幕間 神が消えた日
――創造神ルナの記録
その世界は、余が創った。
大地も、空も、海も。
そこに人間、魔物、獣も、すべて余の手で形作った。
余はその中でも人間が好きだった。
余が創った存在の中で、
最も弱く、最も脆く、
それでも最も感情豊かな生き物。
だから余は、人間に“能力”を与えた。
炎を灯す力。
傷を癒す力。
未来を僅かに視る力。
生きるために、ほんの少しだけ有利になる程度のもの。
世界を壊すほどではない、ささやかな力。
それで十分だと思っていた。
最初の頃、人間たちは泣いて喜んだ。
火が起きた。
怪我が治った。
命が救われた。
それだけで、世界は光に満ちていた。
人間たちは余に祈った。
願いではなく、感謝として。
能力を授けた存在への、
ただの「ありがとう」として。
余は、それが嬉しかった。
余の力が、誰かの人生を
ほんの少しでも温かく出来るのなら、
それでいいと思った。
やがて、人間の数が増え、
強い能力を持つ者も増えた始めた。
能力は広まり、
能力は当たり前になり、
能力は、日常になった。
それが、全盛期だった。
誰もが力を持ち、
誰もが生き延びられる世界。
だが、“当たり前”になった瞬間から、
能力は「感謝」ではなくなった。
人間たちは言い始めた。
「自分の能力は弱い」
「あいつの方が強い」
「なんで、私はこんな能力なんだ」
能力は、希望ではなく、
“比較される性能”になった。
余は、それでも与え続けた。
人間が生きるために必要なら、
余の力が役立つなら、
それでいいと思った。
その時から、リザーヴは変わり始めた。
余と共に世界を管理していた存在。
余を最も近くで見て、
余を最も深く信じ、
余を最も盲目的に愛した存在。
だからこそ、リザーヴは許せなかった。
余が削れていくことも。
余が人間に消費されていくことも。
そして何より――
余が、それを“幸福そうに受け入れている”ことが。
「……これは、違う」
「能力は、当たり前にあるものではない」
「これはもう、祝福ではない」
リザーヴは、人間に怒っていたのではない。
余が削れていくのを見て、怒っていたのだ。
人間に能力を与えるたび、
余の存在が、確実にゆっくりと少しずつ薄くなっていく。
それを、余は気づかないふりをしていた。
やがて、衰退期が訪れた。
祈りは減り、
感謝は薄れ、
余の存在は、世界の中心ではなくなった。
残ったのは、絵本の中の創造神。
子供向けの、優しいお話。
「昔々、世界を作った神様がいました」
それだけで済まされる存在。
信仰ではなく、
知識ですらなく、
ただの“物語”だった。
その裏で、世界は歪められていった。
無能力者が、生まれ始めた。
それは偶然ではない。
リザーヴが、能力消し始めた。
余をこれ以上削らせないため。
能力という仕組みそのものを、
世界から消そうとしたのだ。
だが、それは世界にとって
“異常”を生み出す行為だった。
能力が当たり前の世界で、
能力を持たない存在が現れる。
神を忘れた世界に、
神の欠如だけが、はっきりと現れ始めた。
だから、余は魂の一部から恩恵を作った。
神の遺物と呼ばれるもの。
世界を保たせるため。
自分の魂を、削って。
遺物を作り、能力を与えた。
それが、余の選んだ方法だった。
世界を救うために、
神である魂を、削り与える方法。
無能力者は、そこで初めて能力を得る。
それは救済だった。
同時に、誰にも気づかれないまま続く、
“神の切り売り”でもあった。
神の遺物は、想定以上に余の力を喰らっていた。
世界を支えるには、あまりにも効率が良すぎた。
祝福の再生産。
願いの実現。
奇跡の量産。
その全てが、余の存在を、少しずつ削っていた。
やがて、余だけでは
怒りの矛先を人間に向けたリザーヴを抑えきれなくなった。
だから、余はリザーヴと共に“匣”に入った。
世界から隔離するため。
これ以上、祝福の邪魔をされないため。
そして、リザーヴがこれ以上、
世界を壊さないように。
その匣の場所を、人間で最初に見つけたのが、
サンブライトだった。
彼は、生まれながらの無能力者。
能力を持たず、祝福もなく、
それでも知識と経験だけで、
