第49話 白き紋章、継承される
薄れ行く意識の中、ヒジリの声がする。
「……この手に。
顕現せよ、白き翼の刃」
空気を裂くような音。
直後、黒ローブの男『エハ』の断末魔が響き渡った。
それは遠く、遠く、まるで水の底から聞いているようだった。
――終わったのか。
そう思った瞬間、意識が闇に沈んだ。
*
「……ツキ!!!」
誰かが呼んでいる。
何度も、何度も。
重たい瞼をゆっくり持ち上げると、
青と赤が混ざり合う空が視界に広がった。
夕暮れだ。
どれくらい眠っていたのだろう。
空をぼんやり見つめながら、そんなことを考える。
「ハツキっ!!! 起きた? 大丈夫?」
聞き慣れた、優しい声。
「……おはよう、ヒジリ」
そう返し、体を起こそうと力を込める。
――だが、動かない。
指の一本すら。
まるで身体が石になったみたいだった。
「……っ」
新しく発現した能力。
三芒・強奪。
あれを使った代償か。
内側から削られたような、空洞感。
力を“奪う”ということは、
代わりに何かを“差し出す”ということなのかもしれない。
「良かった……」
ヒジリの右目から、大粒の涙が落ちる。
ぽた、ぽた、と頬に涙が落ちる。
「倒れてから、全然動かないから……
ほんとに、ほんとに……」
震える声。
ああ。
また、守られたんだな。
「……無事に終わった?」
そう聞くと、ヒジリは涙を拭って、いつもの笑顔を浮かべた。
「もちろん! あたしを誰だと思ってるの???」
誇らしげで、ちょっと得意げな顔。
……良かった。
本当に。
「ブランは……どうなった???」
自分のことより、そっちが気になる。
あの戦いの中心は、間違いなくブランだった。
「ブランはココだよ」
ヒジリの後ろから声がする。
優しくて、少し幼い響き。
……え?
今の声は――
ヒジリでも、リーネでも、キューブでもない。
「今の声って……ブラン?」
ヒジリが嬉しそうに笑う。
「そうだよ♪」
その瞬間、空が陰った。
巨大な影が、ゆっくりと地面を覆う。
「ヒジリ!!! なにか来る!!!」
慌てて叫ぶと、ヒジリはきょとんとした顔でこちらを見て――
数秒後、爆笑した。
「あははは!!!
なに言ってるのハツキ? 大丈夫だよ。だって……」
恐る恐る空を見上げる。
そこにいたのは――
白く巨大な竜。
神々しく、気高く、
それでいてどこか愛嬌のある存在。
その瞳が、真っ直ぐこちらを見る。
「ハツキありがとうなの。
ブラン、元に戻れたよ。力も戻ったよ」
言葉を失う。
これが、本来の姿。
封じられ、歪められていた存在。
三芒・強奪によって奪い返した、本来の姿。
「……良かった」
それしか言えなかった。
「ハツキ、まだ動けないのか?」
リーネが顔を覗き込む。
「指すら無理」
そう答えると、リーネとブランが視線を交わし、静かに頷いた。
ブランが大きく息を吸う。
そして――
ふわり、と。
キラキラと煌く吐息が、ボクを包み込んだ。
感覚のなくなったボクでも温かく感じる。
優しい。
削られた場所に、光が染み込んでくるようだった。
ピクリ、と指が動いた。
そして、もう一度。
身体が“思い出す”。
動き方を。
生き方を。
ヒジリの膝から頭を起こし、ゆっくり座る。
「ありがとう、ブラン」
頭を下げる。
「このまま動けなくなったらどうしようかと思った」
能力は強い。
でも、代償が重すぎる。
「ありがとうはブランなの」
ブランは優しく言った。
「全部思い出したの。
何のために生まれたのかも、何を守るのかも」
その視線はヒジリへ向く。
ああ、そうか。
ブランの“主”は――
*
「楽しい話は後だ」
リーネが口を開く。
「ヒジリの継承を済ませよう」
ヒジリが頷く。
さっきまで泣いていた顔はもうない。
「試練とか、あるの?」
少しだけ不安そうに尋ねる。
ブランは首を振る。
「無いの。
ヒジリはエールだもん。
ブラン、もう認めてるの」
エール。
その名を聞いた瞬間、ヒジリの瞳が静かに揺れた。
八百年の約束。
神の遺物。
世界の歪み。
全部が、ここに繋がっている。
「何すればいいの?」
「なにもしないの」
ブランは微笑む。
「一緒にいればいいの。それだけで継承なの」
そう言って、ヒジリの右腕をぺろりと舐めた。
「くすぐったいよ」
ヒジリが笑う。
そして――
「あれ……?」
右腕に、光が灯る。
浮かび上がる紋章。
『剣を咥える竜』
線は複雑ではない。
だが、見る者の魂を震わせる威厳があった。
「あっ」
全員が同時に声を漏らす。
ヒジリがそっと紋章をなぞる。
「ありがとうブラン。
これからずっと一緒に居ようね」
そして、悪戯っぽく笑う。
「もれなくハツキもついてくるけど♪」
……おまけ扱いか。
少しだけ拗ねていると。
「ハツキが一番よ」
片目を閉じ、小さく舌を出す。
その破壊力は卑怯だ。
「光栄です、ヒジリ様」
ヒジリが頬を膨らませる。
リーネが呆れ顔で言う。
「夫婦漫才はもういいか?」
二人同時に赤面。
コクコク頷く。
「よし!」
リーネが声を張る。
「これで竜の継承は完了。
残るは黒三日月あと2人、そしてリザーヴ」
空気が少し引き締まる。
まだ終わっていない。
むしろ、ここからが本番。
「今まで以上に厳しい戦いになる。
だが――」
リーネは笑った。
「私達なら出来る」
不思議と、疑いはなかった。
「そして今、大事なのは?」
リーネの問いに。
ボク、ヒジリ、キューブが同時に叫ぶ。
「美味しいご飯と休憩!!!」
一瞬の静寂。
そして、全員が笑った。
戦いの後の、ささやかな幸福。
それを守るために戦っているのだから。
「さあ、帰ろう」
リーネが魔法陣を展開する。
「ボク達の拠点――おかしな宿屋へ」
おーっ!!!
全員が腕を上げる。
空はすっかり漆黒に染まり、
星が静かに瞬いていた。
ヒジリが隣で、ぽつりと呟く。
「明日は満月かな?」
その横顔は、どこか静かだった。
右腕の紋章が、淡く光る。
戦いはまだ終わらない。
けれど今は。
護れた。
護りきった。
その事実だけを、胸に抱いて。
魔法陣の光が、夜空に溶けていった。
――次の満月が、何を連れてくるのかも知らずに。




