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ホラー短編集

水溜りに映る少女

作者: 桜井 裕之

夜も8時を過ぎすっかり暗くなったその日、埼玉県の秩父地方により近い街中を1台のバイクが走っている。ハンドルを握るのはピザのデリバリー店に勤める20代後半の若者、稲岡敦である。彼は仕事の帰り、自分が働く店でピザを購入し、駅前の近くにあるバッティングセンターで知り合った友人の家に向かっていた。直前まで雨が降っていたが今は晴れて澄み切った藍色の星空が広がっている。友人の住むアパートは人の多い市街地から少し離れた田んぼのあぜ道が続くその先にあり、バイクで行くにはいささか道路の環境はあまりよくはなかった。田んぼを越え家が密集する地域まで行くと道路脇に設置された蛍光灯がその周囲をほどなく照らしてくれる。デコボコした砂利道まで来ると至る所に水溜りがあり、稲岡は速度を落とし地面がへこんで水が溜まっている場所を避けながらバイクを走らせていたその時、ふと、水溜りに1人の若い女性が映りこんでいた。ハッとなって稲岡はバイクを止め、まわりを見渡したがそこに人の姿はなかった。

(……変だな、確かに人の姿を見たと思ったのだが)

稲岡はそう思いつつバイクを走らせようとした瞬間、突如、身体が金縛りにあうかのように硬直し動かなくなった。それと同時になにか重いものが乗っかったような衝撃が走った。

(アレ?どうしたんだ?変だぞ)

周辺は家がまばらで人通りが少なく真っ暗である。道の脇にある蛍光灯は壊れかけていて鈍い明かりがゆらゆらと点滅していた。しばらくして身体の自由が利くようになった。今のは何だったんだろうと稲岡は首を傾げながらバイクを走らせた。

やがて友人の住むアパートに到着した。稲岡はピザを片手に階段を上がり204号室で戸を叩いた。一応、稲岡が今日の夜に伺うことは自前に連絡しておいた。

「あー、待ってください。今、開けますから」

出てきたのは松田信平、半年前くらいにバッティングセンターで会い、フォームを教わったりいろいろとお世話になっている先輩といっていい友人であった。

「あ、どうも、遊びに来ましたぁ」

「……」

「え?どうしました?」

「…おかえり」

「えっ?何ですって?松田さん、寝起きですか?」

「い、いや、何でもないんだ。さあ、上がってくれ」

ずいぶん散らかった部屋だった。稲岡は足元を見ながらテーブルの上にピザを置き、しばし身動きがとれず立ち尽くした。

「いやいや、悪い悪い、いま片付けるから、ちょっと待っててくれ」

松田はそう言うと部屋のあちこちにある雑誌やらビニール袋を隅にどかし座布団を稲岡の足元に敷いた。

「飲み物を出してくる。まあ、そこに座っててくれ」

そう言って玄関先の台所までドタドタと歩き冷蔵庫から缶ビールを取り出すと無造作にテーブルに置いた。松田は今は材木店に勤めているが、それまでは稲岡が勤めるデリバリー店で働いていたと聞く。なぜそこを辞めたのかは分からないが松田にはかつて婚約者がいて一緒になることを約束していたのだが、不幸にもその相手は交通事故で亡くしていると聞いていた。そのことと関係あるのかと稲岡は考えたこともあるのだが追求はしない。

