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21.お飾り妻の秘密


 翌日の夜、お風呂を終えたルイーズは、少し体の火照りを覚まそうとバルコニーへ続く扉に手をかけた。


 シリルの部屋へ行くまではまだ時間がある。


 ゆっくりしようと部屋からバルコニーへ出ると、爽やかな風が頬を撫でた。


「わあ……今日は星が綺麗ね」


 まばゆい星空と手入れされた庭が淡くライトアップされた様子がよく見え、手すりに(もた)れながら息を吐く。


 夜空に散りばめられた星を見上げながら、考えるのはシリルのことだった。


(……シリル様は、私のことをどう思っているのかしら)


 傍にいられるだけで嬉しくて、触れあうと鼓動が反応してしまう。

 頬が熱くなって、全身が幸せを叫んでいるように感じているのは自分だけなのだろうか。


(さすがに嫌われてないことはわかるけど……それは人として? それとも私と同じ……?)


「なんて、何を期待してるのかしら……!」


 恥ずかしくなって、熱くなりかけた頬を慌てて両手で覆う。


 最初は仮初の夫婦でいいと思っていた。


 実家にいた頃はたとえ結婚をしなくても一人でも楽しく生きていけるとずっと思っていたのに、今のルイーズは誰かと迎える朝を、共に過ごす時間を、幸福だと確かに感じ始めている。


 けれど――昨日シリルと話してから、ルイーズの心には新しい疑問が浮かんでいた。


(シリル様は陛下の指示で私との結婚を決めたと言っていた。それに従ったというのは、シリル様の性格や生い立ちを考えるとわからなくはないわ)


 ただ、それならレオンがルイーズを選んだ理由は一体なんなのだろう。


 特別目立つわけでもない小さな領地の令嬢。レオンがメリットもなくルイーズを名指しする理由が何ひとつ思い浮かばない。


「……?」


 ふと暗闇の中を影が過った気がした。かすかな違和感を覚えて手すりから下を覗き込んだその時――。


「ルイーズ様」

「!」


 背後から呼びかけられ、とっさに振り返る。


 そこにはマントで顔を隠した人影が立っていた。ひっ、と思わず小さな悲鳴が漏れる。


「だ、誰……!?」

「怪しい者ではありません。私はリオラシス国の騎士――我が国の王族、ルイーズ様をお迎えに上がりました」

「リオラシス国……お、王族……?」


 どうして、隣国の騎士が自分に会いにくるのだろう。


 言われた言葉がすぐに理解できない。恐怖と混乱で冷や汗が流れ思わず後ずさりをすると、騎士と名乗った男も一歩距離を詰めてくる。


「な、なんのことかわかりません」

「説明は安全が保障されてからいたします。とにかく、今は私と一緒に来てください」


(怖い、中に逃げなきゃ……)


 マントの中から手を差し出され、また一歩後ろに下がる。けれど、膝が震えてうまく動かない。


 手を掴まれかけて避けた拍子に、髪をまとめていた髪留めが床に落ちる。


(! シリル様……っ)


「ルイーズ!」


 ぎゅっと目を閉じた瞬間、バンッと背後の扉が開いた。


 振り返るとたった今脳内で名前を呼んだ愛しい人が、息を切らして立っている。


「シリル様……」

「お前、何者だ!」


 シリルが剣を抜いた瞬間、男はひらりとマントを翻し、そのまま階下へと飛び降りた。


「追え!」

「はい!」


 手すりから身を乗り出したシリルが下に向かって叫ぶと、待機していたらしい王宮騎士団が慌ただしく黒い影を追っていった。




「落ち着いた?」

「はい……」


 紅茶を一口飲むと、お腹の底がじわりと温かくなっていく。ルイーズの震えが止まったことを確認したシリルが、ほっと息を吐いた。


 結局、怪しい男を捕らえることはできなかった。


 リオラシス国の騎士と名乗っていたこと、ルイーズを王族だと迎えに来たと言っていたことを伝えると、シリルの表情が硬くなっていく。


「どういうことなんでしょう。私はリオラシス国とはなんの繋がりもないですし……」


 シリルは顔を険しくしたまま、じっとルイーズを見た。


「ルイーズ。君は実のお母様のことをどこまで知ってる?」

「……どこまでというのは……」

「出生のことなどは?」

「孤児だったと聞いています」

「そう……」


 知らなかったことを予知していたかのように、シリルは軽く頷く。


「君のお母様――アメリー様は隣のリオラシス国の血筋。今の王――ダニエル国王陛下の妹なんだ」

「えっ……?」


 初めて耳にする話に、ルイーズは困惑する。


(お母様が、リオラシス国の王族……? でも、お母様はそんなこと一言も……)


