第25話 ボクの彼女は…
「おやすみ」と言って、匣形態キューブを抱えたまま部屋に戻っていった。
ぱたん、と扉が閉まる音。
その小さな音が、やけに大きく感じられた。
今日一日、色んなことがありすぎて、
リーネの小さな背中が消えたあとも、胸の奥がまだざわついている。
しばらくすると、寝室から聞こえて来てた物音が聞こえなくなった。
「……リーネ、よっぽど疲れてたんだね。ご飯も食べないで寝ちゃうなんて」
ヒジリがそう言いながら、夕食の準備をしている。
包丁とまな板の音が、妙に静かだった。
トントン……トン……。
その音は、丁寧すぎるくらい慎重で、
力を抜きすぎているのがはっきり分かる。
指先の動きはぎこちなく、
まるで“自分の手”そのものを警戒しているみたいだった。
切る、置く、また切る。
その一つ一つの動作に、無意識レベルでブレーキがかかっている。
「ご飯とかあんまり食べないのかな。
育ち盛りの体型なのにね。ヒジリと同じで……」
その瞬間。
頬の横を、鈍く光る何かが通り過ぎた。
空気が、ほんの一瞬だけ裂けた気がした。
「……なんか言った!?ハツキ???」
「ご、ごめんなさい!!ヒジリさん!!
ほらヒジリさんはスレンダーっていうか、運動してるから締まってるっていうか……!」
「ほう。ハツキはリザーヴより先に倒されたいみたいね?」
いつの間にか目の前に立っていたヒジリが、指を鳴らす。
さっきまで台所にいたはずなのに、
距離の概念が消えている。
「ごめんなさい!!本当にごめんなさい!!
ヒジリさんは綺麗です!美しいです!世界で一番かわいいです!!」
反射的にソファから転げ落ち、床に頭を打ち付けながら謝った。
「次言ったら本当に倒すわよ」
……でも。
台所に戻ったヒジリの手は、
さっきよりさらに力が抜けていた。
包丁の刃が、必要以上に食材に触れない。
切るというより、撫でているみたいだ。
「ヒジリ、そんなに気を使わなくても」
「ダメ。今のあたし、力入れたら何起きるかわからないから」
笑いながら言うけど、
その声は“信用してない人”の声だった。
自分の体なのに、
自分のものじゃないみたいな距離感。
⸻
夕食を終えたあと、ヒジリが言った。
「先にお風呂入ってきなよ。
最近、水で体拭くくらいだったでしょ」
「ありがとう。それじゃ先入るね」
久しぶりの湯船だった。
湯気が立ち上って、
肌に水滴が落ちる。
……でも。
熱さも、ぬるさも、何も感じなかった。
ただ、水に沈んでいると言う事実だけ。
まるで、自分の体が“外側”になって、
中身だけ別の場所に置いてきたみたいだった。
(ああ……これも代償なんだ)
体を洗おうとした、その瞬間。
バンッ!!
「お背中流しにきましたぁぁぁ!!!」
「ぎゃあああああああ!!!!」
心臓が止まるかと思った。
「ちょっ、ヒジリ!?いきなり!!」
「前もやったでしょ、この流れ」
「前も悲鳴上げたよ!!」
バスタオル一枚のヒジリが、呆れた顔で立っている。
湯気の中で見ると、
銀髪がやけに柔らかく見えた。
「いいから座りなさい。力加減は気を付けるから大丈夫」
“力加減”。
その言葉が、なぜか胸に引っかかった。
それは安心の言葉のはずなのに、
同時に“常に力を制御している”証明みたいで。
⸻
背中を流されながら、ボクは意を決して口を開いた。
この空気のままじゃ、
たぶん一生聞けない気がしたから。
「……ねえ、ヒジリ」
「ん?」
「ヒジリ、後悔してないの?」
手が止まる。
水音だけが、やけに大きく響く。
「何を?」
「……ボクを護るためにさ。
色々、犠牲にしてること」
しばらく沈黙してから、ヒジリが言った。
「後悔はしないって、決めてる」
「……」
「あの塔であった出来事から……」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
あの日のことは、
二人とも、言葉にしなくても共有している。
「後悔ってさ、してからじゃ遅いでしょ。
だからあたし、あの日から“選んだことは全部受け入れる”って決めたの」
背中を流す手が、少し震える。
泡が、指先で微妙に揺れている。
「能力を使うって決めたのも。
消さないって決めたのも。
全部、自分で選んだ」
でも。
「……正直、怖いよ」
ヒジリの声が、急に小さくなる。
「あたしさ、鏡見るたびに思うの。
左目も、体も……もう人間じゃないって」
沈黙。
湯気の向こうで、ヒジリの姿が少し滲む。
「狂神化の時、記憶ないけど……
きっと、本当にバケモノなんだと思う」
少し間が空いてから、ヒジリが続けた。
「……あたしの二つ名、もう知ってるでしょ?」
その問いに、ボクはすぐ答えられなかった。
喉の奥が、きゅっと詰まる。
言いたくない。
でも、言わなきゃいけない。
「……銀髪の……」
一瞬、言葉を探す。
「……バーサーカー」
声は、自然と小さくなっていた。
遠慮と、躊躇と、
傷つけたくない気持ちが全部混じった音だった。
ヒジリは、苦笑いする。
「うん。そう」
少しだけ視線を落としたまま、ヒジリは言う。
「あたしね、それ嫌いなんだ」
「女の子なのにさ。
銀髪のバーサーカー、なんて二つ名」
短く息を吐く。
「可愛いとか、綺麗とかじゃなくて。
強いとか、怖いとか、化け物とか……」
しばらく沈黙してから。
「……本当は、そんなふうに呼ばれたくなかった」
そして、静かに。
「でも今は……
もう本当にバーサーカーなんだよね」
ヒジリの声は、ほとんど囁きだった。
「人じゃなくなってるって、
自分が一番わかるから」
ヒジリの声が、震える。
「もし……もしね」
「ハツキを護るために、また狂神化して、
戻れなくなったら……」
ヒジリは、顔を覆った。
「その時は、あたしを置いて行って」
振り向くと、
右目からだけ、涙が落ちている。
「バケモノ連れて歩けないでしょ。
あたしは護れたって思って、きっと満足してるから。
そしてハツキがピンチの時は離れてても助けに行くから……」
「……」
「もう左目から涙も出ないの。
ね、ほんと人間じゃないでしょ」
⸻
その瞬間。
頭の奥で、何かが“音を立てて壊れた”。
怒りというより、
大事なものを踏みにじられた感覚だった。
「ふざけるな!!!」
自分の声だと、一瞬わからなかった。
「置いて行け!?