この日はいつもの松田らしくなかった。大抵は野球の話や雑談なので盛り上がるのだが松田の目は妙に虚ろで何か落ち着きがなかった。

「どうしたんすか?身体の具合でも悪いんですか」

「いや、そういうわけじゃないんだ。いろいろと以前のことを思い出しちまって…」

「俺でよかったら話してくださいよ、多少なりとも気持ちが落ち着くかも知れませんよ」

「……そうだな、せっかくピザ持って来てくれたんだし、それに何だかお前がただの友人だとも思えなくなってきたし…話しておいたほうがいいかもしれない」

「えっ?なんか気になりますね。ぜひ、話を聞きたいです」

松田は深呼吸をすると、今は稲岡が働いているデリバリー店で仕事していた頃を話し始めた。



今から10年ほど前の話である。当時26歳だった松田は今は稲岡が勤めるデリバリー店で配達員として働いていた。無遅刻無欠席、失敗もなく店長の小谷登志男からも厚い信頼を勝ち得ていたバリバリの仕事人である。事務員の宮本明子は松田より2つ年下のぽっちゃりした顔付きの若い女性で松田にとって良きアドバイザーであった。松田より2年早くこの店の配達員として働く畑山浩次は松田より3つ年上の何かと世話好きな頼れる先輩だ。松田にとっては快適な環境の中、この店の配達員のエースとして君臨し充実した日々を過ごしていた。ある日、注文がありピザを届けに宮本に住所を確認してもらうと滅多に通らない地域からの注文だった。野木という地名の場所で家がまばらで舗装されていない道もいくつかあった。

「へー、ウチの店もずいぶん有名になったね、こんな地域からも注文が」

松田がおどけながらそう言うと、

「何?それ皮肉?」

と、宮本が笑って応対する。

松田は颯爽とピザをバイクに積みヘルメットを被って目的地を再確認すると、ハンドルを握りバイクを走らせた。ついさっきまで雨が降っていた。松田は雨上がりの空が好きだった。なにか再出発のような新しい空気のようなものを感じるのであった。注文客の住む家は繁華街、もしくは住宅街へと進む道とは逆の方向にあった。それでもたまに通る道である。知らないわけではなかった。しばらく進むと畑がいたるところに現われ視界が広くなっていく。途中、舗装された道がなくなり地面が土でむき出しになっているところを通らなければならない。建物の古い学校と廃屋もいくつかある農家の屋敷との間にある砂利道を突き進むのだ。へこんでいたり山になっていたりのでこぼこした道である。そこを徐行しながら進んでいくとちらほらと水溜りができていた。それらを避けながらの走行である。ふと、正面のやや左側にある大きな水溜りに人影が映っているのを目撃した。5歳くらいの女の子である。ハッと思って周りを見渡してみると人は歩いてなかった。

(気のせいかな。いや、確かに水溜りに子供が映っていたのを見た感じがしたのだが…)

松田は気を取り直し砂利道を抜け古いアパートが並ぶ目的地に到着した。右側にある狭い道に入ってそのすぐ手前にあるアパートの1階奥の住民である。

「どうも、ピザを届けにまいりました」

「あー、どうもどうも、ごくろうさまですぅ~」

無精ひげを生やした男が照れくさそうに玄関先に現われピザを受け取ると代金を松田に渡した。松田は外へ出ると振り返り、この地域でも、もっとウチのピザを食べてくれる人が増えたらいいなぁ~などと思いながらバイクに跨ると急ぎ早に店まで戻っていった。

店に戻って少しため息をつくやいなや、宮本が「どう?ちゃんと届けられた?」とにっこりしながら言う。

「あー、問題なかったよ、でもあの地域って砂利道もいくつかあって拓けてないなぁとか思ったりもするよね。配達に行く途中、なんか古びた小学校だか中学校があるんだけど、生徒いるのかな」

