第33話 優しい継承
リーネが匣に入ってから、ボクはほとんど眠れていなかった。
いや、正確には。
眠ろうとしても、眠れなかった。
目を閉じると、
匣が開く音と、
赤黒い光と、
そして――ヒジリ、リーネ、キューブがいなくなる光景。
「……このままじゃダメだ」
ボクは、宿屋の一室で地図を広げながら呟いた。
「ウロボロスと狂神化の対処法。
絶対に、どこかにあるはずなんだ」
ヒジリはベッドに腰掛けたまま、
膝の上で指を組み、じっと床を見つめている。
「……“代償は本人しか払えない”。
リーネも、そう言ってたわよね。
あたしの狂神化は、ハツキが死にかけない限り発動しない。
だから今は、ウロボロスだけを考えよう」
「うん。わかった。
それならウロボロスに絞る。
“遅らせる”方法はあるはずだよ。
完全に止められなくてもいい。
せめて、侵食速度だけでも……」
ボクは、今まで集めた情報を思い返す。
街の情報屋。
ギルドの古文書。
神殿跡の石板。
闇市の怪しい本。
回復魔法。
精神耐性。
呪いの分散。
魂の固定。
それっぽい話は、山ほどあった。
でも――
どれも決定打にはならなかった。
「結局、“ウロボロスそのもの”について
ちゃんと書かれてる資料って、ほとんど無いのよね」
ヒジリの声は、静かだけど重い。
「禁忌能力っぽいから、
名前すら伏せられてることが多い。
……というか、本当に“禁忌”なのかも怪しいわ」
「どういう意味?」
「だってさ。
これだけ世界中に能力研究があるのに、
“発動条件”も“代償構造”も、誰も知らないなんておかしくない?」
……確かに。
「まるで、最初から“記録されなかった”みたいだな」
ボクは、机の上に積まれた本を見て苦笑する。
「世界を壊しかねない能力なのに、
“詳しく書いてある資料は全部消されてます”ってこと?……
都合良すぎだろ」
沈黙。
部屋の中にあるのは、
紙の擦れる音と、
外の街のざわめきだけ。
そして何より――
“リーネがいない静けさ”。
それが、やけに胸に刺さる。
「……ねえ、ハツキ」
ヒジリが、ぽつりと言う。
「もし、本当に方法が無かったら……
その時は、どうするの?」
その問いは、
ボク自身も、ずっと避けてきたものだった。
「……それでも、探すよ」
即答だった。
「無いなら、作る。
書いてないなら、掘り起こす。
誰も知らないなら……ボク達が最初になる」
ヒジリは少し驚いたようにボクを見てから、
小さく笑った。
「……ハツキらしい」
「リーネもキューブも戻すって決めたんだ。
それに、ヒジリも――もう、二度とあんな顔させたくない」
ヒジリは一瞬だけ目を伏せ、
それから、静かに頷いた。
「……うん。
じゃあ、探そう。徹底的に」
ボク達は、その日から――
街中の資料を漁り、
神殿跡を回り、
危険な本にも手を出し、
“ウロボロス”という単語が出てきたら、
片っ端から調べ尽くした。
それでも。
出てくるのは、
断片的な記述と、
曖昧な伝承ばかり。
そして――
誰も、“具体的な対処法”は書いていなかった。
まるで、最初から
“この能力を知っている人間が、世界に存在しなかった”みたいに。
「……やっぱり、ダメか」
何度目かのため息を吐いたあと、
ボク達はおかしな宿屋へと戻ってきていた。
ほんの数日。
リーネが仲間になってから、ほんの数日しか経っていないはずなのに――
まるで、ずっと最初から一緒にいたみたいな感覚がある。
だからこそ。
今、この場所にリーネがいないことが、やけに胸に刺さった。
「ハツキ、お腹が空いた」
そんな声が聞こえないだけで、
こんなにも静かに感じるなんて。
自分でも驚くほど、
ボクはリーネの存在に慣れてしまっていたらしい。
ヒジリも、きっと同じだ。
椅子に座ったかと思えばすぐに立ち上がり、
また座って、また立って――それを何度も繰り返している。
「ヒジリ、少し落ち着こう」
そう声を掛けると、
ヒジリは一瞬だけ困ったように笑ってから、
「……そうね」
と、短く答えて、再び椅子に腰を下ろした。
でも、指先は落ち着きなく、
膝の上でぎゅっと開いたり握られたりしてる。
「ヒジリ、大丈夫? ……まあ、大丈夫なわけないよね」
ボクは、なるべく優しく言葉を選びながら続ける。
「でもさ、リーネはボクたちの事を想って、あの選択をしたんだ。
だからこそ、無駄にしないためにも、
今ボク達が“やるべきこと”を考えないといけない」
ヒジリは俯いたまま、小さく頷いた。
その動きがあまりにも小さくて、
