26.かつての友人
手元からシリルに再び視線を戻すと、その瞳が心許なげに揺れている。どこか切なげに、そしてもどかしそうに。
「シリル様が心配してくださっているのは伝わってます。ですが……それなら、私も同じです」
「同じ……?」
「はい。シリル様のことを心配しているんです、私も」
「な、んで……」
夜明け色の瞳がふと瞬いたかと思うと、形のよい唇が噛み締められた。それから、ようやく開いた口から息がこぼれる。
「……どうしていいのかわからないんだ。こんな気持ち初めてだから」
落ちた声も、手と同じように揺れていた。
「僕は……僕はただ君を危険から遠ざけたい。君に幸せにいてほしい。それなのに、どうしても傷つけてしまう。自分の気持ちをうまく制御できない……っ」
だんだんと悲痛さを増していく声に、息が詰まった。泣きそうな瞳、離してという言葉とは裏腹に決して解かれない手。
避けていたように感じたのはこの人の優しさ。ただ、〝正しい〟守り方がわからないだけなのかもしれない。
「シリル様……」
「……っ、嫌だ」
名前を呼べば、怯えるように肩が跳ねた。
「嫌わないで、くれ。お願いだ。僕が悪いのはわかって――」
「大丈夫です、嫌いません。……嫌いになるわけありません」
即答すると、安堵したように彼の体から力が抜けたのがわかった。やはりシリルは、不安なのかもしれない。ただただルイーズを想ってくれていることだけは、痛いほどに伝わってくる。
ずっとずっと本心を拒絶され、隠し、鎧を被っていきてきた人。
そんな人が今、恐れや不安、全部の感情をさらけ出してくれている。
(……やっぱり、この人の傍にいたい。この気持ちを私が受け止めたい)
もう一度「シリル様」と名前を呼んだ。
「私は何を言われても、クロードさんと一緒にリオラシス国へ行く気はありません」
「……どうして……」
「私はララモーテ王国第一王子――シリル王太子殿下の妻、ルイーズです」
シリルの目が見開かれる。
ルイーズは手首を掴んでいた手を緩め、代わりに澄んだ色の瞳を正面から見据えた。
「シリル様、不躾かもしれませんが閉じ込められた時に助けてくれたという友人はクロードさんのことですか?」
「それは……うん」
少し悩む素振りを見せながらも、頷きが返ってくる。
「……あの頃はまだ仲がよかったからね。クロードも今と違って明るくて、前向きで――僕が毎日笑って過ごすようになったのも彼の影響なんだ」
辛い日々から心を守るため、前向きな彼の真似をした。そう話すシリルの声は、懐かしさを秘め柔らかい。けれど、その目がふと昏くなる。
「でも裏切られたんだ、僕は」
「……本当にそうですか?」
「ああ。十三歳の頃、突然「裏切り者」だと罵られて避けられたんだよ。理由はわからないが、とにかく嫌われていることに間違いはない」
「理由は……」
「聞いてない。いや……訊けなかった、が正しいかな。あの時以来、クロードは突然変わってしまったから」
明るかった彼から穏やかさや前向きさは消え失せ、作ったような笑顔しか浮かべなくなったという。
微妙に食い違う証言。お互いが相手に『裏切られた』と思っていること――何より、今の話からして、シリルがアルベールの件をすべて知っているとは思えない。
理由もわからず避けられた友人と話すことは勇気が必要なことだろう。
それでもかつて大事だと思っていた、特別な存在のはずだ。
(やっぱり、何か誤解があるとしか思えない。二人にとって一番いい方法は……)
「シリル様。クロードさんと話をしにいきませんか」
「何を言って……」
「差し出がましいかもしれませんが、何かお二人の間に誤解が生じているような気がするのです。大事なご友人なんですよね?」
「もう過去の話だ」
「でも、大切なことに代わりはないんじゃないでしょうか。もしシリル様が嫌でなければ、私も一緒にいますから」
