3.お飾り王妃になりました
馬車で五日かけて王都に着くと、城中の使用人、それから王宮騎士団が出迎えてくれた。当然ながらクラルティ家とは比べものにならない立派な外観をした城、それから盛大な歓迎に圧倒されてしまいルイーズは笑顔を引き攣らせた。
一通り城内を回った後、ルイーズが案内されたのは金と白を基調とした煌びやかな一室だった。
「ここがルイーズの部屋だよ。好きに使ってくれてかまわないから」
高い天井には、まばゆいシャンデリア。その光を浴びた壁には、シミやヒビはひとつもなく、テーブルには瑞々しく美しい花が飾られている。
実家の質素な部屋とはあまりにも違っていて、気後れしたルイーズは思わず無言で室内を見回してしまう。
「いいのですか? こんなに素敵なお部屋を……」
「もちろんだよ、ルイーズは大切な妻になるのだから」
「ありがとうございます……」
ぎこちなくお礼を言うルイーズに、シリルは嬉しそうに微笑んだ。
お飾りの妻。それでも傍から見れば本物の妻なのだ。
「食事は朝と夜、時間が合う限り一緒にとろう。まだお互いのことをよく知らないしいろいろ話したいんだけど、いいかな?」
「そうですね、ぜひ」
「ここで過ごす中で不安があれば、遠慮なくなんでも相談してくれてかまわないから。もちろん、約束通り食事や公務以外は自由に過ごして」
「わかりました」
「それから君専属のメイドになるイネスを紹介しておこう。十八歳で君と年も近いし、僕よりも相談しやすいかもしれない」
(十八……フロランと同い年だわ)
自分専属のメイドがつくというだけでも今までの生活からは考えられないこともあり、どんな人か気になってそわついてしまう。
『失礼いたします。イネスでございます』
「ああ、ちょうどいいタイミングだね」
扉の向こうから聞こえた声にシリルが返事をすると、控えめに扉が開いた。
「初めまして、ルイーズ様! イネスと申します。これからなんなりとお申しつけくださいませ」
明るい声を響かせて丁寧に頭を下げたイネスは、茶色い髪を三つ編みに結っていた。朗らかな笑顔を浮かべる彼女がかわいらしくて、緊張がふっと緩む。
「ルイーズです。こちらこそよろしくお願いします」
「ああっ、私に敬語なんて使わないでください……!」
「! す、すみません。じゃなくて、ごめん」
クラルティ家にいた頃は、仕えられる立場ではなかったこともあってあたふたしてしまう。
「ふふ、仲良くなれそうでよかったよ」
お互い慌てては笑い合うルイーズとイネスを見て、シリルが微笑ましそうに目元を和らげた。
「じゃあ、僕はこれで。イネス、あとはよろしく」
「かしこまりました」
「あっ。ありがとうございました」
「ううん、また」
シリルが出ていくと、イネスと二人きりになる。イネスはこちらを振り返ると、気合を入れるように両手を胸の前でぐっと握って笑った。
「では、お部屋の中を軽くご案内いたしますね!」
それから早一週間。城に来てからは、怒涛の毎日だった。
結婚式のためのドレスの試着、妃教育、周囲への挨拶――あらゆる務めが積み重なる日々は目まぐるしく過ぎていき、目の前のことをこなしているとあっという間に結婚式当日が訪れた。
髪を結ってくれたイネスが、鏡越しに笑う。
「ルイーズ様、本日の髪型はいかがでしょうか」
「あ、はい……すごく素敵」
仕えられることが久しぶりすぎて、もう一週間以上一番傍で過ごしているのについ敬語交じりの言葉で応えてしまう。それでも彼女の親しみやすい性格のおかげで随分打ち解けた。
「そう言っていただけてよかったです! 今日は特別な日ですから張り切っちゃいました。でも、私でよかったんですか? 髪結いのメイドにお任せしてもよかったのですよ」
