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28.皆の想い

 

 客間を訪ねると、ソファに座っていた見覚えのある影が腰を上げた。


「ご無沙汰しております。シリル王太子殿下」

「エンゾ卿……! わざわざご足労いただいたのですか?」

「ええ、先日お礼を改めてお伝えしたく」


 干ばつに悩んでいたところをシリルが支援したアサス領のエンゾが、丁寧に頭を下げる。オーブリーに促され、エンゾと共にルイーズとシリルも腰を下ろした。


「先日はご支援をいただきありがとうございました。殿下が支援をしてくださらなければ、我が領は貧困に陥っていたでしょう」

「とんでもない。少しでもご状況がよくなったのなら何よりです」

「よくなりましたよ。だから本日はお礼と共にシリル王太子殿下の即位の希望をお伝えに参った次第なのです」


 柔らかな口調で告げるエンゾに、シリルが目を見開く。クロードはこの状況を予想していたのか、シリルの斜め後ろで驚くことなく口を開いた。


「これでもまだ『自分はふさわしくない』と思われますか?」


 唇を噛むシリルに、クロードが声をかける。


「僕、は……」

『シリル様ー!』

「……え?」


 ふとテラスのほうから小さな声が聞こえた。


 それも一人ではない。何人かの声がばらばらに、時に重なった叫び声が届く。


「この声は……」


 ルイーズが首を傾げていると、控えていたオーブリーが微笑んだ。


「クロードさんの働きかけで事情を知ったイネス、騎士団や執事たちが国民に進言してくれたのです。シリル様は関係ないと」

「!」

「オーブリー、あなたもでしょう」


 クロードが笑うと、オーブリーは何も言わず、笑顔で眼鏡のツルを押し上げた。


「シリル王太子殿下、テラスに出てみてはいかがですか」

「失礼、いたします……」


 エンゾの提案に一礼し、シリルが戸惑いながら腰を上げる。ルイーズも連れそうようにテラスへと続く扉を開けた。


 青空と吹き抜ける風。隔てるものがなくなると、ひときわ声が大きくなる。覗き込んだ城の庭には、多くの国民が集まっていた。


「次の国王はシリル様しか考えられません!」

「王太子殿下! どうか!」

「……っ」


 切望の声を目の当たりにしたシリルは、目を見開いたまま固まってしまう。その間も、声援は鳴り止まない。


(シリル様は、作っていた笑顔を偽りだと言っていたけれど……そんなことない)


「シリル様」


 名前を呼ぶ声は、自分でも驚くほど弾んでいた。シリルがゆっくりとルイーズのほうを見て、金糸の髪が揺れる。


「クロードさんもおっしゃっていましたが、シリル様が築き上げてきたものですよ、全部」

「……こんなにうまくいっていいのかな……?」

「いいんです」


 ルイーズが微笑むと、困惑の表情が少しだけ崩れる。


 そのまま、声援を噛み締めるように目を閉じた。一秒、二秒。やがて長いまつ毛が揺れ、夜明け色の瞳がまぶたの奥から覗く。凛とした横顔のまま、手すりへと一歩足を進める。


「皆、国に対する不信感を抱かせてしまって申し訳ない」


 シリルが張り上げた声に、国民たちがぴたっと声をおさめる。


「これからは真の平和を第一に、改めて我が国を作り直していきたい。よければ、チャンスをもらえないだろうか」


 頭を下げるシリルに、国民たちはざわめき出す。王子が民に向かって頭を下げるという事態に驚きながらも、やがてぽつぽつと拍手が鳴り出した。


「もちろんです、殿下!」

「……っ」


 聞こえてきた声に、シリルが歯を食いしばったのがわかる。


「ありがとう。ありがとう……!」


 感極まった様子で国民に呼びかけるシリルの背中に、一歩近づく。


「シリル様、私も一緒に頑張らせてください」

「……うん」


 振り返ったシリルが泣きそうな顔で微笑み、ルイーズの手首を引き寄せる。


 次の瞬間、ルイーズの体はシリルの腕の中にあった。


「えっ、し、シリル様……?」

「愛してる」


 国民たちから歓喜の悲鳴が沸き起こる中、耳元にささやきが落ちた。思わずこぼれ落ちたような、甘く、焦がれる声。背中に回された腕に、力が込められる。


(愛してる、って……)


 聖堂での結婚式で向けられた言葉とは、あきらかに温度が違っていた。嬉しいのに信じられなくて、夢の中にいるみたいだった。聞き間違いかもしれない。


「愛しているよ、ルイーズ」


 抱き締める力が緩められ、視線が重なるともう一度つぶやかれた。二度目はもう聞き間違いだなんて言えなくて、ようやく受け止めることができた胸が震え、目の奥が熱を持つ。


「いきなりごめん。でも、僕がしたかったんだ」

 

 首を横に振る。


「嬉しいです。私も……」

「!」


 今度はルイーズから抱き着いた。同じ気持ちだと伝えるように、強く強く。


(夢じゃない。夢じゃないんだわ……)


 伝わってくる鼓動が、体温が、現実だと突き付けてくる。抱き合う二人を、しばらくの間国民たちの祝福の声が包んでいた。




 数週間後の夜、ルイーズはいつかのようにイネスやメイドたちに体を洗われていた。バスタブに浮かぶ泡を手ですくっていると、メイドたちの鼻歌が聞こえてくる。


「なんだか楽しそうね」

「それはもう!」

「なんていったって、国民たちへの公開ハグ以降初めてシリル国王陛下のお部屋に伺うんですもの」


 きゃっきゃとメイドたちがはしゃぐ。


 あの後すぐ、リオラシス国からも友好条約を望む声、シリルの即位を求む手紙が届いた。クロードの後押しやルイーズの存在もあり、リオラシス国の国王は、シリルを好意的に受け止めてくれた。


 そこからは怒涛の日々だった。


 レオンの処遇や友好条約の締結、過去に合併をした国への対応など――各方面への対応に追われたシリルとはゆっくり話ができないまま。彼は今日までクロードと共にリオラシス国へ旅立っており、その間ルイーズは城の留守番と騎士団の統率、使用人たちへの説明などを任されていた。毎日があっという間に過ぎていき、時間だけが経過していたのだ。


(そう、なのよね。あの日以来……)


 夕方、帰ってきたシリルから「久しぶりに一緒に寝ない?」と赤い顔で誘われた時のドキドキと高鳴る胸の鼓動を思い出すと、また顔が熱くなってくる。


「そ、そう言われると急に恥ずかしさが……!」

「ふふ、照れるルイーズ様もお可愛いですよ」

「本当に! 殿下もきっと今頃ドキドキなさってますよ」


 ますます顔が熱を帯びるのを感じていると、口々にメイドたちが褒めてくれる。


「そう、かしら……」 


(そうだと嬉しいんだけど……)


 期待をしてしまうのは、脳裏に焼き付いた恥ずかしそうな表情のせいだろうか。それとも優しさと甘さを秘めたあの告白とハグのせいだろうか。


 丁寧に体を拭かれ、新品のナイトドレスに着替えさせてもらい、ルイーズはそわそわと前髪に触れた。


 鏡に映るのは、ピンクの髪をひとまとめにし、ネイビーのロングドレスを前に浮き立った自分の全身。見えない部分にある心臓も、今もなお飛び出しそうなほど高鳴っている。


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