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4.結婚式と妻の仕事


 レオンへの挨拶を終えると、聖堂で式が執り行われた。


 ステンドグラスから透けた陽光が、厳かな空気で満たされた聖堂内に鮮やかな光を散りばめている。祝福の視線に包まれながら、ルイーズはドレスのレースを足元で揺らして祭壇の前へと歩を進めていった。


 式は滞りなく進み、口づけを交わす時間が訪れる。全身に緊張感をまとわせているルイーズのベールが、シリルの長い指先によって上げられた。どきりと胸が鳴る。

 シリルが、いつにも増して朗らかな笑みを浮かべた。


「愛しているよ、ルイーズ」

「……!」


 告げられた愛の言葉は本気じゃないとわかっているのに、薄明の空を思わせる美しい紫色にまっすぐに見つめられると、雰囲気に吞まれてしまったのか鼓動が否応なく反応してしまう。

 まるで本当に好きな人に愛を囁いているような温度感の声。甘い声色を浴びたからか、結婚するという実感が今になってようやく湧いてくる。


(お飾りの妻だけど……私、本当に『結婚』するのね)


 これはシリルにとって周囲に夫婦だと示すための儀式のようなもの。ルイーズにとっても穏やかで自分らしい生活への第一歩だ。

 自分で選んだ道。夫婦としての大仕事だからこそ、しっかりとこなしたい。


「……私も愛しています、シリル様」


 シリルの口元が、満たされたように弧を描く。そのままルイーズの頬に手を添えると、顔を傾け、ゆっくりと唇を近づけてくる。


 儀式に必要なものとはいえ、ルイーズにとっては初めての経験だ。つい、身を固くしてしまう。

 けれど、柔らかなキスは唇ではなく、そのすぐ横に触れた。

 周囲からは本当に誓いのキスをしているように見えただろう。そっと距離をとったシリルが、にこりと微笑む。もしかして、緊張が伝わって気遣ってくれたのだろうか。


(よかったのかしら……)


 少しの気がかりを残しながらも、とにかくようやく一番大きな行事を乗り越えたことに安堵する。

 無事に愛を誓い合った後は、結婚披露パーティーがあるけれど、それさえ終わればひとまず彼の妻としての仕事は落ち着くと言われている。


(あと少しの辛抱ね……)


 こっそりと息を吐き出したその時、ふと、今までとは違うぞわりとした視線が肌にまといついた。目線を動かした先――聖堂の脇にいるのは、この国の王宮騎士団だ。


(……気のせい? 今、なんだか嫌な気配を感じたような……)


 今この瞬間に騎士団から不穏な空気は感じないし、もしかするとその近くに座るアンナやサラからの不満を含ませた視線だったのかもしれない。


「ルイーズ?」


 体に軽く力が入ったルイーズを見て、シリルが小声で声をかけてくる。


「もしかして緊張してる?」

「! 申し訳ありません、少し」

「そう。かわいいね」


(か、かわいいって……)


 他の人に聞こえないように小声で囁かれて、鼓動が跳ねた。男の人に言われたのは初めてで反応に困る。シリルはどこか悪戯っぽく、それでいて愛おしそうに微笑んでいた。


「……初めてな上、このような場はあまり慣れていないもので」

「大丈夫だよ。僕がいるから」


 安心させるような穏やかな言葉に安堵する。それでいてまだ少し案ずるような眼差しに、いけない、と気を引き締めた。




(ようやく一息吐けそう……)


 城の関係者や貴族たちで賑わう結婚披露パーティーは、挨拶に挨拶を重ねるうちにあっという間に終盤に差し掛かっていた。


「大丈夫? 疲れたでしょ」

「少し。でも、これも私の務めですから」

「頼もしいな」


 口元に手を当てて、シリルが上品に笑う。

 ふと彼の執事が近くにやってきて、何やら小声で会話を交わし始めた。手持無沙汰になったルイーズは、シャンデリアのまばゆい光の中、談笑の声で満たされている大広間をなんとなく見回した。やっぱり自分には不釣り合いの華やかな空間だ。