「小学校ね。もうとっくの昔に廃校になってる。建物だけずっと残っている」

「そうかぁ~いつかは取り壊される運命か。いや、そのまま残されたりして」

そんな話をしているところへ畑山が配達から戻ってきた。松田が思い出したかのように畑山に言う。

「あー先輩、アレ、いつになったら返してくれるんですか?もう、だいぶ経ちますけどぅ~」

「ああ、アレか。悪い悪い、明日持っていくわ、おわびに今日あたり一杯おごるよ」

アレとはゲームのことである。畑山は宅配の伝票を代金を整理しながら松田に言った。

「野木方面まで行ったんだって?滅多に注文ないだろう、あそこの地域は」

「ええ、配達している最中に思いましたよ、ここも拓けてもっとウチのピザを食べてくれるといいなって」

「さすがは松田、いかなる時も店のことを考えるとは」

「いやいや、でも先輩もたまにあの地域で配達とかあるでしょ」

「いや、ないんだよ」

「えっ?」

「うーん、何と言うか、縁がないというか、俺はないんだよなぁ~まあ、いずれ出番がまわってくると思うけど」

配達員によってそれぞれの担当するエリアはあるのだが、滅多に注文のない地域に関してはそのつど対応していくのがこの店の方針だった。しかし松田にとって自分よりも2年長くこの店で仕事をしている畑山が未だ一度もあの地域に足を踏み入れたことがないというのは意外だった。

その日は畑山のおごりで店から歩いて数分足らずのところにある居酒屋で少し飲んだあと、松田は家に帰った。


それから幾日が過ぎて前日に大雨が降っていたあくる日の店内で、宮本が注文のメモを持って松田のところへ来た。

「以前、配達に行った所ね、場所は野木の田んぼを越えた先にある一軒のアパートに住むお客さん」

「えーっと、ああ、あそこか。よく覚えてるよ、その日も雨が降っていたよな」

松田はピザをバイクに積むと進路方向を滅多に行かない道に向けて出発した。地面が濡れていて湿気が凄い。少し風が吹いているが5月の中旬にしてはすでに梅雨時のような生暖かさがある。出勤する直前まで雨が降りしきっていた。道路脇の下水口あたりは水がゴボゴボと音を立てて流れ込んでいる。バイクはあたり一面が畑で覆われているところを抜け、やがて旧小学校と廃屋が並ぶお屋敷の間にある砂利道に差し掛かった。地面にいたる場所に水溜りがある。徐行しないと進めないほど道がでこぼこしている。ふと、水溜りに人が映っているのを見た。

(うっ!この光景、前にも同じことが……)

少女の姿が大きな水溜りの水面にゆらゆらと浮かんでいるように見えた。だが、周囲を見渡しても誰もその道を歩いている人はいなかった。一度ならず二度までも同じ奇妙な出来事に出くわしてしまった松田はさすがに気分が悪くなった。砂利道を抜けて注文先のアパートまで行き1階奥の戸を叩く。無精ひげの男が出てくる。見覚えのある顔だ。その男がピザを受け取りながら松田に言う。

「このあたりってそちらさんに注文を頼むのって私だけでしょうかね?」

「い、いや、そんなことありませんよ、ウチはけっこう、広範囲に配達しておりますので」

「そうですか。なんか安心しました」

「これからもご贔屓のほど、お願いいたします」

松田は注文客にそう言って外に出たが、最近、この地域でピザを注文するのは先ほどの男だけであった。そもそもなぜ客があんな質問を自分に投げかけたのか?何が安心なのか?よく分からなかった。頭の中がすっきりしないまま松田が店に戻ると宮本が心配そうに声をかけた。

「なんか顔色が悪い。何かあった?」

「いや別に…そうか?そんなに顔色悪いかな?」

「うん…なにか…変なものを見たような…私の気のせいかな」

「そうなんじゃないの、いろいろと気にしすぎだよ、アキちゃんは」

「よっ!」

後ろから声が掛けるとともに松田の右肩に何かが乗せられた。目を自分の肩に向けるとゲームのパッケージだった。

「あっ!これ」

「おー、悪い悪い、自分ですぐ返すと言っておきながら、そう言っていたこと忘れちまってな」

「俺も忘れてました。いや、よかった。本当に忘れちまったらどうしようかと」

「ハハッ。まあ何にせよ、ありがとな。そうだ、今日あたり飲みに行くか。おごりじゃないけど」

そう言って畑山は今度は宮本に目を向けた。

「アキちゃんもどうだい?たまには付き合ってくれても」

「そうね。たまには付き合おうかしら、暇そうな2人に」

そう皮肉交じりに宮本は答えた。勤務時間を終え3人は松田と畑山がいつも行っている店に入っていった。適当にテーブルを見つけ3人が座り注文を頼んだ後、一息つくと宮本が2人に言う。

