11.近づいていく距離
そんな日が続くこと数日。
一緒に眠ったり話をしたりしたからか、シリルとの距離は急速に縮まっていった。
「ルイーズ、おはよう」
「シリル様、おはようございます」
「花の水やり?」
銀のジョウロを手にしたルイーズの隣に、シリルが立つ。
「はい、庭師のマルクから来客がない時ならと許可をいただいて」
「そう。嬉しそうだね」
弾んだ気持ちが顔に出ていたらしい。シリルが、微笑ましそうに口元を緩める。
「この花はなんて名前?」
シリルの視線の先では、日を浴びた赤い花びらが仲よく寄り添っている。
「ゼラニウムです」
「へえ……きれいだね」
腰を屈めたシリルが、花を覗き込みながら目を細めた。金色の髪が、さらりと風に揺れる。
(シリル様、なんだか前よりも笑ってくれるようになってきた気がする)
出会った頃から笑顔を崩さなかった人ではあったけれど、当時向けられていた笑みとは少し種類が違う気がした。なんというか気さくで、隙と朗らかさがある。ルイーズはそれが嬉しかった。
シリルとは毎日いろんな話をした。
その日の予定やできごと、食事の感想といった表面上の会話だけではなく、お互いの好きなことや家族の話といった踏み込んだ話も交わすようになっていた。
シリルの母は、彼を産んだ際に亡くなっていること。国民として話には聞いていたけれど、改めて彼の口から聞いたのは数日前だ。
ツボに入ると意外と豪快に笑うこと。朝は眠いのかいつもより素直になること。中庭によく来る猫と遊ぶのが好きなこと。最近はその中の一匹が怪我をして心配していたけれど回復の兆しが見えて喜んでいること。
シリルの新しい面を知るたび、抱いていた印象が変化してお互いの口調も砕けていった。
「少しわけていただいて最近は部屋にも飾っているんです。華やかで美しくて……シリル様もいかがですか?」
「部屋に……そうだね」
ゼラニウムを眺めていたシリルが、思いついたような顔つきになる。
「この花、僕にも育てられるかな?」
「え?」
「なんだか、ルイーズが楽しそうな様子を見ていたら興味が出てきて。飾るだけじゃなくて世話もしたい気持ちになってきたんだ」
「ふふ、では一緒にマルクに相談しに行きましょうか?」
「うん、ぜひ」
(シリル様が少しでも自分らしく過ごせているといいのだけど)
朗らかな横顔を見ていると、心の奥にある水面が揺れるような不思議な感覚がした。あたたかくて穏やかな、初めての気持ちだ。
(不思議。一時は掴めないだとか冷たいともまでも思ったのに)
今はもっと、シリルのことを知りたいと思っている。
それがどうしてなのかはわからない。ただ契約結婚を遂行するパートナーとしてなのか、友情のような感情なのか。わからないのに、新しい顔を見ることができると心が反応してしまう。
胸に芽生えた願いを自覚していると、そうだ、とシリルが思い出したように口を開いた。
「来週、アサス領へ視察に行く予定なんだ」
アサス領といえば、王都からムスヴィレ領とは反対──東へ馬車で一日程かかるところにある小さな領だ。自分が王宮へ嫁ぐ少し前に、干ばつの影響で作物の収穫率が悪くなっていると風の便りで聞いたことを思い出した。
「紹介も兼ねて、よければ君も同行してくれないかな」
「もちろんです」
「ありがとう。よろしくね」
(私が意見を言える場面はないかもしれないけれど、公務として勉強しておかないと )
「それと、今夜なんだけど一緒に眠れなくなったんだ」
「そうなんですね。大丈夫ですよ」
「ごめんね、急に父上に呼ばれてしまって……遅くなりそうだから」
気にしないでほしいともう一度伝えると、シリルは眉を下げて苦笑した。本当に申し訳ないと思ってくれているらしい。
(シリル様もお忙しいのね)
「シリル様、お話中失礼いたします。そろそろ……」
少し離れたところで待機していた側近騎士が、控えめに近づいてきて声をかけてくる。シリルの表情が、ほんの少し硬くなった気がした。
「もうこんな時間だったね。じゃあ、ルイーズ。また夕食の時に」
「はい」
去っていくシリルを見送り、ジョウロを片づける。
マルクに声をかけ自室へ戻ろうと庭を歩いていると、向かいからオーブリーが歩いてきた。
「ルイーズ様、おはようございます」
「おはよう、オーブリー」
立ち止まったオーブリーは、無言でにこにこと笑っている。
「どうしたの?」
「いえ、殿下と仲がよろしいことを微笑ましく思っていました」
「そ、そうかしら」
周囲からもそう見えているのは、純粋に嬉しい。
(でも、どうしてこんなに嬉しいのかしら。お飾りの妻の役目がまっとうできてるから?)
「今夜もご一緒に寝られるのですか?」
「ううん、今夜は陛下に呼ばれたみたいで。遅くなるから別々に寝る予定なの」
「ああ……」
オーブリーの表情が微かに曇る。それから、苦笑を浮かべた。
「相変わらずですね、殿下は」
「やっぱりお忙しいんですね」
「もちろんそれも否定はしませんが……陛下の命令には逆らえないのですよ、殿下は」
「え?」
レオンとは結婚式の前に挨拶をしたきりだ。
けれど、王としての威圧感はあれど、シリルと変わらない優しい笑顔で接してくれた彼には特に怖い印象は持っていない。
(……それでも一国の王だものね。厳しいところもあるのかも)




