22.裏切り者
ルイーズが自室に閉じこもってから二日が経った。
「……今日もなんだかぴりぴりとしていますね」
唯一部屋への出入りを許されたイネスが、憂えるように窓の外を見る。その隣から同じように外を見たルイーズも、城前に整列した王宮騎士団を見ながら「そうね」と頷いた。
どうやらリオラシス国の王・ダニエルは、ずっとアメリーの行方を捜していたらしい。彼女の娘であるルイーズの居場所を知った彼はすぐに「彼女を返すように」とレオンに連絡をとったが、レオンは「彼女は今、ララモーテ王国の王太子妃だ」と頑なに要求を呑もうとはしなかった。
その結果、今はルイーズを巡り、国同士が緊張感を高め合っている。
(……私のせいで)
「……ルイーズ様、大丈夫ですか?」
ルイーズの心中を察するように、イネスが心配そうに尋ねる。
「ルイーズ様のせいではございませんからね」
「……うん、ありがとう。イネス」
「そうだ、温かい紅茶でもいかがですか? 昨日シェフが試しに仕入れてきたものを試飲したのですがおいしくて。よければお持ちいたします」
「ありがとう。じゃあ、お願いしてもいい?」
「もちろんです!」
イネスが部屋を出て行き、ふうと息を吐く。
(これからどうなるのかしら。……私にできることはある?)
不安ともどかしさの渦に飲み込まれそうになっていると、ふとノックの音が響いた。
『ルイーズ様、クロードです。少しよろしいでしょうか』
「クロードさん?」
扉を開けると、クロードがいつもの朗らかな笑みで立っていた。
「ルイーズ様。私と一緒にリオラシス国へ帰りましょう」
「え……?」
一緒にという言葉に、心臓が嫌な音を立てる。
(嘘……もしかして、クロードさんが……?)
――裏切り者がいるんだろうね、この城に。
シリルの言葉が脳内を駆け巡り言葉を失っていると、クロードが真面目な顔でルイーズの手を取った。
「大丈夫です。あなたの安全は絶対に保障します。必ず無事にお届けいたしますから」
(このままクロードさんについていけば、私は……リオラシス国に行くことになる)
けれどそれはロベールやフロラン。イネス、オーブリー。今日まで自分を支えてくれた人達と別れることになるということだ。それに、何より――。
ふっとシリルの顔が浮かび、胸がぎゅうっと引き絞られた。
他の人に弱みを見せることが苦手な人。ずっと鎧をまとい心を殺して生きてきた人。ルイーズがいなければ、誰が傍にいるのだろう。
(……違う。傍にいたいんだ、私が)
「一緒には行けません」
「っ、どうして!」
声を荒らげたクロードが、我に返ったように咳払いをする。
「ご心配なさらずともリオラシス国はルイーズ様を歓迎してくださいます。ダニエル国王陛下も会いたがっていますし……」
クロードの声が、必死さを増していく。
「それに私は、好きなんです。ルイーズ様のことをお慕いしているのです……!」
「え……」
思いがけない告白に、ルイーズは息を呑む。
「ですから、あなたをこのままこの冷徹な国に置いておくことなんてできません。どうか、どうか……」
握られた手に力を入れられ、その強さにルイーズは思わず顔をしかめた。
「私と一緒に来てはくれませんか」
「……ごめんなさい」
「! どうして……」
「私はシリル様のお傍を離れるわけにはいきません」
「そんなこと気にしないでいいんです……! あなたは殿下に利用されているだけなのですから」
「そうだとしても。私が、離れたくないのです」
「……!」
クロードはハッと目を見開くと、眉間に皺を寄せた。噛み締められた唇が、歪に形を変える。
「どうして……どうしてあいつなんだ……いつも、いつも私の大事な人を……!」
「クロードさん……?」
クロードの瞳が虚ろに光る。ぶつぶつと小声でつぶやき始めた彼の顔を覗き込んだ瞬間、掴まれていた手を引かれて抱き締められた。
「離してください……っ」
「嫌です。あなたをあの男のところには行かせない……」
抱き締めるというよりも、まるで拘束するような力強さ。懇願するような物言いに、ルイーズは怯えと困惑を抱きながら身をよじる。
「一緒に逃げましょう。必ず守りますから」
「何をしている!」
クロードの声に被るように、シリルの鋭い声が響いた。その瞬間、クロードはハッとしたように抱擁を解き、シリルとは反対側へと逃げるように去っていった。
「……大丈夫?」
「は、はい」
「他には? どこを触られた?」
眉根を寄せながら、シリルがルイーズをじっと見る。
「大丈夫です。何も」
「……そう。無事でよかった」
(……もしクロードさんが裏切っているのなら、ちゃんと話を聞いた方がいい気がする。シリル様は話したくないかもしれないけど……)
クロードが去った方向を一瞥し、控えめに切り出した。
「シリル様、あの……クロードさんと話をしてきてもかまいませんか?」
「……」
シリルが目を剥いた。
「私は大丈夫です。よければシリル様も――」
一緒に、と言いかけたその瞬間、腕を掴まれた。あっという間に部屋の中へと連れ込まれ、壁に押し付けられる。
「…………クロードには必要以上に近づかないようにと言ったはずだよ」
「それは──」
「君は……君は僕の妻だろう……!?」
その顔は怒りというよりも、今にも泣き出しそうなほど悲しみに歪んでいた。
(誤解されてる……!)
あの状況からの今の発言は、不貞行為を疑われても仕方ない。
「もちろん私はシリル様の妻です。さっきのことは誤解で――」
「それなのに、僕を裏切った男に告白をされてその上抱き締められるなんて……!」
「……!」
あ、と思う間もなく頬を包まれ、唇を奪われた。
(キス? え、なんで……)
突然の口づけに思考が追い付かない。
大好きな人とのキス。本来なら幸せなはずの行為なのに、ちっとも嬉しくない。
それどころか彼が傷ついた顔をしていること、話を聞いてくれないこと、見たことがない強引さ――あらゆる要素が積み重なって、混乱だけが募っていく。
気づいた時には、目尻からぽろりと涙がこぼれていた。
「……っ!」
シリルがはっと息を呑む。
「僕、は……」
衝撃を受けたような顔で固まったかと思うと、掴んだ手首に入れられていた力が緩んでいく。前髪がぐしゃりと乱され、はあと息を吐かれてドキリとした。
「……ごめん」
一歩後ずさりをしたシリルの口から、震える声がこぼれ落ちた。
「……やっぱり、君は僕といると幸せになれない」
「え……?」
「どうせ僕たちは仮初の夫婦だ。それも城や僕が一方的に決めた」
どんどん冷たさを増す声に、心臓も冷えていく。口を挟もうとすると制止するように先に口を開かれた。
「ルイーズ。君には僕よりももっとふさわしい人がいる」
「……! それは、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ」
震える声で聞き返したルイーズに、シリルが微笑んだ。それがまるで出会った頃の時のような笑顔で、ルイーズの胸はにわかにざわつく。
「君には充分助けられた」
――嫌だ。これ以上聞きたくない。
頭の中に警告音のような言葉がこだまして、呼応するように心臓の音が速くなっていく。耳を塞ぎたいのに体が思うように動かない。
「僕たちの関係はもう終わりにしよう。……ただもう少しだけ待っていて。君をこの危険な城から出してあげる準備をするから」
ルイーズが声を失っている間に、シリルは扉の向こうに消えていく。バタンと扉が閉まる音が虚しく、やけに大きく耳に響いた。




