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12.視察同行


 去っていったオーブリーと入れ替わるように、「ルイーズ様~!」と元気のよいイネスの声が聞こえてくる。


「ルイーズ様、ちょうどよかったです!」

「どうしたの?」


 イネスが手に持っていた封筒を軽く掲げる。


「書信が届いておりまして。今お持ちしようとしていたところだったんです」

「ありがとう。どなたから?」

「アンナ様です」


 明るかったイネスの声が、わずかに低くなる。

 嫌がらせを受けていたと知った後さらにアンナとサラが突然訪ねてきた事件があったものだから、イネスは二人のことをよく思っていない。顔に出るところが彼女らしいなと思いながらも、心配してくれていることはひしひしと伝わってくる。


 受け取った手紙を開くと、中には最近の近況やロベールの病状が他人行儀な言葉で綴られていた。


(……シリル様の目に入る可能性があるかもと考えたのかしら)


 とにかくロベールに変わりはないこと、フロランも元気でいることに安堵しつつ手紙を封筒に戻す。


「……大丈夫ですか?」

「うん、お父様もお元気みたい」

「そうですか。よかった……!」


 ロベールの近況に安堵した顔をしたイネスが、また険しい顔つきになった。


「それにしても……ルイーズ様にあんなことをしておいてふつうに手紙を送ってくるのですね」


 イネスの声に、あきらかな棘が含まれる。


「シリル様がいらっしゃるので大丈夫だとは思いますが、もしまた嫌がらせをされたらおっしゃってくださいね?」

「うん、ありがとう」

「……ルイーズ様はお優しいので心配です」


 相当心配をしてくれているようで、イネスは眉を下げたままだ。


「……どういうことです?」

「!」


 ふいに低い声がして振り返ると、眉を寄せたクロードが立っていた。イネスが、ハッと手で口を押さえる。


「クロード様、今のお話……」

「ルイーズ様は、ご実家で嫌がらせをされていたのですか」


 イネスの声を遮るように、クロードが語気を強めて言った。

 体裁を保つため周囲には隠し通そうとしていた秘密が知られ、どう答えるべきか考えあぐねる。


「えっと……その……」

「…………」

「過去の話ですので! もう大丈夫です」

「………………」

「あの……この話はどうか内密にしていただけますと」

「……………………」

「それにシリル様に救っていただいたようなものなので本当に大丈夫ですから……!」


 クロードの顔がどんどん厳しく、昏くなっていく。反応がないことに戸惑って、その顔を恐る恐る覗き込んだ。


「あの、クロードさん……?」

「聞いていませんね……」

「……失礼いたしました」


 クロードが我に返ったように微笑む。


「あの、今の話はどうか内密にしていただけますと。シリル様や国の威厳にも関わることですので」

「……国の。そうですね。もちろんです」


 国の、とクロードが繰り返すようにもう一度つぶやく。


「……嫌なことを思い出させたくはありませんのでこれ以上はお聞きしませんが、もし何かあればイネスはもちろん、私のこともどうか頼ってくださいね」

「ありがとうございます」


 クロードはまた笑みを深めると、一礼して去っていく。


「ルイーズ様、申し訳ありません。私から気をつけるように言っておきながら……」

「いいのよ、私がここで手紙を開封しちゃったから」


 申し訳なさそうなイネスに答えてから、遠ざかる背中を見遣った。


(クロードさん、なんだか一瞬別人のようだったけど……よほど心配をかけてしまったのしかしら)


 イネスにもクロードにも、これ以上気にかけてもらってばかりではいられない。ルイーズは改めて気持ちを引き締めた。




 あっという間に一週間が経ち、ルイーズとシリルは馬車に揺られてアサス領へとやって来た。夜のうちに城を出て、到着する頃には空の高いところに日が昇っていた。


「先月一度雨が降ったのですが、またここ数週間一向に降らずでして……貯水池の水も限界が来てしまいそうなのです」


 領主であるエンゾは、挨拶を終えると悲痛な面持ちで切り出した。肩を落としているからか、恰幅のよい体が小さく見える。


 元々雨の少ない地域とはいえ、緑は枯れて地面は乾き切っている。今も容赦なく照りつける太陽。すれ違う領民たちの疲れた顔を見ていると、胸が痛んだ。


(なんとかできるといいのだけど……)


 ロベールが領主の仕事を全うしていた頃の記憶をたどり、策はないかと思考を巡らせる。ここに来る前、王宮図書館や事務官からの話で、各領の特徴や国の予算は確認済だ。


 とはいえルイーズにどうにかできる権限はないし、シリルが今何も発言していない状態でどこまで口を出してよいものかもわからない。


 もどかしい気持ちを抱えながら周囲を見回していたところで、ふと小さな男の子が視界に入った。傍らには母親らしき女性もおり、二人とも遠目でわかるほど服が質素で顔がやつれている。


「ぼく、喉乾いたよ……」

「じゃあ、お母さんのこれ飲みなさい」

「でも、そうしたらお母さんが……」

「大丈夫。大丈夫よ」


 お互いを想い合うような会話。この領の問題を凝縮させたようなやりとりに、また心がずんと重くなる。

 隣を見ると、シリルも顔をしかめながら親子を見つめていた。その横顔には、悔しさがにじんでいるように思える。


(そうよね。きっとシリル様もどうにかしたいって思うはず……)


「隣接するサンリビ領と話をして、そこから水路を引くのはどうかとご提案をいただいたのが先週です。すぐに工事を開始したのはいいものの、いつになるやら見通しも立たず……何より既に資金が底をついてしまいそうで」


 エンゾが目を伏せる。


「サンリビ領の支援をいただいたり、私の給与を減らすことや他の整備を後回しにしたりすることでなんとか工面をしておりますが、元々あまり裕福ではない領のため限界があり……どうか国の力をお貸しいただけないでしょうか」


 エンゾと傍にいた側近らしき役人たちが、一斉に頭を下げる。


「わかりました。なんとかできるようにします」

「ありがとうございます。殿下……!」


 全員の顔がぱっと明るくなる。

 光が射したと言いたげな皆の笑顔に、シリルはいつも通り穏やかに微笑み返していた。

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