や魔法生物の数と種類。あと地図があると助かる」
「地図はねぇ。その他の資料も含めて全部領主に渡しちまった。もともとそういう条件だったからな」
「まぁそうだろうね」
「安心しろ。情報はしっかりとここに残ってる」
アントムは自身の頭を指先でとんとんとつつきながら言った。
「十年も前のことなのに、ちゃんと覚えてるのかい?」
「俺をそこいらの年寄りと一緒にすんな。こう見えても現役時代はレニゴール一の切れ者『百術千慮のアントム』とまで呼ばれてたんだぞ」
「話半分ってところか……」
「お前、喧嘩売ってんのか?」
「冗談だって」
そう口にするカイルの表情には、滅多に見せない隙のようなものがあった。それだけアントムという男を信頼しているのだろう。
「そのダンジョンは俺の現役最後の仕事だったからな、はっきりと覚えてるぜ。と言っても、俺が自信をもって教えられるのは一、二層までだ。それより下の階層はほとんど手付かずだから、たいした情報は持ってねぇ」
アントムはそう前置きしてから話し始めた。取り出した羊皮紙に地図と情報を書き込みながら、時おり解説を挟む。
イスタリスはそれらの話に適当に耳を傾けつつ、出された酒に口をつけた。
悪くない味だった。この酒が飲めるならもっと繁盛しててもよさそうなものである。やはり店の立地と店主の顔面に問題があるのだろう。
すぐに杯が空になったので、イスタリスはカウンターに置かれた酒瓶を手に取り、勝手にお代わりを注ぎ込む。アントムはそれに気付くが、特に咎めてはこなかった。
「……ところで、こいつは老婆心で言うんだがな、今回の依頼、相当気合を入れないとお前ら死ぬぞ」
一通りの情報提供が終わったところで、急にアントムが声を落とした。
「そんなに危険なダンジョンなのか? 話を聞いた感じ、そこまでの危険があるようには思えなかったけど……」
カイルが首を傾げる。
「俺が言ってるのはダンジョンのことじゃねぇ。そのダンジョンに侵入した奴の方だ。ダンジョンの入口が封印されてるって話は領主から聞いてんだろう?」
「ああ」
「その封印処置を誰がしたのかは?」
「いや、そこまでは聞いてない」
「なら聞いて驚け。封印したのは、かの大魔法士ケーネイアだ」
「ケーネイアだと!?」
イスタリスは思わず椅子から立ち上がっていた。
「急にどうした?」
戸惑ったようなカイルの視線が向けられる。
「……いや、なんでもねぇ。話を続けてくれ」
イスタリスは適当に言葉を濁しながら椅子に座り直した。
アントムはそんなイスタリスをちらりと見ただけで、特に気にした素振りも見せずに話を続ける。
「ケーネイアといえば百年前の魔神討伐に一役買ったと言われる伝説の魔法士だ。そんな奴が施した封印を破ってダンジョンの中に侵入した奴がいる……それがどれだけヤバいことかお前もわかるだろう?」
「親父さんは侵入者の正体になにか心当たりはないのか?」
「あるわけねぇだろ。強いて挙げるならケーネイア本人だが……さすがにそれはありえねぇ。奴はこの街の特別顧問だからな。他の魔法士って線も考えにくい。いくら魔法解除が得意な魔法士でも、ケーネイアの封印魔法を解くなんてまず不可能だ。できるとしたら魔法学校の学長か筆頭王宮魔法士くらいだろうが、そんなことをする意味がない」
「じゃあ、侵入したのはやっぱり――」
「十中八九モンスターだろうな。それもかなりの力を持った奴だ」
百年前の魔神出現以降、このレニゴール領を中心に大陸各地では多くのモンスターが存在している。地域ごとの環境に適応するように亜種を増やし、ごく稀に誕生する変異種などを含めると、その種類はゆうに五百種を超えると言われている。
とかく大型種ばかりが危険視されがちなモンスターだが、小型種のなかにも危険な能力を持った種も当然いる。なかでも魔法を無効化する能力を持つものは大型種に匹敵する脅威度を誇る。
魔力を中和する特殊な体液を口から吐き出す昆虫型モンスター。
同様の成分を持つ分泌液で全身を覆うゲル状モンスター。
手で触れただけですべての魔法の効果を打ち消してしまう人型モンスター。
そのいずれもが冒険者にとって脅威となる存在である。
「結界を破壊するモンスターか……」
「正体がなんであれ、ヤバい奴なのは間違いねぇ。せいぜい気を付けるんだな」
アントムの忠告に、カイルは口元に笑みを浮かべた。
「大丈夫。この五年で十分に経験は積んだ。どんなモンスターが相手だろうと俺とリアムは負けないよ」
「自信を持つのは結構だがな、慢心は禁物だぞ。若い冒険者が死ぬ一番の原因は間違いなくそれだからな」
「わかってるさ。まったく、親父さんは心配性だな」
「年長者の忠告には素直に耳を傾けておくもんだ――っとそうだ。それで思い出したが、お前さん、魔法のカンテラは持ってんのか? ダンジョンに潜るなら、あれがあるのとないのとじゃ大違いだぞ」
魔法のカンテラとは魔力を補充すれば半永久的に使える照明器具である。普通のカンテラと違って水や風で明かりが消える心配がないので、探索の際に重宝されている。ただ、値段が高いのが唯一にして最大の欠点だった。
「そんな高級品を買う金が俺たちにあるわけないだろ。普通ので十分だよ」