バケモノ!?
銀髪のバーサーカー!?
だから何だよ!!!」
湯気の中で、ヒジリが目を見開く。
「ヒジリがボクを護るためにそうなったのに!!
なんでヒジリだけが怪物になる未来を受け入れなきゃいけないんだよ!!」
拳が震える。
「さっき言ったじゃないか!!
後悔しないって!!
二人で強くなるって!!」
声が、喉を焼く。
「それは“そうならないため”だろ!?
ヒジリが一人で怪物になるためじゃない!!」
湯船の水面が揺れる。
「人間じゃなくなった?
涙が片方からしか出ない?
だから置いて行く?」
怒りで、視界が歪む。
「そんな世界線、最初からボクが否定する!!」
ヒジリの前に立つ。
「ヒジリは――
ボクの“大事な人”だ!!!」
言い切った。
逃げ道を全部塞ぐくらい、
はっきりと。
「怪物になる未来ごと、ボクが全部護る!!
だから勝手にいなくなるな!!
勝手に一人で終わらせるな!!!」
湯気の中で、
ヒジリの右目から、また涙が零れた。
それはさっきよりも、
ずっと大きな涙だった。
⸻
~~ 数時間前 ~~
「え~と、回復薬も買ったし、食料も買ったから……
そういえばヒジリ、ボクの皮袋から色々使ったって言ってたな」
何を使ったのか分からなかったため、
ボクは近くのベンチに腰掛け、皮袋をひっくり返した。
カツン、と乾いた音を立てて、
ベンチの上に転がる紅い物。
両思いの石。
「……紅色になってる」
ヒジリの言葉を、はっきりと思い出す。
――最終段階で、紅くなる。
それを見て、自然と息が漏れた。
「……そうか。そうだよな」
ボクも、ヒジリを――
「……あれ、売ってるかな。
売ってなかったら、作ってもらおう」
立ち上がりながら呟いて、
ボクはそのままリーネの街を走り回った。
⸻
しばらくしパタン、と音がして、ヒジリもお風呂から上がってきた。
「ハツキ、さっきはホントにゴメン!!!
なんかあたし、バカだった」
ボクは笑って、親指を立てる。
「いいよいいよ」
「泣き虫ヒジリちゃん?
水分けっこう出ちゃったでしょ。何か飲む?」
「泣いてないもん!」
口を尖らせながら、ヒジリはすぐに続ける。
「飲む! ブドウ搾ったの飲む~!!」
「了解。ブドウ搾ったの好きだね!
座って待ってて」
「は~い♪」
元気よく手を上げて、ヒジリは椅子に座った。
「はい、どうぞ」
冷えたブドウジュースを渡す。
「ありがとうハツキ。優しいね~」
ヒジリは一気に飲み干して、
そのままグラスをコースターの上に置いた。
カタン。
グラスが、倒れる。
「あれ、またあたしやっちゃった?」
不思議そうに首を傾げて、ヒジリがグラスを見ると――
コースターから、光と共に魔方陣が浮かび上がる。
そして、その中央。
コースターの上に、指輪が一つ。
「え!? なにこれ!?」
「知識不足のヒジリちゃんに教えてあげよう。
水分を含むと、収納してたものが出てくる
魔法のコースターの裏側」
「それは知ってる。指輪の方」
宝石箱の指輪。
ひとつだけいつでも物を出し入れできるアイテム。
「両思いの石入れておけば、
使いやすいでしょ?
……と言うか。」
「最近、両思いの石見た?」
ヒジリは、小さくフルフルと首を振った。
ボクは、自分の右手の薬指にしている
両思いの石を見せる。
「あ……紅色だ……」
「うん。
これが、今のボクの気持ちの色」
ヒジリが、息を呑む。
「好きって言われたから好きになったんじゃない。
護ってくれるから好きになったんじゃない」
言葉が、震える。
「ヒジリと一緒にいて……
ヒジリを知っていって……
好きになった」
ヒジリの右手の薬指を指差し。
「だからさ……
もらってくれますか?」
一瞬、ヒジリはその手を見て、
ふっと小さく笑った。
そして、そっとボクの手首を掴んで……
「……そっちじゃない」
そう言って、
自分の左手を差し出した。
「こっちにして」
指輪は自然にサイズを変え、薬指に収まる。
「ありがとうハツキ……
これ見たら、狂神化しても大丈夫な気がする」
右目から、涙が零れる。
でもその表情は、
さっきまでとは違っていた。
「好きだよヒジリ」
「……ありがとう。大好き」
テーブルを越えて、ヒジリが抱きつく。
その腕は、
温度を感じなくなってしまったボクでも、
世界一あたたかく感じた。
⸻
独りだった世界に、
今はヒジリがいる。
そしてボクは決めた。
例え何があっても。
どんな姿になっても。
この人を護る。
そう――
『ボクの彼女は、バーサーカー』




