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17/30

17.デート2


 シリルが連れてきてくれたのは小高い丘の上だった。

 期待に胸を弾ませながら向かったものの、二人は夕陽ではなく降り注ぐ雨を屋根の下から眺めていた。


 丘に到着してすぐぽつりと冷たい雫が頬に当たったかと思えば、一気に強く降り始め、近くにあった東屋のような場所へと避難をしたのだ。


 雨脚は弱まりほとんど小降りになったものの、夕陽はすっかり雲に隠れてしまった。


「……ごめん」


 しばらくの間黙っていたシリルが、弱々しい声をこぼす。


「シリル様が謝ることではないですよ。この時期は天候も変わりやすいですし夕立ちだと思いますから、じきに止むと思います」

「でも、曇っていたことに気づかなくて……」


 しゅんとうつむくシリルに、胸が重くなる。


(あ……)


 ふと遠くの空を見ると、少しずつ晴れ間が覗いている。


「シリル様、見てください……!」

「え? ……あ」


 顔を上げたシリルの横顔が、ゆっくりと晴れやかになっていく。

 遠くの空にはうっすらと虹が浮かんでいた。


「綺麗……」

「ふふ、夕陽も見れましたね。やっぱり素敵な場所です」

「ルイーズ……」

「こうやって素敵な景色をシリル様と一緒に楽しめて嬉しいです。景色だけじゃなくて今日は一日そんな経験ばかりでした」


 おいしいものを「おいしいね」と笑い合って食べられること。変化に気づき褒めてくれる人がいること。


 一人でも充分日々を楽しんでいた。蔑まれても、充実した時間を過ごせる人生を謳歌できていると思っていた。けれど、今のルイーズはシリルと歩む人生を望んでいる。


(誰かと一緒に過ごす時間がこんなに幸せだなんて……知らなかったわ)


 シリルと契約結婚をしなければ、一生知らないままだったかもしれない。


 感慨深く感じるルイーズの隣で、シリルが弾かれたような顔をする。かと思えば、急に視線を彷徨わせた。

 覚悟を決めるように息を吸う音が、ほとんど消えてしまった雨音よりも大きく響く。


「あのさ」

「はい?」

「……実は、どうしたら僕の想いが伝わるかわからなかったんだ」

「え?」

「夫として君に頼られたい。君に笑ってほしい。喜んでほしい……そう、思っているんだけどどうしたらいいかわからなくて、今日も、ううん、最近ずっと必死で」


 薄紫色の瞳が、ゆらりと揺れている。


「困らせていたらごめん。……僕の気持ち、信じてくれる?」


 不安そうに両眉を下げるシリルに、胸がぎゅっとなった。


 食事中の甘い言動やデートの誘いの理由。たくさんのプレゼントの理由がわかって、ますます鼓動が揺らされる。やっぱりシリルはシリルなりにルイーズとの心の距離を縮めようとしてくれていた。歩み寄ってくれていたのだ。


「はい、伝わりました」

「……よかった。もし嫌なことがあればちゃんと教えてね」

「じゃあ、買ってくれたものは一緒に食べましょう?」

「それ、嫌なことなの?」


 金髪を揺らして、シリルが苦笑する。けれど、その表情は雨上がりの空のように晴れ晴れとしている。ルイーズの胸にも、あたたかな気持ちが広がる。


(最初は掴めない人だと思ったことが嘘のようだわ)


 器用そうに見えて不器用な人。何を考えているのかわからない仮面の裏で繊細な心を飼っている人。今はもう、シリルの言葉を本心だと信じられた。


「あ……雨止んだね」

「ほんとですね」

「そろそろ帰ろうか。馬車も手配されているみたいだから」


 シリルがルイーズに手を伸ばす。その手をとろうと一歩踏み出したその時、濡れた地面に足を滑らせてしまい――。


「あぶないっ……!」


 転びかけたルイーズを、間一髪のところでシリルが抱き留める。その瞬間、唇同士がぶつかった。


(! 今……)


「ご、ごめん」

「い、いえ、こちらこそ。すみません……!」

「ううん、無事でよかった……」


(わ、私シリル様とキスを……!?)


