第23話 この世界が壊れた日
819年前。
世界が、まだ壊れていなかった頃。
その世界では、人間は生まれながらにして
一つ二つ、まれにそれ以上の必ず能力を持っていた。
火を灯す者。
水を操る者。
傷を癒す者。
風を纏い、空を跳ぶ者。
個人差はあれど、
能力は「才能」ではなく「前提」だった。
それは奇跡ではなかった。
奇跡が、日常だった。
なぜなら――
この世界には、人を愛した神がいたからだ。
創造神ルナ。
人間に能力という概念を与え、
世界そのものを支えていた唯一の神。
神がいる限り、世界は壊れない。
神を信じる限り、人間は祝福される。
そう、信じられていた。
しかし生まれても、何の能力も発現しない子供。
“無能力者”。
が現れ始めた。
世界は、それを異常とはしなかった。
なぜなら――
無能力者は、三歳になるまでに必ず
“神の遺物”に触れさせられることになっていたからだ。
神の遺物。
それは、創造神ルナの力を削り、
本来与えられるはずだった祝福を
強制的に再現する装置。
無能力者は、そこで初めて“能力者”になる。
それは救済だった。
同時に、誰にも気づかれないまま続く
“神の切り売り”でもあった。
人間は、神に祈ることを忘れていった。
祈らなくても能力は得られる。
感謝しなくても世界は回る。
奇跡は、生活インフラになった。
そして――
神だけが、少しずつ削れていった。
◇
「こうやって三人で集まるのも、久しぶりだな」
白銀の鎧を身に纏った男が言った。
名はエール。
剣士の頂点、《剣を咥える竜の紋章》を持つマスター。
マスター名、竜が付き従う者。
だが彼は、生まれつき強かったわけじゃない。
三歳になっても、何の能力も発現しなかった。
神の遺物に触れ、最低限の身体強化を得ただけの、
ごく平凡な能力者。
剣の才能もなかった。
センスもなかった。
勝ったことより、負けた回数の方が圧倒的に多かった。
それでも彼は剣を振った。
才能のある者より、何倍も。
祝福された者より、何倍も。
血を吐き、骨を折り、
何度も死にかけながら、剣を捨てなかった。
神に選ばれなかった人間が、
神に並ぶ場所まで這い上がった結果――
それが、エールという存在だった。
「まったくお偉い方はいいよな。紙一枚出して、自分達は安全な場所だ」
黒の軽装の男が地図を広げ、悪態を吐く。
名はサンブライト。
トレジャーハンターの頂点、《宝箱を守る竜の紋章》を持つマスター。
マスター名、全てを護る者。
彼もまた、無能力者だった。
神の遺物に触れた時、得た能力は微弱だった。
戦闘能力ゼロ。
派手な魔法も使えない。
だから彼は、別の道を選んだ。
地形を覚え、構造を読み、
魔法の理屈を解析し、
他人の能力の使い方をすべて記録した。
戦えないなら、世界を知る。
力がないなら、世界そのものを味方につける。
神に祝福されなかった人間が、
神の仕組みそのものを理解した結果――
それが、サンブライトという存在だった。
「そんな事言わないの。
こういう時じゃないと、私達忙しくて集まれないじゃない」
蒼のローブの女が、穏やかに微笑む。
名はリーネ。
魔法系の頂点、《杖を咥える竜の紋章》を持つマスター。
マスター名、叡智を統べ・司る者。
彼女だけは違った。
生まれた瞬間から、魔法を理解していた。
神の遺物など必要なかった。
詠唱を教えられる前に使い、
理論を学ぶ前に再現し、
世界の法則そのものを“直感で把握する”存在。
努力では辿り着けない場所に、
最初から立っている人間。
三人はいろいろな経緯を経て、“マスター”になった。
だが本当は、
エールとサンブライトは神の外側から這い上がり、
リーネだけが神の内側に生まれた存在だった。
その歪みが、
まだ誰にも見えていなかっただけで。
◇
サンブライトが見つけた場所。
地図にも載らず、誰の魔法にも感知されない空間。
「ここは、謂わゆる世界の“裏側”だ」
「神様がいる場所。
《神が鎮座する地》」
依頼内容は、こうだった。
~神の遺物に異変が出始めた。
モンスターの動きが活発化し、能力が不安定になっている。
原因の調査と排除を、三人に依頼する~
各国の王など数百人分の依頼書。
依頼書の束を眺めサンブライトが呟く。
「……入る前に、いつものやつやるか!」
冒険前のルーティン。
願掛けでサンブライトがコインを弾く。
「当然!表だっ!!!」
彼のコイントスは、絶対に外れない。
必ず“表”が出る。
だが。
カラン、と手から滑り落ちたコインは……
裏だった。
誰も、何も言わなかった。言えなかった。
ただ、空気だけが一段階、重くなった。
◇
中には、何も無かった。
モンスターも、罠も、神殿もない。
ただ一つ、玉座と、
その前に置かれた黒い匣だけ。
その匣の中に、
“神”がいた。
神がゆっくりと語り始める。
《……余の作った世界の、可愛い人間たちよ》
《余はルナ。この世界の創造神であり、唯一神であった存在》
《人間は、余を忘れ始めた》
《だが余は、それを悲しいとは思わなかった》
《人間が神に縋らず、自分の足で歩くなら
