第22話 匣
宿屋の中は、甘い香りと色とりどりのお菓子で溢れていた。
どうやら相当な人気宿らしく、ロビーは人でぎっしりだ。
「うわ~、混んでる……。これ、本当に泊まれるのかな?」
もし泊まれなかったらどうなるんだろう。
そんな不安が胸をよぎり、視線でヒジリを探す。
――いない。
辺りを見回しても、どこにも姿が見当たらなかった。
「それにしても……お菓子だらけだな」
右を見ても左を見ても、甘そうなお菓子ばかり。
魔法で保存されているのか、どれも出来立てのように艶やかで、今すぐかぶりつきたくなる。
「ヒジリ、どこまで行ったんだよ。まだ手続きもしてないのに……」
「ココにいますよ♪」
いきなり隣から声がした。
「うわっ!」
両腕いっぱいにお菓子を抱えたヒジリが、いつの間にか立っていた。
「これおいしいよ♪ 何食べてもおいしいよ、ハツキ!!
まるで昔、絵本で見た“お菓子の家”みたい。
床とか天井もお菓子だったらいいのに」
満面の笑み。
それを見ていると、さっきまでの不安がどうでもよくなってくる。
「……太るよ」
その一言に、ヒジリはハッとした顔をした。
「か、返してくる!!!」
振り向いて走り出そうとしたところを、慌てて襟元を掴んで止める。
「一回、手に取ったものは返さない!」
「そ、そうよね! 常識よね!」
どうやら“太る”という単語に動揺しすぎて、思考が飛んでいたらしい。
「じゃあ、ボクが宿泊の手続きしてくるね」
「わかった~♪ あたし、そこで座って待っててるね」
ヒジリをベンチに残し、受付へ向かう。
「すみませ~ん」
「いらっしゃいませ」
営業スマイル。
完璧だけど……目が笑ってない。
「あの~、今日って泊まれます?」
「大変申し訳ございません。本日も含め、三年先まで予約が埋まっておりまして」
「ふへっ!?」
変な声が出た。
いや、これはマズい。相当マズい。
お父さん……ボクに三年待てと?
……でも、おかしい。
ギルドの受付は、今晩来るって言ってた。
この街の人が、この宿の混雑を知らないはずがない。
そして――お父さんを知っていた。
「……すみません。ハル=サンブライトで、予約入ってませんか?」
その瞬間、男性の目の色が変わった。
「お待ちしておりました。
ハツキ=サンブライト様」
さっきまでの作り笑顔とは別物の、本物の笑顔。
「お部屋は最上階、VIPルームでお取りしております。
こちらの浮遊石に、この専用羊皮紙をお乗せください。
なお、この羊皮紙は破損または破棄されるまで永久に有効です。
どうか紛失なさらぬよう」
深々と頭を下げ、羊皮紙を差し出してくる。
「……えっと? どういうことです?」
「普通に、ハツキ専用の部屋があるから、
その羊皮紙がある限り、自由に使っていいって意味じゃない?」
いつの間にか背後に立っていたヒジリが、羊皮紙を覗き込みながら言った。
「うおっ!」
また変な声が出た。
「ヒジリ、急に後ろに立つのやめて……そのうち心臓止まるよ」
「え~? 後ろに行くよって宣言する方が変じゃない?」
それもそうだけど、ゆっくり来るって選択肢もあるだろ……
そう言い返す前に受付に列が出来始めていたので、二人でそそくさと浮遊石へ向かう。
「これが浮遊石かな?」
「ええ。宙に浮いてるものね」
宿の中央に、大人が十人は乗れそうな巨大な石が二つ、静かに浮かんでいた。
「ハツキ! 早く羊皮紙乗せてみて!!」
キラキラした目で腕を引っ張られる。
「よし……準備はいい?」
「おっけ~♪」
羊皮紙を浮遊石に乗せた瞬間、無機質な声が響いた。
……いらっしゃいませ。専用フロアに移動します……
……移動中は、身を乗り出さぬようお願いいたします……
……それでは、移動を開始します……
身体がふわりと浮き、そのまま上昇していく。
「すごい! すごい!」
……が、五階あたりから。
「こ、怖い……ちょっと怖い……」
……凄いが、怖いに変わった。
……専用フロアに到着しました……
……このフロアは、ハツキ様専用です……
……ごゆっくりお休みください……
……それでは、甘いひとときを……
「……え? ここ、全部ボクの?」
「……そ、そうみたいね」
「ヒジリってお嬢様だよね?」
「《元》ですけど、何か?」
「こういうの、慣れてるでしょ?」
「色んな所に連れて行ってもらったけど……
ここまで豪華なのは初めてよ」
元お嬢様ですら言葉を失うほどの部屋だった。
扉を開けると、ギルドより広い空間。
書くだけで料理が出てくる羊皮紙のあるキッチン。
無限に補充されるケーキスタンド。
呟くだけで飲み物が出るカップ。
触れると景色が変わる壁。
中に入ると広さが変わる大きなプールと風呂。
声を掛けると映像が浮かぶ掲示板。
横になった瞬間、意識が落ちそうなほど柔らかいベッドと枕。
どれも、見たことのない代物ばかり。
「……魔法って、すごい」
「ええ……本当に」
――コンコン。
突然のノック音に、現実へ引き戻される。
「誰だろ? ここ、専用フロアよね?」
ヒジリが首を傾げる。
「あ、そうだ。ギルドの受付の人が、お父さんの話を聞きたいって」
「へ~。でもギルドの受付って、だいたい女性よね?」
「うん。青髪で碧眼の、綺麗なお姉さんって感じのヒューマn……」
――空気が、凍った。
「もしかしてあたし、お邪魔かしら?」
ヤバい。
完全に怒ってらっしゃる。
「い、いや……大丈夫、だよ」
――コンコンコン。
「ハツキ様? お休みになられましたか?」
今度は、扉の向こうから声。
ヒジリをとりあえずソファに座らせ、扉を開ける。
「こんばんは、ハツキ様。
お疲れでしたら、日を改めますが?」
背後から、はっきりとした殺気。
それに気付いたのか、受付の女性はふと目を細めた。
「……おや? ヒジリ様もご一緒でしたか?」
え?
ヒジリの名前、出してない――
振り返ると、ヒジリはゆっくりと部屋から現れ、
「ごきげんよう」
スカートの裾を軽く持ち上げ、優雅にカーテシーをした。
「初めまして。
ヒジリ=ブラン=エールと申します。
まずは……貴女のお名前を教えてくださらない?」
笑顔。
――でも、目は笑っていない。
「失礼いたしました。
私はリーネ様の使い魔、キューブと申します」
「「……使い魔?」」
「はい」
確かに、この街には使い魔が多い。
でも、ここまで人間そっくりなのは初めてだ。
「……どうやって、このフロアに来たの?」
ヒジリも真剣な顔で見つめる。
「リーネ様が、いらっしゃいましたので」
――え?
周囲を見渡しても、彼女一人しかいない。
「透明化などという陳腐なものではございません。
今も、ここにいらっしゃいますよ」
顔を見合わせた、その瞬間。
……キューブ。周囲に気配はない。私を出せ……
どこからともなく、声。
「かしこまりました、リーネ様」
キューブは目を閉じ、
「人型解除。
オリジナル《匣》に変更します」
宙に浮いた青髪の女性が、膝を抱えるように縮み――
次の瞬間、
ボクの掌に収まるほどの、黒い匣になって床へ落ちた。
カタン。
同時に魔法陣が展開し、
眩い光の中に――人影が浮かび上がった。