 ほんの一瞬触れただけだったからか、まだ夢のような感覚がする。けれど、ゆっくりと体を離されると赤くなったシリルの顔が見えてハッとした。


(シリル様のこんな顔、初めて見るわ……)


「――ごめん」

「!」


 もう一度強く。今度はシリルの意思で抱き締められて目を丸めた。


「シリル様……?」

「もう少しだけ、このままでもいい……?」


 耳元に落ちる声が微かに震えている気がした。


 服越しに伝わってくるシリルの鼓動。包み込んでくれる体温と逞しい腕。そのどれもがルイーズの体を熱くさせる。うるさいほど波打つ心臓は今にも飛び出してしまいそうだ。


「は、はい……」

「ありがとう」


 なんとか頷くと、回された腕の力が少しだけ強くなった。


(ずっとこのままでいられたらいいのに)


 きっと一分にも満たなかったかもしれない。

 それでも、初めて体温を共有したこの日を──たくさんの感情を共有したこの日をルイーズは一生忘れられない気がした。




「殿下とのデートはどうでしたか?」


 翌朝、部屋を訪ねてくるなり、イネスは前のめりに訊いてくる。


 その瞬間、共に過ごした幸せな時間が次々と蘇り、ハグやキスした時の体温や感覚まで思い出されてしまった。


(き、昨日はほんとにいろいろあったわ……私、事故とはいえシリル様とキスを……)


 あの後は二人を呼びに来た騎士の声に我に返って、なんとなくくすぐったい気持ちのまま馬車に乗り込んで城へと戻ってきた。


「ルイーズ様、お顔が真っ赤ですよ……!?」

「あ、あはは。えっと……楽しかったよ。たくさん準備手伝ってくれてありがとうね」


 熱い頬を誤魔化すように笑うと、イネスが嬉しそうに頬を緩める。


「そうですか、よかったです。いただいたお土産のスコーンも美味しくて……」


 破顔しながらお礼を言いかけたイネスが、ルイーズの鏡台を見てハッと目を見開く。


「このチューリップの髪留め、もしかして殿下からのプレゼントですか!?」

「! き、気づくの早いね?」

「ルイーズ様のことですから! わあ、かわいい……」

「うん、すごく嬉しい……宝物よ」

「ルイーズ様……」


 イネスのあたたかな視線に、我に返る。


「そ、それより! 何か用があったんじゃ?」

「ルイーズ様、話題を逸らすの下手ですよ?」


くすくすと笑ったイネスが、エプロンから一枚の封筒を取り出した。


「カミーユ様から書信が届いております。お茶会のお誘いだそうですよ」

「カミーユ様って……」

「はい、サンリビ領――フェネオン伯爵家のご令嬢です。先日お庭でお見掛けして……結婚披露パーティーでもご挨拶されたかと思うのですが覚えていらっしゃいます?」


 招待状を受け取った時には、既に思い出していた。


 薔薇のように赤いまっすぐな髪をなびかせていたカミーユは、作りもののような笑顔で祝福をくれた令嬢たちの中心にいた美しい女性だ。この国でも大きなサンリビ領の領主の令嬢で、品行方正と評判も高いらしい。


 けれど――あの日向けられた鋭い視線は、まさに薔薇のような棘となり、ルイーズの心をちくりと刺していた。


(お茶会の誘いかあ。絶対にいいように思われていないし、あまり気は進まないけれど……)


 返事に窮していると、パーティーでの一連の流れを知らないイネスが、不思議そうに小首を傾ける。


(ううん、きっと大丈夫よ。これくらいこなさなきゃ)


円滑に周囲との関係を保つのも次期王妃としての務め。角を立てずに断る理由は思い浮かばないし、あの日は明らかに敵意を感じたけれどこの誘いはただの付き合いの一環としてすませてくれるかもしれない。


(自由にしていいとは言われてるけれど、一応シリル様にも相談しておこう)


「わかった。返事を書いたら届けてくれる?」


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