「ねぇ~いつも2人でこの店に通って何話してるの?すごく仲いいじゃない?」

「いや、いつもってワケじゃないけどさ、仕事が終わるとなんか飲みたくなるじゃん、松田もそんな感じだから、なあ~マツ~」

「ああ~そうですね。え~先輩の言うとおりですよ、そんなに深い意味ないって」

3人はしばし雑談で盛り上がっていたが、松田は酔いがまわると気に掛かることが頭の中で大きくなっていき2人に話そうかどうか迷いはじめていた。野木の地域で最近になってから自分のまわりで起こっている不可解な出来事の一件である。松田は遠まわしに話の矛先を変えようとした。

「あのさ~最近、自分のまわりで変わったこととか、不思議なこととか…ない?俺、けっこうそういうの興味あったりして」

「えーっ、松田さんがぁ?何?怖い話とか好きなの?」

「好きってわけじゃないけどさ、でも、話のネタとして面白いじゃん?」

畑山は苦い顔をしながら腕を組み、俺はあまり興味ないなぁ~と言いたげである。宮本が思い出したかのように言い出した。

「そういえば店長がこんな話をしていたわよ、俺はたまに予知夢を見るんだってな話。夢で見た出来事が実際に起こるんだって。ちょっと前に夢の中で車を走らせていたら酔っ払いが飛び出してきて轢いちゃったんだって。車から降りて轢かれた人の様子を窺うとピクリとも動かなくてうわ~となったところで目が覚めたって。その日の朝、出勤のために車を運転中、酔っ払いじゃないけど高齢の人が突然飛び出してきて轢きそうになったと。夢で事故を起こしてるからそれがあって避けられたんじゃないかって話なんだけど、店長が言うにはそういう自前に夢で知らせることがたびたび起こるんだって」

「へー、よかったじゃないか、俺達のことも予知夢とやらで何かあったら知らせてくれるといいな」

畑山は頭を掻きながらそう言うと宮本が妙なことを口にした。

「その店長がね、つい最近夢の中で私に出会ったんだって。でこぼこした道を車で徐行していて周りに水溜りがいっぱいあってその中のひとつに私が映っていたんだって」

「何だいそれ?店長ひょっとして君に気があるのでは?」

「そんなことあるわけないでしょ、3人も子供がいる人が。うん?どうしたの松田の信ちゃん、深刻な顔をして」

すでに酒が入って少々酔っている宮本が隣に座っている松田の顔を覗き込んだ。

「いやぁ、なんでもない…」

松田は黙り込んでしまった。松田は結局、自分が体験していることを話せず、その日の飲み会は終了し、それぞれ家路に向かった。


それから何日が過ぎて松田は繁華街のある地域のいつも贔屓にしてもらっている常連客からの配達を終え店に戻ってくると事務室には誰もいない。その日は朝まで大雨が降っていた。ようやく止んだかと思えば湿気が凄い。妙に静まり返った空気の中、店長の小谷が事務室に入ってきた。

「あー、松田くん、ちょっとみんな留守でね、配達お願いできるかな?」

「えー、いいですよ」

「実は初めてのお客さんなんだ」

小谷はそう言ってメモを松田に渡した。メモには届け先の名前と住所が記されていたが、野木の以前に2回ほどピザを配達したことのある客の住む地域をさらに越えたところにあった。松田は店長がこしらえたピザを受け取りバイクに積むと野木方面に向かい出発した。松田はこの配達を契機に突き止めたかった。過去に起きた不思議な出来事を。あの水溜りに浮かぶように見えた少女は果たして幻覚なのか?それとも本当に見たのか?それを確かめたかった。迷いをふっきるためにも自分にとっては大事なことだと松田は思ったのである。(3度目の正直という言葉もある。よし、今度こそ確かめるぞ)

