第22話 リーネ
今日は、魔法に驚かされてばかりだ。
魔法を初めて見たわけじゃない。
それでも――次元が、まるで違う。
「は、匣から人が出てきた!!」
隣にいたはずのヒジリの声が、部屋の奥から響いた。
どうやら驚きのあまり、反射的に距離を取ってしまったらしい。
匣の中から現れたのは、
青い髪に、碧い瞳を持つ――
《少女》。
ヒジリよりも小柄で、年齢すら分からないほど幼い体躯。
それなのに、その瞳だけは不釣り合いなほど澄んでいて、深い。
「……え?」
思わず、見たままを口にしていた。
「少女……?」
「わ~! カワイイ! ちっちゃい! プニプニ~♪」
次の瞬間には、逃げていたはずのヒジリが戻ってきていた。
少女の頭を撫で、頬をつつき、完全に遠慮という概念を忘れている。
「ええい! やめんか!!」
突き飛ばされ、ヒジリはよろめきながら口を尖らせた。
「え~、もっとナデナデしたい~」
……この光景だけ見たら、完全に日常だ。
だが、違う。
ボクは、少女から視線を外せなかった。
――この人から、不思議な気配がする。
「初めまして。
ボクはハツキ=サンブライトです」
喉が、自然と鳴った。
「……あなたは」
一瞬、言葉に迷ってから。
「リーネ様、ですよね?」
その名前を口にした瞬間、
ヒジリの動きが止まった。
「……え?」
次いで、ハッとした表情で姿勢を正し、顔を赤くする。
「し、失礼いたしました!
私の名はヒジリ=ブラン=エールです!
まさか……あの、神話に出てくるリーネ様……!?」
少女は、きょとんと目を瞬かせた。
「……ああ。そう呼ばれておるな」
軽い。
想像していた“伝説の存在”と、あまりにも違う。
「じゃが、お前たちは見た目に騙されすぎじゃ。
こう見えても、ワシはお前たちより何十倍も生きておる」
「ハツキ! ワシはな、おぬしの父、祖父、曾祖父……
もっともっと昔から知っておりゅんじゃぞ」
噛んだ。
「……知っておりゅ……おる!」
一瞬の沈黙。
そして、三人同時に吹き出した。
「すみません、リーネ様。
普通に喋っていただいて大丈夫ですよ」
ヒジリが、少し緊張しながら言う。
「そうかそうか!
威厳ってやつが欲しくてな。
見た目がこんなだし、喋り方くらいはと思ったんだが……」
リーネは頬をかきながら笑った。
――伝説の存在。
神話に名を刻む存在。
神に1番近しい存在。
なのに、今目の前にいるのは、
驚くほど“人間らしい”少女だった。
「さて」
リーネは、軽く指を鳴らす。
指先で宙をなぞると、淡い光が円を描き、
壁、床、天井へと溶け込んでいった。
音が、消える。
正確には――外と、切り離された。
「簡易結界だ。
盗聴と干渉を遮断する」
「……大事な話、なのですね」
「そういうことだ」
空気が、変わった。
ヒジリは一拍置いてからキッチンへ向かう。
「……お茶、淹れますね」
ポットに水を注ぎ、火を点ける。
その手つきは丁寧だったが、どこかぎこちない。
(無理、してる)
ボクは、その背中から目を離せなかった。
椅子に腰掛けた、その瞬間。
――ピシッ。
嫌な音。
次の瞬間、
ガシャンッ!!
鋭い破裂音と共に、グラスが砕け散った。
「きゃっ……!」
床に散らばるガラス片。
ヒジリは両手を胸元に引き寄せ、呆然とそれを見下ろしていた。
「ご、ごめん……
力、入れたつもりは……なかったのに……」
指先が、かすかに震えている。
ボクはすぐに立ち上がった。
「ヒジリ、ここはボクがやるよ」
「で、でも……」
「大丈夫だよ」
ヒジリの手から、そっとポットを受け取る。
触れた指先が、少しだけ冷たかった。
「……ありがとう」
小さな声で、そう言った。
ボクは何も言わずに頷いて、
割れていない新しいグラスを棚から取り出す。
リーネは、その一部始終を静かに見つめていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「さて。本題に入ろうか」
その声から、さっきまでの軽さは完全に消えていた。
「私を“師”と名乗る者が、迷惑をかけた」
「……ヴォルズ、ですね」
「そうだ。
あいつは、私に会ったことすらない。
だが、私の理論と神話だけを拾い集め、
自分を弟子だと信じ込んだ」
空気が張り詰める。
「能力の発現。進化。譲渡。
私は“世界の仕組み”を整理しただけだ」
「だがあいつは、それを《能力の捕食》という歪んだ形にした」
リーネの瞳が、冷たく光る。
「だから私は作った。
自分の思想の後始末をするための魔法を」
「――消滅」
「能力を消す魔法だ。
魔法の原理を変えればヒジリに支障はない。
間違いなく力は、残さない」
視線が、ヒジリに向く。
「お前の狂神化は、
人間でいられるギリギリの地点に立ちかけている」
「越えれば、人ではなくなる」
静かに、だがはっきりと告げる。
「選択肢をやろう」
「戦って、人を捨てるか。
今ここで、能力を無かったことにするか。
それとも――別の道を探すか」
ヒジリは、しばらく俯いていた。
そして、顔を上げる。
「……消しません」
声は震えていたが、目は逸れていなかった。
「アタシがアタシで無くなるのは……怖いです。
でも……あの時、決めたから」
ヒジリは、ボクを見る。
「ハツキを護るって。
自分で決めたから」
胸が、強く締め付けられた。
ボクは、一歩前に出る。
「それなら」
「ボクが強くなる」
「ヒジリが進むなら、
ボクは隣に立つ」
「力に飲まれそうになったら、
必ず引き戻す」
「ヒジリが人じゃなくなるなら、
その前に――ボクが人でいさせる」
ヒジリの頬を、涙が伝った。
「……うん」
リーネ様は、二人を静かに見つめる。
「覚悟は、確かに受け取った」
「だが忘れるな。
この選択の先に、
優しい未来があるとは限らん」
そして、静かに告げる。
「次は――
世界の常識が壊れた話だ」
三日月の夜空は、異様なほど暗かった。
まるで、朝が来ないと錯覚するほどに。
――世界の常識は、もうとっくに壊れていたのだ。




