19.お茶会2
はっきりと認識した途端、呼吸が苦しくなった。きっとシリルが来るこのタイミングを狙っていたのだろう。
「僕はルイーズがあなたに嫌がらせをするとは思っていません」
間髪を入れずに言われて、思わずシリルを見た。
「で、ですが、実際に用意されたのです! そうですよね⁉」
いきなり話を振られたオーブリーが、困ったように眉を八の字にする。
「よ、用意自体はいたしましたが……」
「では、この手紙はあなたが出したものではないと?」
シリルが取り出したのは一通の手紙だった。長い指先が封筒を開き、少しだけ色褪せた紙を広げる。
「『領地でオレンジの実が生りました。今年は豊作で大変おいしく、殿下にもぜひ味わっていただきたいと思っております』」
「……!」
淡々と読み上げられていく内容に、カミーユが顔色を変えた。エマとソフィーがはらはらした顔で彼女を見る。
「これはあなたが五年前、私にくれた手紙です。ここには確かに『オレンジ』がおいしいと書かれていますが」
「そ、そうかもしれませんが体質が変わることくらい……」
カミーユの視線が泳ぐ。
「では、この件は私がフェネオン家のアンドレ卿にご報告と謝罪をさせていただきます」
「! ま、待ってください殿下。お父様にだけは――」
「自分の父上に知られてはまずいことをしている。そういう認識がおありということですか?」
「い、いえ。そういうわけでは……」
カミーユの声がだんだんと小さくなり、ついに言葉尻が消えてしまう。
「では、どういうつもりだったのですか? 私の大切な妻を責めておいて説明もないというのは納得がいきませんね」
氷のように冷たい声。笑顔どころか表情が抜け落ちたシリルを見て、カミーユが怯えたように表情を引き攣らせた。エマとソフィーも完全に沈黙している。
「……も、申し訳ございません」
「そう。自分が犯した罪を認めるということだね」
「わ、私の認識に誤りがあったといいますか……行き違いですわ」
「へえ。この期に及んで言い訳?」
シリルの声が、一段と低くなる。
「そ、それは……」
「あ、あのシリル様――」
「ルイーズは心配しないで」
カミーユが震え始めたのでルイーズが思わず口を挟むと、シリルがころっと笑顔を向けてくる。けれど、その瞳の奥では怒りの炎が揺れているのがわかった。許そうとする気配などみじんもない。その切り替えに、ルイーズは少しだけぞくりとした。
「で、殿下。カミーユ様も謝っていますのでこの場はお収めいただけませんか……!」
「なぜ他人事のような顔をされているのか知りませんが、あなたたち二人も同罪ですが?」
震える声でカミーユに助け船を出したエマの口から、ひっ、と慄いたような声が漏れた。
このままではどんどんことが大きくなってしまう。自分のために怒ってくれているのはわかっているけれど、これ以上シリルを巻き込みたくなかった。
「あの! もう謝罪もいただいたので大丈夫です……!」
「でも……」
「本当に。もう充分ですから」
「……そう。君がいいというなら」
シリルがそう言うと、カミーユが勢いよく背を向けた。
「で、では私はこのあたりで失礼いたしますわ……!」
「えっ、カミーユ様⁉ お待ちください……!」
逃げるように歩き出すカミーユを追いかけるように、エマとソフィーも慌てて椅子を引く。ルイーズと目が合うと、気まずそうに口の端を持ち上げた。
「で、では殿下、ルイーズ様、失礼いたします……」
「オーブリー、イネス」
「お二人とも。馬車までお見送りいたします」
「ど、どうも……」
オーブリーとイネスに付き添われ、エマとソフィーもそそくさと去っていった。中庭には、ルイーズとシリルだけが取り残される。
(少し驚いたけど……私を信じて、助けてくれたんだわ)
静かになったことで、ようやく実感が湧いて胸が熱くなってくる。
この人は、迷いなく自分を信じて助けてくれたのだ。
「大丈夫?」
案ずるようなシリルの言葉に、ハッとして立ち上がる。
「はい。ありがとうございました」
「お礼ならオーブリーに伝えてあげて。彼が異変に気づいて僕を呼びに来てくれたから」
「そうだったんですか……」
でも、と夜明けの空を移したような瞳を見上げる。
「信じて、庇ってくださったこと本当に嬉しかったです。だからシリル様にもお礼を言わせてください」
「そんなの当然だよ。僕は君の夫なんだから」
「しかも、わざわざ過去の手紙を探してくださったんですよね?」
「たまたまカミーユ嬢から貰った手紙を覚えていたから、すぐに見つかっただけだよ。それに……お母様の信条を大切にしているルイーズが嫌がらせをするはずがないと思ったから。オーブリーも今まで君と過ごす中でそう思ったから慌てて僕を呼びに来てくれたんじゃないかな」
優しく微笑まれて、胸がじんとする。あの時は『甘い』と一蹴されてしまったのに。
「ただ証拠はあるに越したことがないからね。役に立ててよかったよ」
悪意を向けられることには慣れていた。
落ち込まないと言ったら嘘にはなるけれど、嫌がらせに慣れてしまった脳は「またか」という思考に傾くことがほとんどで気にしないように努めていた。
(でも、嬉しかった。シリル様が信じて庇ってくれて……)
――好きな人に信じてもらえること。心強い味方がいること。
ルイーズは泣きそうな気持ちになって、もう一度お礼を言った。




