番外編 トレジャーハンターと治癒巫女1
砂を踏みしめるたびに、じわりと血が滲む。
「くっそ……俺とした事がしくじっちまった」
荒れた息の隙間から、吐き捨てるような声が漏れる。
「あんなザコに不意打ち食らうとは……ヤキがまわったか……」
男は、森の中を彷徨っていた。
黒髪、黒い瞳。
右の眉から頬にかけて、一本の古い刀傷。
目立つ特徴といえばそれくらいで、あとはどこにでもいそうな“普通の男”。
だが——その体は普通ではなかった。
衣服は裂け、あちこちが血で固まり、
新しい傷と古い傷が混ざり合い、まるで戦場そのものを引きずっているようだった。
つい数時間前。
男は魔物の集落を襲撃した。
単独で。
そして最後の最後、仕留めたと思ったその瞬間——
死角からの一撃。
致命傷には至らなかった。
だが、その代償は大きい。
「……チッ」
肩に担いだ大剣を地面に突き立て、一瞬だけ体を預ける。
体がやたら重い。
いや、違う。
体が、もう限界に近いだけだ。
「そろそろ着くはずなんだがな……」
乾いた口、かすれる声。
「あの野郎……嘘の情報握らせやがったのか?」
減らず口だけは止まらない。
止めたら、そのまま意識まで落ちそうだった。
だから喋る。
無理矢理でも、意識を繋ぎ止めるために。
「……そろそろまじでヤバいな」
視界が揺れる。
焦点が合わない。
「目ぇ霞んできやがった……血、流しすぎたか……」
自嘲気味に笑い、乱暴に頭を掻く。
その時だった。
——違和感。
風の流れとは違う、“何か”の気配。
「……ん?」
ゆっくりと視線を向ける。
木々の隙間、その奥。
細く、まっすぐに立ち上る煙。
「……は、はは……」
乾いた笑いが、自然とこぼれる。
「よし……見つけた……!」
足がもつれる。
それでも前へ。
「……あそこが……アイネの村……だな」
最後の力を振り絞り、男は森を抜けた。
⸻
村は、静かだった。
だがその静けさは、平和そのものというより、
外界と隔絶された“小さな世界”のような穏やかさだった。
その中心に——
血まみれの男が、踏み込む。
「近くに魔物の集落があった……!」
掠れた声を無理やり張り上げる。
「倒してきてやった……だから——」
一歩、踏み出す。
「——俺を、治せ……!」
言い切った瞬間。
男の体は、その場に崩れ落ちた。
⸻
「なにこの人……!」
「血だらけじゃないか……!」
「魔物の集落……? 本当か……?」
ざわめきが広がる。
村人たちが距離を保ちながら、倒れた男を囲む。
警戒。
恐怖。
そして、わずかな好奇心。
「長老を呼んで来い!」
誰かの声に、子供が走り出した。
やがて——
人垣が静かに割れる。
現れたのは、白く長い髭を蓄えた老人と、
その隣に立つ、一人の少女。
長い金髪は手入れが行き届き、光を受けて柔らかく揺れる。
紅色の瞳は透き通り、どこか神秘的ですらあった。
「長老。この男ですが……」
青年が一歩前に出て説明する。
「村の近くに魔物の集落があり、それを壊滅させたと……ただ、見た目もこの通りですし、回復後に暴れる可能性も——」
長老は静かに目を閉じる。
白い髭を撫でながら、わずかに頷いた。
「フェーリアや」
穏やかな声。
「この人を、治してあげなさい」
「……ですが、おじい様」
少女——フェーリアは一瞬だけ躊躇する。
「あの……危険な可能性も……」
「それでも、じゃ」
長老の声は変わらない。
「このところ、魔物は確かに増えておった。
集落があったという話も、あながち嘘ではあるまい」
ゆっくりと目を開く。
「これもまた、ルナ様のお導きかもしれん」
静かな確信だった。
フェーリアは、数秒だけ考え——
そして、小さく息を吐いた。
「……わかりました」
男の傍に膝をつく。
そっと手をかざすと、淡い緑の光が溢れ出した。
光は優しく男を包み込み、
裂けた皮膚が、ゆっくりと、しかし確実に塞がっていく。
血で固まっていた傷が、まるで時間を巻き戻すかのように消えていった。
やがて——光は収まる。
「……これで、外傷は大丈夫です」
フェーリアは小さく息をついた。
「ですが……失われた血液までは戻せません」