「ううん、イネスに結ってもらう髪が綺麗で好きだから」
「ルイーズ様……! ありがとうございます」
鏡に映るルイーズは、雪のように真っ白なウェディングドレスを着て、緩いウェーブがかかった淡いピンクの髪をイネスの手によって綺麗に結われている。後ろでひとつに編み上げられた髪にはパールの飾りが散りばめられ、華やかさを感じさせた。
今日だけではなく、ルイーズの身支度は日々メイドの手によって成り立っている。
ありがたいけれど、世話を受けることに慣れていなさすぎてルイーズは正直まだ申し訳なさが勝ってしまっていた。今はイネスしかいないのでまだ気が楽なほうだけれど、さっきまではドレスを着せられたり化粧を施されたり、普段関わりのない数人のメイドに囲まれて居心地が悪かった。
家事に追われていた日が、どこか懐かしい気さえしてしまう。ドレッサー前の椅子に座ったままささくれの少なくなった手をぼんやりと見つめていると、イネスが鏡越しに笑みを深めた。
「結婚式、楽しみですね」
イネスの声は弾んでいるけれど、ルイーズからすれば荷が重い初仕事という認識しかない。それでもうまく隠し通さなければと、曖昧に微笑んだ。
「そうね」
「殿下はお優しいですから。きっと素敵な結婚生活になりますよ」
(優しい。やっぱり城内の評価もそうなのね……)
いつも笑顔を絶やさない。王太子という位についているというのに、誰にでも平等に接する方。シリルは、国民からも〝微笑み王子〟と呼ばれているほどだ。
そこにノックの音と、続くようにシリルの声が聞こえた。イネスが扉を開けたので、反射的に立ち上がる。
「ルイーズ、支度はできた?」
「あ……はい」
白い正装を身にまとい部屋に入ってきたシリルは、ふんだんにレースがあしらわれた華やかなドレスに身を包んだルイーズを見て目を細めた。
「うん、綺麗だね。ドレスもアクセサリーも髪型もよく似合ってる」
「……ありがとうございます」
言われ慣れていない誉め言葉。正しい反応がわからなくて曖昧に笑っていると、イネスがにこにこと微笑ましそうな顔をする。
ふと思い返せば、シリルに会うのは一週間ぶり――この城に来た日以来だった。
初日はあんなに丁寧に案内をしてくれたものの、翌日からは顔さえ見ることがない日が続いていた。この一週間はお互いに忙しく、提案された食事も一度しか実現できなかったのだ。
(まあ、契約結婚だものね。そういうものか)
そもそもルイーズも今の今までそのことに気づかなかったくらい忙しかったし、適度に放っておかれている方が気が張らなくて楽だ。
それよりも今日は式の前にシリルの父・レオン国王陛下への挨拶が予定されている。自分の意思で結婚を受け入れたのだから、そつなくこなさなければならない。
ここララモーテ王国は、レオンと先王の力で周辺国と平和的合併を繰り返し凄まじい発展を遂げた国だ。
隣国であるリオラシス国とは冷戦状態が続いているけれど、長らく平和が保たれている。
そんな事情もあって、この国の王族は国民から信頼が厚く、評判が高い。特にシリルは人当たりのよさや容姿の麗しさから抜群の人気を誇り、レオンも威厳があり近寄りがたい雰囲気とは裏腹に、国民想いの国王だと言われているけれど、さすがに謁見となると緊張が強まる。ふうとこっそり息を吐いていると、シリルに手をとられた。
「緊張する?」
「はい……」
「大丈夫だよ。僕がいるから」
柔らかく口元を緩めたシリルに、ぎゅっと手を握られる。
「ありがとうございます、シリル王太子殿下」
「公務じゃない時はシリルでいいのに」
「それはさすがに……」
「でも、長くないかな」
「……では、シリル様」
「うん」
満足そうに頷く彼の手は、今日も冷たい。
(もしかすると、シリル様も緊張しているのかな……?)