本当に聞こえているのか不安になるくらいだったけど――
それでも、確かに、意思のこもった頷きだった。
「移動する・苦痛の代償。
ウロボロスの力を、どうにかしないと……」
ボクは、自分に言い聞かせるように言葉を続ける。
「問題は……それを“どうやるか”だよね」
ヒジリが、ゆっくりと顔を上げた。
さっきまでの沈んだ表情とは違う、
何かを思いついた時の、不思議そうな顔でボクを見つめてくる。
「ねえ、ハツキ……」
そして、少しだけ遠慮がちに口を開いた。
「ずっと気になってたんだけど、
ハツキのお母様が、
移動する・苦痛の最初の習得者、なのよね?」
「うん。父さんの日記に、そう書いてあった」
「それと……お母様の日記の部分、魔法が掛けてあったでしょう?」
そこで、ヒジリは一瞬だけ言葉に詰まりながら、
「……今のハツキなら、
あの魔法、外せるんじゃない?」
「――あっ!!!」
思わず、変な声が出た。
完全に、盲点だった。
「もしかして……気付いてなかった?」
ヒジリは少しだけ呆れたように笑って、
「あたし、ずっと思ってたよ。
“なんで読まないんだろうな~”って。
ハツキのタイミングなのかなって」
……やってしまった。
今の能力なら、
魔法系の仕掛けでも普通に解除できる。
しかも、最初の習得者が“母”なら。
ウロボロスへの対処法が書いてあっても、何もおかしくない。
生粋の回復系だった母なら――なおさらだ。
ボクは慌てて真珠龍の皮袋をひっくり返し、
秘密の日記を取り出した。
テーブルの上に置き、そっと手をかざす。
「二重罠・強奪」
視界が一瞬で反転し、
世界がモノクロに染まる。
目の前には、無数の“対象”が浮かび上がっていた。
台所の魔法陣。
床に刻まれた結界。
壁に埋め込まれた補助陣。
「……この部屋、ほとんど仕掛けだらけだな」
思わず、独り言が漏れる。
その中で、
ボクはテーブルの上にある“ひとつ”に視線を集中させた。
すると――
どこからともなく、あの無機質な声が響く。
・・・ 二重罠・強奪発動 ・・・
・・・ 対象:秘密の日記 ・・・
・・・ マジック・トラップは消滅のみです ・・・
・・・ 発動確認 YES・NO ・・・
「YES」
答えた瞬間、
日記がふわりと宙に浮き、淡く光ったあと――
ドサッ、とテーブルに落ちた。
「……解除終了」
ヒジリの方を見ると、
完全に前のめりになって、今にも前転しそうな勢いだった。
「早く、早く」と、
無言の圧がすごい。
父さんは言っていた。
この日記は、ボクのためだけに書かれたものだと。
ボクのことしか、書いていないのだと。
少しの期待と、
ほんの少しの怖さを胸に、ボクは日記を開いた。
そこには――
とても優しくて、綺麗な字。
最初の一文は。
『可愛い可愛い、私のハツキへ』
「……お母さん」
その一行だけで、胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
優しかった母。
いつも笑って、抱き締めてくれた母。
そして――ボクを守るために、自分の命を使った母。
気付けば、視界が少し滲んでいた。
ヒジリは何も言わず、
日記を持つボクの手を、そっと握ってくれる。
その手は、とても優しかった。
ボクは深呼吸して、日記を読み進める。
そして――そこに、はっきりと書かれていた。
ウロボロスの対処法。
拍子抜けするくらい、
あまりにも、シンプルな方法。
――母の言葉で。
『可愛い可愛い、私のハツキへ。
あなたがこの日記を読んでいるということは、
きっともう、たくさんのものを失って、
それでもまだ前に進こうとしているのでしょうね。
ごめんなさい。
お母さんは、あなたに何も残してあげられなかった。
本当は、もっと一緒に居たかった。
もっと抱きしめて、もっと話して、
あなたが大人になるまで、ちゃんと見届けたかった。
それでも――
あなたがこの世界で生きていくために、
ひとつだけ、残せるものがありました。
ハツキ、あなたにも
回復系、アイナ一族の血が流れています。
信仰が薄れても、私達は神に仕えてきました。
傷を癒やし、命を繋ぎ、
誰かの痛みを、自分のことのように感じる一族です。
この魔法を解除できたのなら、
ハツキも、随分と強くなったのですね。
お父さんはまったく才能がなくて渡せなかったけど、
ハツキなら、大丈夫よね。
だって、ハツキは
私とお父さんの、大事な子供だもの。
だから、ハツキにあげます。
この力で、ハツキが大切に想う人を、
どうか、最後まで護れますように。
あなたはきっと…