視線を落とす。
「まだ危険な状態です。しばらくは、私が看病します」
その言葉に、村人たちは安堵したように頷き、
少しずつその場を離れていった。
⸻
静けさが戻る。
「……はぁ」
フェーリアは、倒れている男を見つめる。
すでに傷はない。
呼吸も落ち着いている。
だが、それでも——
「おじい様の頼みとはいえ……」
ぽつりと呟く。
「見た目通りの怖い人だったら、どうしましょう……」
その時。
「俺は怖くねえよ」
「——ひゃっ!?」
フェーリアの肩が大きく跳ねた。
「優しいで有名な男だ」
いつの間にか、男は目を開けていた。
「あ……あの……起きて、いたのですか……?」
おそるおそる声をかける。
「ああ。お陰様でな」
男はゆっくりと上体を起こした。
「お前が治してくれたのか?」
近い。
声が低い。
雰囲気が強い。
怖い。
フェーリアは言葉を失い、ただ小さく頷いた。
「なんだよ」
男は眉をひそめる。
「俺は別に襲ったりしねえぞ?」
少し間を置いて。
「……そんなに怖がられると、普通にへこむんだが」
ぽつりと、落ちる声。
その落差に、フェーリアは一瞬だけきょとんとした。
——あれ?
今の……
少し、かわいい……?
気付いた瞬間、ふっと肩の力が抜けた。
「す、すみません……!」
慌てて立ち上がる。
「申し遅れました。私はフェーリア=アイネ。この村で治癒巫女をしております」
深く頭を下げる。
男は、その様子を見て——
「……くくっ」
小さく笑った。
「な、なんですか……!」
慌てて返事をするフェーリア。
「いや、さっきまで震えてたのに、急にしっかりし始めたからな」
「も、もう……!」
視線を逸らし、頬を少し膨らませる。
「おっと、俺も名乗らねえとな」
男はゆっくりと姿勢を正す。
そして、深く頭を下げた。
「助けてもらった。礼を言う」
言葉は短いが、重い。
「俺の名前は——ハル=サンブライト。トレジャーハンターだ」
わずかに顔を上げる。
「この命、この村……いや」
一瞬だけ、フェーリアを見る。
「フェーリアの為に使わせてもらう」
その言葉に、フェーリアは目を見開いた。
「え、ええっ!?」
慌てて手を振る。
「そんな!私はただ治しただけです。
それにあなたはまだ怪我人なんですよ!? 傷は治っても血は——」
「大丈夫だ……」
そう言いかけて——
ぐらり、と。
「あっ……」
そのまま横に倒れ込んだ。
「だから言ったのに……!」
フェーリアは慌てて支え、なんとか布団へと戻す。
軽い。
見た目よりずっと。
「まったく……」
小さくため息をつく。
「何も考えていないのか……それとも」
横顔を見る。
「怖いのか、優しいのか……」
少しだけ、笑う。
「横暴なのか、義理堅いのか……」
答えは出ない。
「……不思議な人」
そっと、毛布をかける。
その手つきは、すでにどこか柔らかかった。
⸻
これは——
ハツキが生まれる、少し前の物語。
小さな出会い。
だがそれは、やがて世界の運命を揺らすことになる。
ハルも。
フェーリアも。
まだだれも知らない。
能力と、代償。
そして——
自分の命より大切になる存在を。
この物語は、本編よりも少し前。
——すでに壊れてしまった世界の中での、一幕です。
能力と代償。
均衡はとうに崩れ、世界は歪みきっている。
これは、何かの“始まり”ではありません。
もっと前から、すべては壊れていた。
その上で——
傷だらけの男と、ひとりの少女が出会う。
ただそれだけの、ありふれた出来事です。
救うか、見捨てるか。
信じるか、疑うか。
この世界では、その選択に特別な意味はありません。
誰もが同じように、壊れた現実の中で選び続けている。
それでも。
手を伸ばしたこと。
その手を取ったこと。
その一つの事実だけが、確かに残る。
やがてそれは、ひとつの命へと繋がっていく。
けれど——
それが希望だったのか。
それとも、さらなる歪みだったのか。
その答えを、この時の二人はまだ知らない。
これは、本編では語られない“過程”。
壊れた世界の中で、それでも繋がってしまった物語の一部です。
引き続き、よろしくお願いします。




