第48話 二重を越えて、三芒へ
リーネの小さな体に似合わない大きな杖。
小さな体から溢れ出す、圧倒的な魔力。
彼女の周囲に、星屑のような光が無数に集まり始める。
空気が震え、地面が微かに鳴る。
蒼い髪が、風に逆らわず静かに揺れる。
「我が名はリーネ。
叡智を統べ、司る者なり」
声は幼い。
だが、言葉の重みは神に等しい。
「現の理を隠伏し、従前の理を顕現せよ。
――刻限神」
空間が歪む。
それは“探す魔法”。
一度でも会った者を思い浮かべれば、その存在座標を暴く術。
――生きているなら、だが。
リーネはゆっくりと口を開く。
「ブランよ。よいか?
思い出せる範囲でよい。焦らなくてよい。
お主が、先ほどまで居た場所を思い出すのだ」
ヒジリがブランを抱きしめながら優しく通訳する。
「大丈夫。ゆっくりでいいからね。
怖くないよ。あたしたち、ちゃんといるから」
ブランは小さく頷く。
「ガンバって思い出してるから…
リーネそのままお願い」
リーネは静かに目を細める。
「うむ、それでよい……
そのまま、ゆっくり……」
――その瞬間だった。
空気が変わる。
重い。
粘つく。
肺の奥に入り込むような、ドス黒い圧。
ヒジリの瞳が細くなる。
「みんな、そこから離れて!!!」
爆ぜるような声。
全員が反射で飛び退いた瞬間、地面が抉れ、砂煙が噴き上がる。
ヒジリはブランをそっと地面に座らせた。
「いいコだから、少し離れて待ってて。
何も怖くない。あたしを信じて、ね?」
優しい笑顔。
けれど、その瞳の奥は氷のように冷たい。
(……ヒジリのこと、信じてるの……)
翼をぱたぱたさせながら、ブランは離れていく。
それを確認してから――
ヒジリは空を見上げた。
「あんた誰?
ブランの力を奪ったの、あんた?」
声音が変わる。
冷静で冷酷で残忍な目つきで睨み付ける。
ボクにも、リーネにも、キューブにも見えない。
だがヒジリだけが“そこ”を見ている。
「ククク……やはり気付きましたか」
黒い球体が、空間に滲むように現れる。
「さすがはエールの末裔――ヒジリ」
球体が弾け、黒ローブの男が姿を現す。
黒三日月。
「気付くも何も、そんな殺気ダダ漏れで隠れてるつもり?
バカでも分かるわよ」
ボクとリーネが同時に視線を逸らす。
……分からなかった。
「質問に答えなさい」
一歩踏み出すヒジリ。
「ブランに何をした?
ブランの能力を奪ったのはあんた?」
「そうだと答えたら?」
男が嗤う。
「力ずくで返してもらうだけよ」
即答。
「私を倒せると?」
「逆に聞くわ。あたしから逃げられるとでも?」
――次の瞬間。
衝撃。
音が遅れて届くほどの激突。
砂煙の向こうから声が響く。
「なかなかやるわね。でも、それで全力?」
「あなたこそ。今のは挨拶代わりですよ」
視界が晴れる。
ヒジリが男の右腕を顔の横で止めている。
指先一本、動かさせない。
「みんな、離れて。
少しだけ本気出すから」
侵食状態での“本気”。
巻き込まれれば無事では済まない。
「あなた一人で?」
「いいのよ。雑魚に人数いらないでしょ?」
「ほほう」
「言っとくけど――あたし、強いわよ?」
瞬間。
左拳が鳩尾にめり込む。
骨が砕ける音が響く。
男の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
ヒジリは迷わず馬乗りになり、首を押さえ込む。
「もう一度聞くわ。これが最後。
ブランの力を奪ったのはあんた?」
男は血を吐きながら笑う。
「奪ったものは返せない……
私は純血鬼種特性を持たぬ!
故に黒三日月最弱。
だが……能力だけでここまで来た!」
狂った笑い。
「もう継承は出来まい!