 動揺しながら記憶をたどるけれど、やはり覚えがない。


 いきなり自分が王族の血を引いていると言われてもピンとこないどころか困惑しかないものの、話を受け入れるより先にシリルがまた言葉を続けた。


「我が国とリオラシス国がずっと冷戦状態だというのは知っているよね?」

「は、はい。陛下がリオラシス国を合併したいと思っていることも国民なら存じていると……」


 答える途中で、ハッとした。


 レオンはずっと合併を狙っているものの、リオラシス国は応じることなく、その影響で冷戦が続いているのだ。


(ああ、そっか。だから『私』だったの……?)


「……僕は君を人質にリオラシス国と交渉しようと思って、利用したんだ。つまり交渉の材料として結婚を申し込んだ」


 他にふさわしい人はいくらでもいるはずなのに、一度もまともに話したことがないのに、選ばれた理由。

 

 ずっと知りたかった理由が腹に落ちてくると同時に、ルイーズは眩暈のような感覚を覚えた。シリルの声が、どこか遠く聞こえる。


「……軽蔑したよね?」


 小さな声に、我に返る。シリルは悲しそうな目でルイーズを見ていた。


 軽蔑はしていない。けれど、ショックを受けたのは事実だ。


(でも、最初は私も「理由がわからない」ことを承知で偽の妻役を引き受けた。だから……今悲しいのは、シリル様を好きになってしまったから。それに――)


「……」


 最初から全部わかっていたはずのシリルのほうが、悲しそうな顔をしている。


 出会ってすぐの頃なら、これも「申し訳なさ」を演出する演技かと疑ったかもしれない。


 けれど、過ごしてきた思い出を振り返ればそんなふうには受け取れなかった。


(一番最初は本当に利用するつもりだったんだと思う。でも……今までの優しさは本物だって信じたい)


 胸が痛むのを感じながらも、首を横に振った。


「……いえ、でも驚いたのは事実です」

「……そうだよね」

「正直、まだ混乱しています。リオラシス国の血筋だという話は母からも聞いたことがなかったので……本当なのですか?」

「本当だよ。君がお母様の形見だといって身につけているそのネックレスは、王族の証なんだ」

「え……」


 首元のネックレスに目を遣る。


「もちろん公にはされていないことだから、君やお父様――ロベール卿も知らないはずだよ。僕たちは事実を先に知ったから、君を見つけたんだ」


 次から次へと新しい情報が与えられ、ますます混乱していく。


「君のお母様は幼い頃、とある事件があって祖国を離れた。保護してくれたのがロベール卿だったのだろうけれど、国同士の関係を危惧して身分を隠していたんだろうね」

「あ……父から幼い頃、母が森に倒れていたところを執事と共に保護したとは聞いたことがあります」


 孤児だと打ち明けた母に、成長後、それを承知の上で求婚したのが父・ロベールだ。


「ただ……」


 シリルの声が、一段と低くなる。


「ただ……?」

「君がアメリー様の娘だということは、僕と父上――それから城の中でも一部のものしか知らない情報なんだ。当然リオラシス国も知らない」

「え、じゃあどうして騎士が……」

「恐らく裏切り者がいるんだろうね、この城に」


 不穏な言葉に、目を見開く。


「大丈夫。目星はついてるから」


 笑顔になったシリルに、それより、と手を取られた。


「君はしばらくの間外に出ない方がいい。リオラシス国に狙われる可能性があるから」

「ですが……」

「いや、城の中も危険だね。自分の部屋の中にいて」


 シリルがぎゅっと手を握ってくる。その手は微かに冷たい。


「大丈夫。僕が君を守るから」

「……」

「最初は君を騙していた僕の言葉は信じられないかもしれない。でも、お願い。信じてほしい」


 黎明色の瞳が、微かに揺れている。不安そうな、泣きそうな――歪んだ表情を浮かべるシリルが演技をしているとは思えなくて、ルイーズは深く頷いた。


「わかりました……」

「……よかった」


 心底ほっとしたように微笑まれて、胸の奥がかすかに引き攣るような痛みを覚えた。


 隣国の王族の血を引いているというのが本当なら、今まさに水面下でルイーズを巡る争いが起きているということだろう。母はルイーズのためにとネックレスをくれた。つまりは出身であるリオラシス国に戻ってほしい――そんな願いを抱いているのだろうか。


(わからないわ、何も……もうお母様に訊くことはできないのだから)


 それでも、今ルイーズは自分の意思でこの城に残ることを決めた。

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