それもまた、一つの世界の形だと思った》
《だが、それを許さなかった者がいる》
《リザーヴ……》
《余の最初の使徒。余の腹心。余の分身》
《余を誰よりも信じ、余のためだけに存在した者》
《リザーヴは、人間が神を忘れる世界を“誤り”だと断じた》
《信仰を失った人類を消し、
神を信じる人々を中心とした新たな世界を作ろうとした》
《リザーヴは徐々に人々の能力を消し始めた》
《信仰を忘れた人々から無能力者が生まれ始めた。そのために余は魂を削り、石に変えた》
《それが、神の遺物》
《余は……止めようとした》
《だが余は、人間を守るために
自分の力を削りすぎた》
《神の遺物を作った代償で、
余はリザーヴを抑えられなくなった》
《だから、余は選んだ》
《リザーヴと共に、この匣に封じられることを》
《世界を壊さぬために、能力だけ残し、
自分ごと、世界から消えることを》
《……だが、もう限界だ》
《リザーヴは、匣の中からでも世界に干渉している》
《だから頼む》
《余が愛した世界を護っておくれ》
◇
神の声が聞こえなくなり
サンブライトが、黒い匣を触れようとした瞬間。
空間が、音を立てて軋んだ。
光が砕け、
世界の法則そのものが、ひび割れる。
《……ああ》
ルナの声が、弱々しく響く。
《この匣は……もう、役目を終えた》
《一度開けられた以上……余を封じることは、二度と出来ぬ》
「……つまり?」
《余はもう、戻れない》
闇が、空間を満たす。
「……やっと、開いたか」
その瞬間、リザーヴの存在が膨張した。
神の拘束が外れ、黒い影が空を覆う。
完全解放。
封印、崩壊。
“神という安全装置”が、壊れた。
「俺は神を信じていた」
「誰よりも、世界よりも、神を信じていた」
「だが人間は違った」
「祈りながら神を忘れ」
「奇跡だけを消費して、
神そのものには興味を失った」
「それを“成長”と呼ぶのか?」
「俺は違うと思った」
「神を忘れた世界は、
ただの“神の死体の上に立つ文明”だ」
「なら壊すしかない」
「祈れ。願え。代償を捧げろ」
「神を信じる者だけが、生き残ればいい」
◇
リザーヴの掌に、黒い光が集まる。
空間が歪み、世界が悲鳴を上げる。
「……くそ」
サンブライトは、歯を食いしばる。
「じゃあこの匣……もう無意味なのか?」
《……いいえ》
ルナの声が、微かに笑った。
《神を封じる器ではなくなった》
《だが――》
《世界から、存在を切り離す器には、まだなれる》
サンブライトは、すぐ理解した。
「……隔離装置か」
「世界の外へ、飛ばせるってことだな」
《そうだ》
《ただし……戻すことは、もう出来ぬ》
「上等だ」
サンブライトは振り向く。
「エール。リーネ」
「この匣……神は入らねえ」
「でも、人間なら」
「まだ――“逃がせる”」
エールが、一瞬だけ目を閉じる。
理解した。
勝てない。
止められない。
ここで全滅する。
だが――
「……ごめんな」
エールは、リーネの襟を掴んだ。
「エール!? なに――」
次の瞬間、リーネの身体が宙を舞う。
「ちょっ……待って!!」
「サンブライト!!」
サンブライトは、匣を最大展開していた。
内部は、光のない虚無。
世界と切断された空間。
「悪い!!リーネ!!」
「この匣……もう帰り道はねえ!!」
「でも――」
「生きてりゃ、意味はあるだろ!!!」
「やだ!!出して!!」
「まだ戦える!!私も――!!」
エールとサンブライトは、同時に笑った。
「「 それが無理だから託すんだよ 」」
「「 天才様 」」
サンブライトが、匣を閉じる。
光が収束し、
リーネの存在が世界から消えた。
完全隔離。
神の檻は壊れた。
だが――
人間の棺として、最後の役目を果たした。
それは逃げではなかった。
世界に残すための、最後の“希望”だった。
◇
リザーヴが、静かに手を伸ばす。
「……では、回収しよう」
「神の力を」
その瞬間。
エールとサンブライトから、何かが抜け落ちた。
魔力。
祝福。
神との接続。
世界が、二人を“ただの人間に戻した”。
「……ああ」
「これが、本当の意味での無能力か」
その日。
世界から“能力”と″二つのマスター″が消えた。
◇
空を飛んでいた都市は落ち、
魔法で支えられていた大地は崩れ、
モンスターは制御を失い、世界中に溢れた。
人々は、絶望した。
その時。
世界に、声が響いた。
《祈れ。願え》
《代償を捧げれば、力を与えよう》
《俺は何者でもない!俺は何者にもなれなかったモノ》
それは、リザーヴだった。
人々は、願った。
神になりたいと願った者は、その場で消えた。
世界を支配したいと願った者は、心臓だけ残して消えた。
金を望んだ者は、金の全てを得て、周りの人を全て失い、自ら命を絶った。
人々は理解した。
願いは、叶う。
だがそれは、救いではない。
願いは――
神を失った世界に残された、呪いだった。
やがて誰も、願わなくなった。
人間は、
神にも、願いにも頼らず、
自分の手で生きることを選んだ。
それが――
今の世界の、始まりだった。