ヒジリ達よ、残念だったなぁ!!」
ヒジリは無表情で言う。
「それだけ?」
男の体がピクリと震える。
「それなら、さようなら」
ヒジリが、静かに詠唱を始める。
空気が張り詰める。
まるで世界そのものが、彼女の言葉を待っているみたいに。
「我が名はヒジリ=ブラン=エール。
悪しきモノを切り裂く力をこの手に。
顕現せよ――白き翼の刃」
純白の羽が、ひとひら。
次の瞬間、空から無数に降り注ぐ。
それは羽であり、祝福であり、断罪そのものだった。
光が収束する。
圧縮され、凝縮され、純度を増し――
それは一振りの聖剣となる。
白銀に輝く刃。
触れれば穢れを焼き払う、絶対の光。
ヒジリの手に、確かに握られた。
――勝った。
そう思った。
その瞬間。
男の口元が、ゆっくりと歪む。
「美しい……だが、所有とは絶対ではない」
ぞわり、と悪寒が走る。
ヒジリの聖剣が、わずかに重くなる。
光が揺らいだ。
「暴食」
男の足元に黒が広がる。
理を喰らう“穴”。
聖剣の白が削がれ、
“持ち主”が塗り替えられていく。
「……え?」
ヒジリの指が震える。
次の瞬間――
刃が黒く染まる。
いや、染まったのではない。
喰われている。
光が削がれ、吸われ、削り取られ――
聖剣が、悲鳴を上げた。
ヒジリの手から、力が抜ける。
握っているはずなのに、掴めない。
聖剣は黒い光へと変質し、
そのまま男の掌へと吸い込まれた。
静寂。
ヒジリの手には、何も残っていなかった。
まずい。
咄嗟に能力を発動。
「二重罠・強奪」
世界がモノクロに凍る。
……対象:存在しません。
「えっ!?」
絶望が、胸を締めつける。
やはり無理なのか。
奪われたものは戻らないのか。
世界は静まり返ったまま。
色の抜けた景色。
音も、風も、時間さえも止まったモノクロの世界。
……だが。
~~~ん?なにかがおかしい???~~~
いつもと違う。
ボクの能力は対象外なら、
「存在しません」と表示された瞬間、
すぐに世界は元に戻るはずだ。
だが今は――解除されない。
何も出来ず、時間だけが過ぎていく。
・・・残り時間60秒・・・
焦るな。
考えろ。
存在しない?
違う。
存在が消失したわけではない。
・・・残り時間50秒・・・
なんだよ一体??
何も無いのに……
何をしろって言うんだよ!!!
焦りが思考を鈍らせる。
視界が狭まる。
心臓の鼓動だけが、やけにうるさい。
そんな中――
ふと、父の声が蘇る。
――感覚を研ぎ澄ませ。
感覚を研ぎ澄ませ、か……
感覚なんて、もう無いんだけどね。
自嘲するように、苦笑いが零れる。
・・・残り時間40秒・・・
――もしかして。
“存在しない”んじゃない。
存在が、ズレている。
……残り時間30秒。
“座標が移された”と考える。
暴食は喰らう能力じゃない。
――所有権の再構築。
奪われたのではなく、
“持ち主を書き換えられた”。
なら。
能力の式を読んで奪い返す!!
構造を解け。
一度だけ、なぞれ。
胸の奥で何かが軋む。
視界の奥に、黒い穴の内部が展開される。
線。
式。
干渉優先順位。
条件分岐。
今まで見えなかった“能力の設計図”。
足元に、三つの光点が灯ったように見えた。
ヒジリの姿が視界に入る。
剣を失っても、前を向いたままの背中。
まだ諦めていない。
胸の奥で、ひとつの感情が定まる。
――護りたい。
それに呼応するかのように、
左腕の紋章が淡く光る。
発動の光ではない。
静かで、深い輝き。
三つの光点が、その鼓動と重なる。
理解できる。
構造視認。
条件読解。
干渉定義。
三点が結ばれる。
――二重罠・奪取が進化します
三芒・奪取発動
―― 三芒解析、開始
白世界に文字が浮かぶ。
対象:暴食
術者:エハ=黒三日月
構文解体中……
解析進行率:43%
脳が焼ける。
解析進行率:71%
脳が軋む。
式が複雑すぎる。
ノイズが視界を覆う。
解析進行率:93%
……残り時間3秒。
間に合え。
解析進行率:100%
―― 三芒解析完了
暴食能力特性:
対象の所有権を術者へ再定義
奪取対象:
・白き守護龍ブランの能力
・聖剣《白き翼の刃》
干渉可能回数:1回
再現持続:3秒
術者負荷:極大
理解した。
暴食の式を、反転再現する。
指定。
白き守護龍能力――ブランへ。
聖剣《白き翼の刃》――ヒジリへ。
確認:YES/NO
……残り時間1秒。
術者負荷が極大?
関係ない!
迷いはない。
「YES」
轟く竜の咆哮。
白光が爆ぜる。
ヒジリの手に、再び白刃が戻る。
黒ローブの男の目が見開かれる。
「な、に……」
ヒジリが静かに剣を振り下ろす。
「ハツキいつもありがとう。
返してもらったわよ」
光が奔る。
体中から力が抜け、ボクは倒れる。
「あとは……任せたよ」
遠ざかる意識の中、
ヒジリと、ブランの光だけが、やけに鮮やかだった。