予想通りの返答だったのか、アントムはこれ見よがしに肩をすくめてみせた。
「やれやれ……奥の倉庫に昔使ってたのが転がってるはずだから、探して持っていけ」
「お、さすが親父さん。ありがたくもらっておくよ」
「馬鹿野郎、貸すだけだ。あとでちゃんと返せ。それと報酬が入ったら……わかってるな?」
「もちろん。高い酒を用意して待っててくれ」
カイルは人懐こい笑顔を浮かべながら店の奥へと向かった。
その姿が扉の向こうに消えると、それを待っていたかのようにアントムの視線がイスタリスの方を向いた。
「――ところで、味方撃ちのイスタリスさんよ」
「なんだよ」
「お前さん、ケーネイアの弟子だろう?」
不意を突かれたイスタリスは、表情を完全には殺しきれなかった。
「……どうしてそう思った?」
「これまであの野郎の弟子を名乗る奴と何人か会ったことがあるが、ケーネイアの名を出すと大抵さっきのお前さんと似た反応をするんだよ」
「まるでケーネイアと知り合いみたいな口ぶりだな」
「知り合いもなにも、現役時代にあいつとは何度か仕事を一緒にしたことがあるからな。ついでに言うとな、俺はお前さんとも会ったことがあるぞ」
「俺はあんたのことなんざ知らねぇな」
「まぁ十年以上も昔の話だからな。お前さん、あの頃は死んだ魚みたいな目をしていたから最初は気付けなかったぜ。随分と生意気に育ちやがったもんだな」
「……」
「で、ケーネイアの野郎は今どこで何をしてるんだ? 相変わらずあちこちでガキを拾っては弟子として育てているのか?」
「知らねぇな。俺はもうあいつとは無関係だ。封印云々の話も初めて聞いたくらいだ」
「まぁケーネイアがこの街の特別顧問だってことはあまり世間には知られてねぇからな。今も稀に現れては様々な助言を領主に与えてるみたいだぜ。もっとも、あまり長居はしないみたいだが」
「興味ねぇよ」
イスタリスは冷めた口調で言った。
その反応から師弟関係がどのようなものだったのかを察したのか、アントムもそれ以上深掘りしようとはしてこなかった。
「――ところで話は変わるが、お前さん、カイルの奴と組んでどれくらいだ?」
「あん? 一か月くらいだが……」
唐突に話題が変わったことで、イスタリスは不覚にも素直に答えてしまった。
「だったらもうわかってると思うが、あいつら無茶ばかりするだろう。お前さんも相当苦労させられてるんじゃないのか?」
「別にそんなことはねぇ」
イスタリスはそう答えたものの、心当たりは大いにあった。
カイルとリアム。この一か月共に戦ってみて、彼らのことはそれなりに理解できた。
それで出た結論は、あのふたりは良馬の皮を被った猪だということだ。
特にリアムの戦いぶりは常軌を逸していた。彼はどんな強敵と対峙しようが一歩も引かず、すべての攻撃を正面から受け止める。しかもイスタリスが爆裂魔法を撃ちこもうがまるで意に介さない。まるでそういう呪いをかけられているかのごとく愚直に前線に立ち続けるのだ。
カイルもイスタリスが味方を巻き込んで爆裂魔法を撃つことを咎めようとはせず、それどころかパーティの基本戦術にしてしまった。いくら回復役がいることが前提だとしても普通ではない。
なにより当のリアムがそれを平然と受け入れているのだから、イカレているとしか言いようがなかった。
「あいつらはたしかに優秀だ。カイルはまごうことなき天才だし、リアムの頑強さも尋常じゃねぇ。あいつらはいずれ間違いなく国中に名を轟かせる冒険者になるだろうよ」
アントムが淡々とした口調で言う。
「だがな、それも生きていればの話だ。どんなに才能のある奴でも、死ぬときはあっさり死ぬもんだ。それも大抵はくだらねぇ理由でな」
アントムの言葉にやたらと実感がこもっているのは、長年の冒険者生活で多くの仲間の死を看取ってきたからだろう。
「本人が納得して死ぬなら別に構わねぇだろ」
「俺も別に咎めるつもりはねぇ。ただ、強すぎる炎は燃え尽きるのも早い。あいつらを見ていると、どうにも生き急いでいるようにしか見えねぇんだ。その点、お前さんは無頼を装っちゃいるが、案外歯止めが利くタイプと見た。上手い具合にあいつらの手綱を握ってくれるんじゃないかと思ってな」
「勝手なことを抜かすな。てめぇに俺の何がわかる」
「おっとすまねぇな。年寄りのたわごとだと思って聞き流してくれや」
アントムはそう言うと、空になっていたイスタリスの杯に酒を注ぎこんだ。
イスタリスは舌打ちしてから、それに口をつける。
見透かしたような店主の態度が気に喰わなかった。
他人がどうなろうと知ったことではない。
自分自身の心と体が自由であれば、それでいい。
これまでもそうだったし、これからもそれは変わらない。
パーティの連中とはあくまでも都合が良いから組んでいるだけで、利用価値がなくなればそれきりの関係だ。仲良しごっこをするつもりもなかった。
(どいつもこいつも知ったふうな口を利きやがって)
イスタリスは口の中でそう呟いてから、一気に酒を飲み干した。
いつもならそれで嫌な気分は消えるはずだが、どういうわけか苛立ちが収まる気配は一向に訪れなかった。




