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14/30

14.親子の関係


 行きと同じ時間をかけて城に戻る頃には、また空は暗くなっていた。


「父上に報告してくるよ。ルイーズは部屋に戻って休むといい」

「よければ同行させていただけませんか?」

「……それは……」


 シリルが歯切れの悪い返事を落とす。


(私の立場では口を出せないかもしれないけど、傍にいたい……)


 森の中で見たシリルの表情が、足を縫い留める。


「シリル、ルイーズ嬢」

「! 陛下……」


 よく通る声に振り返ると、騎士たちを引き連れたレオンがこちらへ歩いてくるところだった。


 シリルとよく似た金の髪をすべて後ろに流し額に軽い皺を刻んだレオンは、穏やかな表情を浮かべている。それなのに肌にまとわりつく温度が一段階下がるような緊張感が走って、ルイーズは慌てて頭を下げた。


「アサス領へ視察に行っていたのだろう。どうだった?」

「変わりありません。皆問題なく過ごしているようです」


 え、と思わず隣を見た。シリルは張り付けたような完璧な笑顔を浮かべている。


「そうか、それは何よりだ」


 どうやらシリルは報告をするつもりがないらしい。


(お飾りの妻の立場で差し出がましいかしら。でも……)


 エンゾの悲痛な表情。親子の会話。じりじりと照りつける太陽と水を奪うほど乾いた風。たった一日前のことだからかまざまざと思い出されて、胸が軋む音がする。


 同時に目の前でにこやかな笑みを作るシリルに、木漏れ日の中で見た諦めに似た顔が重なった。


 もしも本当の気持ちを隠しているのなら。彼が進言できないのなら――。


「陛下、私からもご報告させていただいてもよろしいでしょうか」


 声を上げたルイーズを、シリルとレオンが同時に見た。


「うん、なんだね?」


 レオンがにこやかに答える。


「水が不足しているようで領主、領民ともに困っているようでした。恐らく干ばつの影響かと思われます」

「ああ、あれは実に心の痛むできごとだったね……」


 皺の寄ったレオンの目尻が、放った言葉を表すように下がる。

 では支援を――と言いかけたところで、先に口を開かれた。


「だが、国にはどうすることもできない。支援をする金はないからね」


 きっぱりと言われて、ルイーズは少し考える。それから控えめに言葉を選びながら、頭の中で検討していたことを伝えた。


「今は城内の整備も終わりそのあたりの費用に余裕があると事務官から聞きました。そちらを工面すれば支援できるのではないかと思ったのですがいかがでしょうか……?」

「…………」


 レオンの片眉が、微かに動いた。


「自力で解決することすらできないあんな小さな領のために、わざわざ私に動けというのか? 国にだって特別な余裕があるわけではない。選民していかねばならぬのだよ」


 選民という言葉に、ルイーズの心が軋む。隣に立つシリルは何も言わない。


「ですが――」

「さっきから誰に口を利いている!」

「っ!」


 突然の大声に、ルイーズの体がびくりと跳ねる。

 隣に立つシリルも小さく肩を揺らして固まった。


 レオンには国王という立場からかずっと重圧感のある雰囲気があったものの、接している時は基本的に温厚な対応だった。

 だからこそ今目の前で突然繰り出された高圧的な怒鳴り声が想定外で、驚いたルイーズの体は動かない。


「も、申し訳ございません。出過ぎた真似かとは思ったのですが放っておけず、ご検討だけでも――」

「だから誰に申しておると言っているのだ!」


 激昂の声に、またびくりとする。


 駄目だ。恐らくこれ以上喋ると火に油を注ぐことになるだけだろう。


 口を引き結ぶが、レオンは怒りに顔を歪ませたまま一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。視界の隅で騎士たちが唇を噛んだのが見えた。


「……シリルの妻とはいえ、私に意見をするなど生意気な」


 見下ろされ、足が竦む。レオンの手がふりあげられ、反射的に目を閉じた次の瞬間。


 ――バシンッという乾いた音が、ルイーズから少し離れたところで響いた。


 身構えていた衝撃と痛みが来ず、恐る恐るまぶたを上げる。

 目の前に立っていたのは、先ほどまで硬直していたシリルだった。


「シリル様!?」

「……お前……」


 ルイーズを庇ったシリルを見て、レオンが目を瞠る。シリルは静かに息を吐き、驚いた顔をしたレオンを真正面から見つめた。


「父上。私からもお願いします。……アサス領への支援許可をいただけませんか」

「……誰にものを言っているのかわかっているのか」

「……はい」


 再びひりついた空気が流れ、息を呑んだ。強く握り締められたシリルのこぶしが震えている。


「わかっているのなら勝手にしろ」

「……ありがとうございます」

「お前はすぐに情に流されて情けない。子どもの頃から散々言ってきかせたおかげで少しは変わったかと思っていたが……やはり使えないままだったか」


 呆然とするルイーズと黙ったまま頭を下げるシリル。レオンは「行くぞ」と低く言うと、騎士たちを連れて去っていた。その中の数人が振り返り、ほんの一瞬、心配するような同情を含ませた顔を見せた。


 最後は自分が言われたわけではないのに、ルイーズはしばらくの間動けなかった。否定するようなレオンの言葉。彼の許可が必要なことを諦めていたシリル。それから――怒鳴り声を浴びせられた時に固まっていたこと。


(もしかして、お二人はあまり関係がよくない……?)


「無茶しないで」


 シリルの声に、はっと我に返る。


「庇ってくださってありがとうございました。申し訳ありません、私のせいで……」


 赤くなった頬に手を伸ばそうとすると、その手を取られて包まれる。そして、自分の膝前に戻されてしまった。


「大丈夫だから」

「ですが」

「慣れているんだ」

「……!」


 やっぱり、と二人の関係に嫌な予感が過った。


 関係が悪いというよりも、シリルが一方的に苦しんでいるように見える。もしかして、今までも自分の感情を抑圧されて生きてきたのだろうか。


 憶測にしか過ぎない。それでも壁を作るような完璧な笑顔と怯えるような態度を考えれば、見えない刃がルイーズの心にも突き刺さる。


「とにかく。今ので十分わかったでしょ。父上に話は通じない」

「……」

「アサス領をどうにかしたかった君の気持ちはわかる。……痛いほどわかるよ」


 シリルのこぶしがきつく、きつく握り締められる。


「でも、僕たちが思うだけでは無理だってことがあるんだ。今回はうまく事が運んだけど……お願いだからこれからは無茶をしないで」


 居丈高になって怒鳴っていたレオンを思い出すと、何も言えなくなる。


「――シリル様」

「……何?」

「私はシリル様のことが大切です」

「……」


 シリルの目が、森で見たように見開かれた。


 すべてのことを知らない自分に、何ができるだろうか。今から紡ごうとしている言葉が適切なのかもわからない。もしかしたら、押し付けに過ぎないかもしれない。 


 それでもどうか、どうか自分の前だけでも取り繕わないでほしい。一緒に花を見た時のような、猫やリスに向けるような――自然体の笑顔で、考えで、生きてほしい。


「ですからシリル様の気持ちを優先してほしいと思っています。……アサス領のことだけではなく、その他のことも」


 降りた沈黙は、森の中で流れたものよりも短かった。

 シリルは目元を泣きそうに歪ませて、ぐっと下唇を噛んだ。


「……相変わらず甘いね、君は」


 耳が拾った言葉は、以前にも聞いたことのあるものだった。けれど、どこか優しく、喜びをにじませているような気がした。


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