世界の裏側まで辿り着いた英雄。
隣にいたのが、エール。
同じく無能力。
同じく、何の特別も持たず。
それでも努力と執念だけで、
才能のない身体を限界まで鍛え上げた英雄。
二人は、能力に選ばれなかった者たちだった。
それでも、人間のまま、ここまで来た。
そして、リーネ。
彼女だけは違った。
生まれながらの天才。
才能の塊。
世界に愛された存在。
神の遺物など必要としない、
本物の“選ばれた者”。
余に1番近しい人間。
サンブライトは匣を開けた。
いや、英雄たちの力が余を弱め、
開いてしまったのかもしれぬ……
そして余と、リザーヴは解放されてしまった。
その瞬間、世界に新たな
神の力が流れ込んだ。
願いが叶う世界。
能力が与えられる世界。
代償と引き換えに、何でも手に入る世界。
余はもう、なにも出来なくなっていた。
削れすぎていた。
分け与えすぎていた。
残っていたのは、
“人間を好きだという感情”だけだった。
リザーヴを前にし、リーネは理解した。
なにをしても、なにをやっても勝てないと。
世界の理が、書き換えられたのだと……
リザーヴを前にし、サンブライトとエールも理解した。
何もしないで負けるわけにはいかない。
生まれながらの天才さえ生き残れば、
この世界は、まだ続く可能性があると……
能力を失う前に。
世界に取り込まれる前に。
誰にも止められない速度で。
消えていったその黒い匣を一瞥し、
リザーヴは、ゆっくりと動いた。
サンブライトとエールが立ち塞がった。
能力を持たない英雄たち。
最後まで、人間のまま戦う者たち。
剣が振られた。
銃が鳴った。
魔法ではなく、技術と意志だけの戦い。
だが、勝負にはならなかった。
リザーヴの一撃は、
世界の法則そのものだった。
二人の身体は、
まるで“存在を忘れられた”かのように、
音もなく崩れ落ちた。
血すら、意味を持たなかった。
それでも二人は、最後まで立っていた。
倒れながら、なお、前を見ていた。
英雄としてではなく。
人間として。
その光景を、余は見ていることしか出来なかった。
世界は、もう取り返しがつかないところまで来ていた。
余が与えた力。
余が叶えた願い。
余が愛した人間たち。
そのすべてが、
リザーヴという存在によって歪められ、暴走し、
世界そのものの常識を、壊そうとしている。
……それでも。
それでも余は、人間が好きだった。
護りたかった。
愚かで。
弱くて。
欲深くて。
それでも必死に生きようとする、その姿が。
与え続けた。
ずっと、応え続けた。
奇跡を分け与え、力を削り、魂を削り、
それでも足りないほどに、能力を与えた。
そして――
余の中には、もう何も残っていなかった。
余には、もう何も与えられぬ。
能力も。
奇跡も。
救いも。
与えるための“余自身”が、すでに尽きていた。
これが――
神としての、余の末路。
初めてだった。
思ってしまった。
誰かに、何かを「願う」など。
余は今まで、
ずっと願いを叶える側だったというのに。
「……お願い……」
神であるはずなのに。
創造主であるはずなのに。
世界を作った存在であるはずなのに。
どうしていいか、分からない。
「リザーヴを……止めて……」
もう命令ではない。
啓示でもない。
ただの、懇願だった。
「お願い……お願いだから……」
余は、もう与えられない。
もう救えない。
もう、何もできない。
「どうか……あの子に……」
声が震えて、言葉にならない。
神の言葉ではない。
これはもう、ただの――
壊れてしまった存在の、泣き言だ。
サンブライトの血を引く者。
エールの意志を継ぐ者。
奇跡ではなく、努力の系譜。
才能ではなく、人間の選択の延長。
――リーネ。
「……リーネ……」
名前を呼ぶことしか、できなかった。
世界を壊したのは、神だった。
だから、世界を止めるのは――
神でなくてよい。
人間でよい。
これが、余の。
初めてで。
最初で。
そして、最後の願い。
ワタシ……は、祈った。
生まれて初めて。
願いを叶えるためではなく、
願いを“託す”ために。
自らが愛し続けた、
人間という存在に向かって。