誰かを護るために、
自分を削ることを選ぶ子だから。
せめてその時、
あなた自身だけは、
失われないように。
――フェーリア=サンブライトの名の下に
ハツキ=サンブライトに継承します。
アイナ一族の血が途切れぬよう。
サンブライトの血と、アイナの血が流れる、
私達の大事なハツキへ。
自動・自己回復
ハツキに、創造神ルナ様のご加護を』
読み終えた瞬間、
蒼色と翠色が混ざったような、柔らかな光が、ボクの全身を包み込んだ。
優しく。
本当に、優しく。
まるで――母さんに、もう一度抱き締められているみたいだった。
光が消えると、
体の中で、何かが流れ出す感覚がした。
血が巡る音。
内側から、じんわりと広がる不思議な温もり。
今はもう感じる事が出来ない暖かさだった。
「……どう? ハツキ」
ヒジリが、不安そうに覗き込んでくる。
「何か、変わった?」
「うん……正直、感覚ないから分かりにくいけど……
なんか、体の中が温かい」
「温かい?」
「昔……お風呂に入ってた時、こんな感じだった気がする」
「……もしかして、感覚戻った?」
「どうだろうね」
ボクは真珠龍の皮袋からナイフを一本取り出し、
自分の腕を、軽く切りつけた。
「――っ!?」
ヒジリが、目を覆う。
「だ、大丈夫なの!?」
「うん。やっぱり、まったく痛くない」
そう言いながら、ボクは腕を差し出す。
「でも、これ見て」
ヒジリが恐る恐る指の隙間から覗き込む。
「……え?」
「……傷、なくなってる?」
「うん。
ヒジリが目を覆ってる間に、もう治ってた」
父さんが言っていた。
これは“ほとんどチート”だって。
確かに。
この回復力と、痛みを感じない体。
攻撃を受けても、ボクは怯まない。
……これなら。
「これで、ウロボロスの侵食速度、かなり遅らせられるよね?」
ヒジリは少し考えてから、頷いた。
「お父様の日記にも書いてあったわ。
自動回復があるから、代償の侵食を遅らせられるって。
その回復速度なら……理論上は大丈夫」
「でも……?」
「……不安が、ゼロになるわけじゃない」
不安。
確かに、匣を開けるのは簡単だ。
でも、もし侵食速度が変わっていなかったら――
また、ヒジリが。
また、リーネが。
「……不安は残るけど」
ボクは、ヒジリを見て、はっきり言った。
「やってみよう。
早く、リーネを解放しないと」
ヒジリの侵食されていない、
碧くて、少し紫がかった瞳が、真っ直ぐにボクを見つめる。
「……わかった」
「じゃあ、今から匣を開ける。
念のため、少し離れてて」
ヒジリは少し距離を取り、
親指を立てて合図した。
もう少しだけ、待ってて。リーネ。
「二重罠・強奪」
再び、あの声。
・・・ 対象:匣 ・・・
・・・ 発動確認 YES・NO ・・・
「YES」
匣が、カチャカチャと音を立て、
青白い光と、赤黒い光を放ちながら、ゆっくりと開く。
その瞬間。
首元に、チクリとした痛みが走った。
――ウロボロスが、戻ってきた。
同時に、
「っ……!」
ヒジリが左眼を押さえ、うずくまる。
そして――
匣の中から、聞き覚えのある声。
「お腹空いたぞ~~!!!」
「リーネ!!!」
ヒジリが駆け寄り、勢いよく抱きつく。
「おかえりだな、ヒジリ」
「リーネ……ありがとう。
ごめんなさい……そして、おかえり」
リーネは少し照れたように笑って、
ヒジリの頭をぽんぽんと撫でた。
「わたしを起こしたと言うのとは解決策が、見つかったのだな?」
「おかえり、リーネ。
お母さんから自動・自己回復を継承したんだ。
これで、侵食速度はかなり遅くなってると思うんだけど……?」
リーネは一瞬目を丸くしてから、
「……なるほどな。
その手があったか」
そして、にやっと笑う。
「それなら、最高の選択だ。
しばらくどころか、寿命が来るまで大丈夫だぞ」
「本当!?」
「ただし――
移動する・苦痛を乱発したら話は別だがな」
……なるほど。
でも、護るためなら、使う。
ヒジリも、リーネも、キューブも。
ボクは、迷わず使う。
ヒジリがまだリーネを離さないのを見て、少し笑うと、
リーネは苦笑いした。
やっと戻ってきた。
一度失われた、この四人の日常。
(キューブはまだ匣だけど)
この時間を、もう二度と失わない。
何があっても、護る。
そう、心の奥で誓った。
「……で?」
リーネが、むっとした顔で言う。
「私は本当にお腹が空いてるんだが?」
「ヒジリ、いい加減離せ~~~!!」
……どうやら。
騒がしい日常も、一緒に戻ってきたらしい。