松田はそう思いつつ濡れた地面を縫うようにバイクを走らせ街の中を越え、畑を越え、あの砂利道の入口付近に差し掛かった。両脇にある旧小学校と廃屋と化した屋敷……(ここだ。俺はここで見たんだ。アレを…)

松田は慎重に砂利道の中に入り、一つ一つの水溜りを見ながらバイクをゆっくりと進ませた。とにかく湿気があたり一面を覆っていた。息苦しい。不快感が尋常ではない。しばらく進むと正面にある大きな水溜りにかつて自分が見たあの時の少女が水面に映し出されていた。バイクを止め、様子を窺ってみる。松田は緊張していた。その緊張が緊迫感に変わり、やがて恐怖感へと変わった。身体が硬直して動かなくなったのである。

その時である。水溜りに映る少女がゆらゆらとこちらに向かってきた。身体が動けない。それまで聞こえていたバイクのエンジン音も耳に入ってこない。何も聞こえなくなった。ただ、目だけが近づいてくる少女を凝視していた。松田は恐怖のあまり気を失いかけた。次の瞬間、目の前が白くなり急に身体が重くなったかと思うと我に返ったように周りの音が聞こえ始め身体も動かせるようになった。正面にある水溜りから少女の姿は消えていた。松田は周囲を見渡しながら再びバイクを走らせた。

(幻覚などではなかった…何だったんだろう、いったい、あの子は…)

しばらくすると以前、配達に伺った事のある客の住むアパートまで来た。今回は通り過ぎてさらにバイクを進ませなければいけない。だいぶ家屋がまばらになってきた。ほとんど人も歩いていない。突き当たりにある巨大な樹木がこちらを見下ろしているかに見えた。目的地はその右側にある間宮という表札のある一軒家だ。松田は到着するとピザを取り出しその家の玄関先でブザーを鳴らした。

「こんにちわ、ピザをお届けにまいりましたぁ」

「あ、どうも。ごくろうさんです」

ドアを開けると奥さんと思われる人が立っていた。片手にピザを持つ松田を何故だか、びっくりしたような表情で見ている。(ん?どうしたんだ?俺の顔になにか付いてるのかな)その後、その女性は後ろのほうに向かって「あなた!すぐ来て、お願い!」と大声で叫んだ。すると後方から今度は夫であろう人がつかつかと玄関先まで歩いてきた。さらにその子供であろう男の子が小走りで近づいてきた。3人は愕然とした表情で松田を凝視していた。

「あ、あの…なにか?」

すると男が地の底から呻くような声でつぶやいた。

「……おかえり」

「えっ?」

時が止まったような雰囲気に包まれたが、やがて女はハッとした表情になり「ごくろうさんです。おいくらでしょうか?」と照れくさそうに財布を出した。ピザは男の子が受け取るとすぐに背を向け奥へと引っ込んだ。玄関を出てバイクに跨り、ふと、先ほどピザを届けた注文先の家の方に目をやると、男が松田にたいして深々と頭を下げていた。松田は不思議な気持ちに覆われながら店に戻っていった。


あくる日、松田がデリバリー店に出勤すると事務室にいる宮本が何時に無く物静かで様子が変だった。

「どうしたい。今日は元気ないじゃないか」

「いえ、別に…」

宮本が怪訝そうな顔つきで松田を見つめた。なにか言いたげな表情にも見えた。その日も配達に追われ松田は何事もなく仕事をしていたのだがは昨日、起きたことが忘れられずに憂鬱であった。いつまでもこんな状態では仕事に集中できないと思い定めた松田は誰かに自分の周辺で起きている不思議な体験を話したくなっていた。そんな気持ちに絡められている状態でその日も仕事を終え着替えて店を出ると、その帰りがけに宮本を発見したのであった。