一人じゃない。けれど、圧はかけないように。
言葉を選びながらも真摯に伝える間、ルイーズは目を逸らさなかった。
沈黙が続いた。徐々に落ち着きを取り戻したのか、シリルの表情が和らいでいき、やがて小さな息が漏れた。
「……何かあったら必ず守ると約束する。だから、一緒に来てくれる?」
クロードの姿は、庭にあった。先ほどの対峙などなかったようにガゼボに座っていた彼は、二人に気づくとにこやかな笑みを浮かべる。
「さきほどの件ですか? 私を捕らえに?」
「いや、違うよ」
凛とした否定に、クロードが訝しげな顔で立ち上がる。
「王子としてではなく、大事な友人として話をしに来たんだ」
「大事?」
クロードが鼻で笑う。
「大事な友人の父親が謂れのない罪で殺されることを易々と見逃したくせにか?」
「……アルベール卿がただの反逆者ではなく、国民に隠し通している国の裏事情を知りどうにかしようとした矢先に亡くなったことか?」
「! ほら、やっぱり知っていたんじゃないか! お前は知っていたのに陛下を止めなかった……! 父を! 父を見殺しに――」
「違う! 僕がすべての真実を知ったのは、父上――アルベールさんが亡くなってからしばらく経った十八になった頃だ」
「……は……?」
クロードから間の抜けた声が漏れ、ルイーズも目を点にする。
「そ、そんなわけ……! 「もう嫌だ」とシリル様が泣き出すほどの教育を受けていたはずでしょう⁉」
「確かにそれは本当だ。けれど、幼い頃は国の実情など教えてもらえなかったんだよ」
「……っ!」
(やっぱり誤解だったんだわ)
衝撃を受けたように固まるクロードに、シリルは言い淀みながらも話を続けた。
「……それに。アルベールさんは、病気で亡くなったんだ」
「……病、気?」
クロードの口から、珍しく乾いた声が漏れる。
「ど、どういうことだ! はっきりと処刑されたと聞いた!」
その点は、当時ただの国民だったルイーズも同じだった。
戸惑いが広がる中、シリルがまた口を開く。
「僕もついこの間までそう思っていた。父上に真実を隠されていたからね。……けれど、最近自分で調べたんだ。……当時、いや今もだね。国民たちから僕たちへの支持は熱い。アルベールさんがいくら証拠を集めたとしても父上たちが行ったことを信じるものは少ないだろう。あの時も『処刑しろ』という圧がひどかったらしい」
でも、とシリルが目を見開き止まったままのクロードを見る。
「父上はどうしてもできなかった。アルベールさんのことを大事な友人だと思っていたから」
「そんな……う、嘘だ!」
クロードの話を思い出す。シリルと同じように、レオンも自分の父である先王から厳しい教育を受けていたこと。そんな日々の中、唯一心を許せるアルベールとの時間が救いになっていたこと。
「父上は最低だ。けれどアルベールさんに対しての恩だけは捨てきれなかったんだよ。だから……表向きは処刑したことにしたんだ。ずっと隠されていた医師の診断書も見つけたから事実だよ」
「は、はは……」
クロードが乾いた笑いを漏らす。背の高い体から力が抜けその場に頽れると、膝をついた彼はまた泣きそうな笑い声を上げた
「私は、俺は今まで何をして……友人を裏切り、リオラシス国のスパイにまでなって……っ」
「……ごめん、クロード。僕は何も知らず――」
「いや、謝るのは私のほうです」
遮ったのは、思いのほか穏やかな声だった。
「憎しみのあまり、周りが見えなくなって友人のことさえも信じられなくなっていたなんて……本当に愚かですね、私は」
「違う。僕が君に避けられた時に弁解しなかったからだ。……そもそも、国が最悪なことをしていたのが問題なんだ」
悔しみをにじませるシリルに、クロードが泣きそうな顔で笑う。
「シリル様、どうか私のことを処分してください」
「いや、されるべきは父上だよ」
「……え?」