「……?」


 ふと誰かに見られている感覚がした。顔を動かすと、少し遠くから赤い髪の令嬢――さきほどの挨拶中にカミーユと名乗った彼女から強く不快そうな視線が注がれている。にこりとぎこちなく笑みを返してみるけれど、ふいっと目を逸らされてしまった。


(これはあまりよく思われてなさそう……)


「ルイーズ」


 執事と話を終えたらしいシリルに、声をかけられる。


「申し訳ないけれど少し席を外すよ。一人は心配だから、誰か騎士をつけよう」


 シリルが少し離れたところで待機している騎士団を見ると、その中の一人がそれに気づき近づいてきた。その顔を見た瞬間、あっと気づく。式の途中、聖堂で見かけた騎士団の中にいた人だ。


「お呼びでしょうか、シリル様」

「……ああ、クロード」


 クロードと呼ばれた艶やかな黒髪の騎士が、恭しく胸に手を当てる。


「少し席を外すから、ルイーズのことをお願いできる?」

「かしこまりました」

「ルイーズ、クロードの傍から離れないようにね」

「わかりました」


去っていくシリルを一礼しながら見送ったクロードが、ルイーズを見た。


「ルイーズ様、お初にお目にかかります。騎士のクロード・ベルトンと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 胸に手を当てたクロードが、礼儀正しく頭を下げる。

 凛々しい眉と艶のある短く黒い髪。彼が顔を上げると、聡明さを感じさせる涼やかな眼差しとぶつかった。


「ルイーズと申します。クロード様、こちらこそよろしくお願いいたします」

「どうぞクロードとお呼びください」

「では……クロードさん」

「ふふ、はい」


 クロードが、ふ、と目元を和らげる。これまでの硬い雰囲気が崩れ、ほんの少しだけ親しみやすさのようなものが見えてほっとした。


「何かお飲みになりますか?」

「いえ、さっきいただいたので大丈夫です」


 そうですか、と答えたクロードが、そわそわと大広間を見回した。


「クロードさんは何かお飲みになりますか?」

「ああ、いえ。こういう堅苦しい場は苦手でして……恥ずかしながら緊張しています」

「クロードさんもですか?」

「ルイーズ様もご緊張を?」

「実は」


 クロードが安堵したように目を細める。最初の印象とは違い、思いのほか話しやすい人だ。


「シリル様にはお仕えして長いのですか?」

「ええ、正式に騎士になってからはずっと。それ以前にシリル様とは昔馴染みなので、付き合い自体は幼少期からあります」

「そうなんですね」

「幼い頃は友人関係でもあったのですが――」


 クロードが、不自然に言葉を止める。


「私が嫌われてしまったので。今は騎士としてお仕えしているのみです」


 クロードの口元に、無理やり作ったような笑みが浮かぶ。


(嫌われている……?)


 さっき話していた時は特に違和感を覚えなかったけれど、それは自分が事情を知らないだけかもしれない。何かあったのか、と踏み込むような関係性でもないしどう応えるべきか迷っていると、クロードが気まずそうに眉を下げた。


「申し訳ありません、気を遣わせてしまいましたね。忘れてください。それより――」


 クロードが背後に視線を向けると、そこからイネスが顔を覗かせた。


「ルイーズ様、少しよろしいですか?」

「イネス、どうしたの?」

「パーティーが終わりましたらすぐに用意のためお部屋に伺おうと思いますので、心の準備をなさっていてくださいと伝えにまいりました」

「用意? 心の準備?」


 この後はただ部屋に戻るだけ……の予定だった気がする。


「ええ、大事なご予定ですから念入りに準備をしないといけません!」

「だ、大事な……?」


 何か忘れているのだろうか。話が見えずにきょとんとしていると、イネスが信じられないといったように目を見開いた。それから、耳元に唇を寄せて囁いてくる。


「今夜は殿下との初夜ですよ!」

「しょっ……」


(完全に存在を忘れてた……!)



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