「アキちゃん、ちょっと付き合わない?先輩まだ店にいるけど呼んでさ、また3人で」

「ううん、でも私も松田さんに話そうかなって思っていたことがあって…」

「えっ?それなら都合いいや」

「でも畑山さんは関係のない話なんで、喫茶店とかでもいいから2人だけで」

宮本にそう言われてまんざら悪い気持ちがしなかった松田は繁華街にある喫茶店に2人して入っていった。コーヒーを注文した2人は顔を見合わせながら黙っていたが先に沈黙を破ったのは松田だった。

「あのさ、話ってなに?」

「うーん…後で話すね。それより松田さん、体調のほうはどう?今日も思いつめたような顔で仕事していたみたいだけれど」

宮本は鋭い。やはり感づかれていた。平静さを装いながらもその不安定な気持ちが顔に出ていたのかもしれない。しかし宮本にしても今日は朝から様子がおかしいと松田は思っていた。宮本は何か知っているのではないのかと松田は感じたのである。松田は思い切って野木の地域で自分の身に起きている不思議な出来事を宮本に話そうと決意した。

外はいつしか小雨が降っていた。2人は傘は持っていない。2人が座るテーブルは店を入って奥のほうだったが窓からは外の景色がよく見えていた。松田は野木で起こる話を宮本に話し終えると安堵感を得たような居心地になった。誰かに話してその反応を伺いたい気持ちもあった。今度は宮本が口を開いた。

「あのね、松田さんが昨日、配達に行ったその間宮家の人たちというのは私の親戚にあたるの」

「そうなんだ。あそこの家族って夫婦と男の子ひとり?3人家族だよね。なんか御主人はとても礼儀正しい人で…深くお辞儀されてびっくりしたけど」

「女の子もいるの。いや、正確にはいたのよ、女の子が」

「……!?」

「配達先に行く途中、今は廃屋となっている小学校があるでしょ、その隣にある舗装されてない道で交通事故にあって亡くなったの」

「……」

「実は昨日の夜、間宮宅の叔父さんから電話があって娘が帰ってきたって…嬉しそうにそう話してたって母が言うの」

「……それってまさか…」

「配達員が来たとき、その玄関先で…配達員が娘をおんぶしていたって。娘が配達員の首にしっかりつかまっていて……顔の左半分がつぶれてなかったけど、確かに自分達の娘だったって。そしてスーッと消えたらしい」



松田は10年前になるであろう自分が経験したことをそこまで話して黙り込んでしまった。稲岡は唖然とした表情で松田の顔を見ている。夜もすっかりふけて22時を過ぎようとしていた。稲岡は軽やかな気持ちでかつては自分が勤めるデリバリー店で働いていた松田の住むアパートを訪問したのだが、次第に後悔し始めていた。自分がここに来る直前に体験したことと酷似していたからだ。それが気になって仕方がなく、心の中で重く揺れ動いていた。

「松田さん、その話って10年くらい前ですよね、その…水溜りに女の子が映ってるって……その両親がその子を見たとかって……それから先もそういう不思議な出来事に見舞われたんですか?」

「いいや、それが最後だった。そしてその出来事というのが俺と宮本の関係を親密にしていったキッカケでもあったんだよ、前に話したろ、俺には婚約者がいたって」

「……そう…ですよね」

「アイツが事故にあうことさえなければなぁ~俺はこんなところで1人しんみりと暮らしているようなことはなかったんだけどな、本当に残念だよ」

「……松田さん…」

「でもなぁ~お前が来てくれたおかげで…」

そういうと松田は上着からスマホを取り出し婚約者だった女性の自撮り写真を見せてくれた。その写真を見て稲岡は愕然とした。それは松田の家までバイクで向かう途中に目撃した、あの砂利道で水溜りの水面に浮かび上がっていた女性であることに間違いなかった。

「こ…この人って……そういえば松田さん、俺が来たとき、おかえりって言ってましたよね」

「ああ~、そうだよ、宮本明子。俺と結婚するはずだった人だ。ここへ来る途中、砂利道があっただろ?そこでバックしてきたトラックに轢かれちまってなぁ~。でも、もう悲しくなんかない、お前がおぶって連れてきてくれたんだから。ありがとな、稲岡」












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