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9.旦那様と初めての夜


 その夜、ルイーズはメイドたちに引きずられてシリルの部屋を訪ねた。


「シリル様、ルイーズです。少しよろしいでしょうか」

『? どうぞ』


 扉の向こうからは、不思議そうな声が返ってくる。軽く振り返ると、近くの角でニコニコとこちらを見守るメイドたちに頷かれた。


(応援してくれているのよね……)


 城での生活を送る中で随分親しくなったこともあり、純粋な厚意なのだろう。そう思うと無下にもできなくて結局ここに来てしまった。

 ややあってから開けてくれた扉からそろそろと顔を覗かせると、シリルが首を傾げた。扉が閉まったことを確認して、息を吸う。


「……突然申し訳ありません。今夜、一緒に寝てもよろしいでしょうか」

「……」


 シリルの目が瞬く。


「どうしたの。大胆だね」

「! そ、そうではなく……いえ、そうなんでしょうか……」

「何か理由があるのかな」


 歯切れの悪い様子から、事情があることを察してくれたらしい。ルイーズは同意するように眉を下げる。


「申し訳ありません。私の失言でシリル様と寝室を別にしていることを心配されてしまい……。式の夜のように誤魔化せたらよかったのですが、今も外にメイドたちが」

「……なるほど」


 扉を一瞥したシリルが、納得といった顔で口元に手を当てる。それから、にっこりと微笑んでルイーズの手をとった。


「わかった。おいで」

「あっ、よろしければソファを貸していただけると……!」

「何言ってるの。一緒にベッドで寝よう」

「それは申し訳ないので……!」

「夫婦なのに?」


 求婚された時と変わらない優しさであっさりと受け入れられて戸惑う。


(この間の冷たい目はどこへ……⁉)


 ここまで来てはしまったけれど、形だけの初夜を思い出すと素直に頷けない。シリルは、嫌なのではないだろうか。突然押しかけてきただけでも申し訳ないのに。


「僕と寝るのは嫌? それともお姫様だっこで運ぼうか」

「⁉ い、いえ、それは……」

「じゃあ、僕がソファに行こうか」

「ダメです!」

「でしょ?」


 取られた手を軽く握られる。どうやら離してくれる気はなさそうだ。


(そういえばシリル様は明日も公務よね。早く寝たいのかもしれないわ……)


「……それでは、お言葉に甘えてベッドをお借りします……」


 手を引かれるまま、二人で広いベッドに入る。繋がれていた指先がほどけ、そろそろと寝転がる。その上からシリルがそっとシーツをかけてくれ、久しぶりに横たわったベッドで控えめに呼吸する。


 石鹸と太陽とシリルの匂い。一人で眠った時よりもずっとずっと深く包まれる。思わずうつむいてしまった。

 視線の隅に、散らばった金髪が映る。視線を上げると、シリルは穏やかな笑みでこちらを見ていた。


「明かり、落としてもいいかな」

「は、はい……」


 どきりとして、声が軽く上ずった。


(……背を向けるのは失礼かしら。もっと近づいた方がいい?)


 悶々としているうちに明かりが落ち、部屋の中がうっすらと暗くなる。カーテンの隙間から射しこんだ月明りだけが頼りの室内に息を呑む自分の音が響いた気がした。


「おやすみ、ルイーズ。辛くない体勢で眠ってね」

「あ……ありがとうございます。おやすみなさい」


 迷いを見透かされたのか気遣われてしまった。シリルが仰向けになったので、倣うように上を向く。ぎゅっとシーツを握り締めて目を閉じた。

 緊張で眠れるか不安だったけれど、少し経つと睡魔が襲ってきた。


(なんだか、あたたかい……)


 二人分の体温が馴染んでいるからか、心地よい。隣から聞こえる、自分以外の微かな呼吸音。誰かと一緒に眠るのなんて、母がまだ生きていた時以来だった。




 はっきりとしない意識の向こうで、声が聞こえた。


「……うう」


 導かれるように意識が浮上して、まぶたが勝手に持ち上がる。いつの間にか寝てしまっていたらしい。

 夢と現実の狭間、まだぼんやりとした頭にまた苦しそうな声が響く。


(……唸り声?)


 耐えるようなそれは、隣からだった。寝入った時のまま仰向けだったルイーズが体を横に向けると、眠るシリルが目に入る。


「うっ……」

「シリル様……?」


 体調面の不安が頭を過るけれど、唸り声が収まると今度は健やかな寝息が聞こえ始めた。それからまた、苦しそうな声に変わる。

 かろうじて表情がわかる薄闇の中、シリルは眉の間に皺を寄せ、唇をぎゅっと噛んでいる。


 怖い夢でも見ているのだろうか。

 荒くなる息に心配な気持ちは募るけれど、どうすればいいのかわからない。おろおろとしていると、ふいに長いまつ毛が瞬き、夜明け色の瞳が覗く。同時に手が伸びてきた。

 白くて細い、けれど骨格のしっかりした腕が行き場を失くしたようにシーツを掻く。まるで何かを探すように、乞うように。

 薄く開いた瞳は不安そうに揺れて、眉間にはまた深い皺が刻まれる。


「……シリル様」


 ――ほとんど反射的な行動だった。


 唇を引き結び、自分より大きな体を抱き締め返した。布越しにシリルの体温と速い鼓動が伝わってくる。背中をそろりと撫でると、彼の方からも抱き締められた。


 どれくらいの間、そうしていただろうか。

 荒波のように忙しなかった音が少しずつ凪いでいき、やがて落ち着きを取り戻す。唸り声はもう耳に届かず、代わりに規則正しいすうすうという寝息が触れた。


(寝た……? よかった)


 安堵して体を離そうとするけれど、強く抱えられているため動けそうもない。

どくん、どくんとシリルの心拍が心地よく響く。眠れていることにほっとすると、急に自分の大胆な行動に気づいてしまった。


 シリルの香りをすぐ近くに感じ、息をするたびに強く認識する存在。自分よりも大きな、逞しい胸板を意識してしまう。

 どうしてこんなにドキドキしているのか、わからない。


(今まで男の人と抱き合って眠ったことなんてなかったから……よね?)


 きっとそう。きっとそうだと言い聞かせるように唱えてぎゅっと目を閉じる。

 最初は鼓動の揺れがおさまらなかったものの、心拍の音に安心したのか一度消えかかっていた眠気がまた押し寄せてきて、ルイーズも深い深い眠りの底へと落ちていった。


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