7.義母と義妹、襲来する
イネスに案内された客間でしばらく待っていると、怖いくらい満面の笑みを浮かべたアンナとサラが入ってきた。オーブリーは一礼して部屋を出て行き、室内には紅茶の用意をするイネスを含めた四人だけが残る。
「会いたかったわぁ、ルイーズ」
「……ご、ご無沙汰しております。お義母様。それにサラもお元気そうで」
「やだ。お義姉様ったらなんだか他人行儀」
アンナとサラはくすくすとおかしそうに笑って、向かいのソファに腰を下ろした。二人に紅茶を出し終えたイネスが、ルイーズの後ろに控える。
(どうして、こんなに親密感を出してくるのかしら……)
手のひらを返したような態度に、何かを企んでいるのだろうかと身構える。
「あの、本日は何かご用が?」
「かわいい娘に会いに来ただけよ? それと……少し相談があるくらいかしら」
「相談……?」
「ええ、ルイーズも知っての通りロベール様はお体が悪いでしょう。そのことでね」
「え、まさかお父様に何か……!」
「そうじゃないわよ」
ほっと安堵したのも束の間、アンナの赤く色づいた唇が弧を描く。
「ほんの少し、生活が厳しいのよ。王太子妃の実家の生活水準が低いなんて許されないでしょう?」
「……」
――ああ、やっぱりそういうことか。
なんの目的もなく嫌っていた義娘に会いにくるわけがないとは思っていたけれど、案の定利用するために来たらしい。
ロベールの病気に関しては、結婚を決めた時の約束通りシリルが援助をしてくれている。生活だって、贅沢をしなければ今までよりもずっと楽になっているはずだ。それでも必要ということは――。
(……今までにない大金が入ったから無駄使いをしたってところかしら)
「ねえ、殿下にお願いして援助金を増やしてもらえない?」
「いえ、それはできません」
きっぱりと断ると、アンナの眉がぴくりと動く。
「……何よ。冷たい娘ね」
「お父様の治療費は十分なほどの額を援助していただいたはずです。それにシリル様のお金はシリル様のもの。そして国の大事なお金ですから」
「……ほんっとお義姉様ってば使えない」
それまで黙っていたサラの眉間にも、苛立ったような深い皺が寄る。
「役立たずのお姉様がようやく使える時がきたっていうのに……!」
「そうよ。今まであなたを家に置いてやってたのは誰だと思っているの?」
ルイーズの返答が想定外だったのか、イネスがいるにもかかわらずアンナとサラはまくしたてるように責め立ててくる。久しぶりにこの二人から、それも真正面から浴びた悪意が胸に突き刺さるけれど、ルイーズは答えを変えるつもりはなかった。
頭の中に、亡き母とのいつかの記憶が蘇る。アメリーから学んだ、とある教えだ。
(シリル様の援助は求めない。でも、お父様のことは心配。それに私は――)
口を開きかけたその時、ノックの音が響いた。
『お話中失礼いたします。シリルですが、入ってもよろしいですか?』
「えっ⁉」
扉越しに聞こえるシリルの声に、アンナがぎょっとした声を上げる。
「ど、どうぞ!」
「失礼いたします」
イネスがドアを開けると、シリルが部屋に入ってくる。ルイーズより先に、アンナとサラが慌てたように立ち上がって頭を下げた。
(シリル様? どうしてここに……)
「どうか楽にしてください。お二人が来ていると聞いてどうしてもご挨拶がしたくて」
「わ、わざわざ申し訳ありません」
「いえ、大切な妻のご家族なのですから」
シリルは笑顔で応えて、ルイーズの隣に腰を下ろした。アンナとサラに、さっきまでの勢いはない。斜め後ろのイネスをちらりと見遣ると、控えめに頷かれた。もしかすると、オーブリーが伝えに行ってくれたのかもしれない。
二言三言世間話を挟んでから、シリルはにっこりと笑みを深めた。
「少し話が聞こえてしまったのですが、何かお困りごとがあるようですね」
「!」
ぎくりとアンナとサラが肩を揺らす。
「え、ええ……まあ」
「私から金銭的な援助が欲しいという認識で合っていますか?」
「そう……ですね」
アンナが、バツが悪そうに視線を彷徨わせる。
「ロベール卿の病気に対してなら、ルイーズ嬢と結婚をした際に援助をしたはずですが」
「そう、なのですけど……」
「十分に療養できる額をお約束しているはずです。それでも、足りないとおっしゃるのは何かご理由が? ロベール卿の病状が悪化されたということでしたら私も力になりたいとは思うのですが」
「それは……その……」
笑顔の圧にアンナは口ごもり、サラは急に黙り込んでうつむいてしまった。シリルの物言いからすると、援助を断ろうとしているのだろう。ルイーズの胸に申し訳なさや情けなさ、恥ずかしさが押し寄せてくる。シリルがこんなふうに相手に強く出るところは初めて見た。
(当然だわ。何か理由のある契約結婚だとしても、お金が欲しいと言われていい気分がするはずないし)
立場上すり寄られることには慣れているかもしれないけれど、妻の家族からも利用されるのは複雑だろう。
「わかりました」
「……ルイーズ?」
声を発すると、シリルの視線を感じた。
「私のお金でよければ、お渡しします」
「!」
隣から息を呑む気配がした。サラが弾かれたように顔を上げる。
「い、いいの?」
「はい。私が貯めたお金ですから。まずお父様の病気療養のために……それから皆さんの生活のために使用してください」
「ええ、ええ! 必ず約束するわ!」
アンナは感激したように目を輝かせ、サラはほっとしたように息を吐く。
(これでいいのよね。シリル様が来る前からこう返事をするつもりだったし)
「……」
隣を見ると、シリルは何かを考えるように黙り込んでいた。
「で、ではお話も済んだことですし私たちはこのあたりで失礼いたしますわ……」
気まずさに耐えかねたのか、アンナとサラがそそくさと立ち上がる。シリルとルイーズもほとんど同時に腰を上げた。
「お見送りいたします」
「い、いえ! 殿下にそこまでしていただくわけには!」
「そうですか……では、イネス。お願いできる?」
「かしこまりました」
イネスの案内を受けながらアンナとサラが去ると、「ルイーズ」と名前を呼ばれた。体ごと横を向くと、静かな眼差しが待っていた。
「ねえ、どうしてあんなことを言ったの?」
声のトーンが、いつもより低い気がした。
(……シリル様、なんだか不機嫌?)
「ロベール卿に対してならともかく。君のことを使用人のように扱っていたあの二人に対して援助をする理由が僕にはわからない。大体、君だって渡したお金が本当にロベール卿の治療に対して使われると信じているわけではないだろう?」
シリルの語気がだんだんと強くなっていく。
「聞こえていたけれど随分ひどいことも言われていたでしょ。それなのに、どうしてそこまでするの?」
「それは……実の母の教えなので」
いつにない雰囲気に気圧されながらも答えると、シリルが目を丸くした。
「亡くなった実の母が、他人にも優しくしなさいと言っていたんです。自分もたくさんの人に助けられて生きてきたからって。ですから……相手が誰であれ私にできることがあるのなら力になりたくて」
「甘いね」
響いたのは、呆れたような声だった。