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10.初めて知る素顔?


 目を覚ますと、シリルの腕の中だった。


(あ……そっか、あのまま寝てしまったんだわ)


 微かに鳥の鳴き声が聞こえる室内はぼんやりと明るい。眠気を携えたまま広い胸から顔を上げた瞬間――。


「!」


 こちらを見ていたシリルと至近距離で目が合った。


「……っ、お、おはようございます」

「おはよう……ごめん、驚かせたね」

「い、いえ……」


 耳が熱くなるのを感じながら、少しだけ体を後ろに引く。


「……昨日の夜はごめんね」


 寝起きだからか、いつもより掠れたシリルの声に、彷徨わせていた視線を戻した。彼の瞳が気まずそうに揺らめいている。

 反応から察するに、うなされていた時のことをぼんやりと覚えているらしい。


「いえ、眠れてよかったです」

「……うん、君のおかげだと思う。いつもは……ああいう時、完全に目が冴えちゃってなかなか寝つけないから」

「え、いつも……?」

「……」


 しまった、と言いたげにシリルが黙る。昨日の夜は相当苦しそうに見えた。それがたまたまではなく日常的なのだとしたら――。


(辛いんじゃないかな……)


 ふと、幼い頃にアメリーから教えてもらったおまじないを思い出した。


「シリル様、眠れない時はこうするとよいですよ」

「え?」


 両手で月のような丸を描き、ぎゅっと握り締める。


「母から教えてもらった眠れるおまじないです。ごめんなさい、気休めかもしれないのですが幼い頃私もこれで眠れたので」

「……ふふ、かわいいおまじないだ」


 シリルの目元が、ふっと和らいだ。少しでも気持ちを軽くできるといいなとほっとする。


「……あのさ」


 朗らかに笑っていたシリルの声が、ふと硬くなった。


「強引にすすめておいてなんだけど、君は勝手に結婚を決められて……こんなふうに好きでもない男と寝て嫌じゃないの?」

「それは……」


 まっすぐに見つめられて、言葉に詰まった。


「正直……結婚のことは最初は戸惑いました」

「眠ることはいいの?」

「……夫婦なので」


 本当は緊張していたし戸惑ったけれど、シリルに倣ってそう答える。

 でも、とすぐに言葉を続けた。


「私は、自分の人生を生きたいんです。だから嘆くだけじゃ何も変わらないと思って……今はシリル様やお城の皆のおかげで今までとは違う私らしい人生を楽しんでいます」

「……そう」

「その環境を整えてくださったのは、シリル様ですよ。もちろんシリル様もご存じの通りかなり困惑はしましたし、今も完璧に慣れてはないですけど」

「僕は……」


 笑ってみせるルイーズに、シリルは気まずそうに唇を引き結んだ。


「……君は強いね。僕にはできないな」


 こぼれた言葉は、切実な響きをまとって聞こえた。ルイーズの口から「え」と小さな声が漏れるけれど、それ以上言及するより早く、シリルがにっこりと笑みを浮かべる。


「さあ、そろそろ起きようか。オーブリーが起こしに来てしまう」


 起き上がったシリルが、ゆっくりとカーテンに手をかける。誤魔化された気がするけれど、聞ける雰囲気ではなくて――ルイーズはただ、窓の向こうに広がるまぶしいほどの晴天を見つめた。




 あの夜以来、ルイーズは時々シリルからの誘いで彼の部屋を訪れるようになった。理由を尋ねると「よく眠れるから」と言われ、それなら……と断る理由が浮かばず受け入れた。


(それに……私もなんだかシリル様と一緒ならよく眠れる気がする)


 真っ暗な部屋に目が慣れて、すぐ隣で眠るシリルの輪郭が見える。

 自分以外の体温、呼吸、時々シーツが擦れる音。一人で眠る時には感じられない音が、今日もルイーズを柔く包む。


「……人の体温って安心するんだね」


 ぽつり。シリルの穏やかな声が落ちた。


(……ああ、そっか。私も一緒だわ)


 抱き締め合って寝た日は一度だけだったけれど、体が少し触れたり、同じシーツの中で温度を共有しているだけでもきっと違う。


「――シリル様」


 考えるより先に、体が動いていた。目の前にいる彼に手を伸ばすと、シリルの目が見開かれる。ゆっくりとルイーズの顔と手を往復する視線。


「あ、その……私の体温でよければいつでもと思ったのですが」


 さすがに出過ぎた真似だっただろうか。不安になって引っ込めようとした手は、シリルの手のひらに包まれた。そろそろと優しい力で握られる。


「……ありがとう」

「あ……はい」


(よかった……ご迷惑じゃなかったみたい)


 胸を撫で下ろして、冷たい手を握り返す。

 いつも完璧な王子。笑顔で優しい人。

 けれど、どこか見えない鎧をまとったような不安定さを感じていた。


(もしかして、周囲に弱みを見せるのが苦手なのかしら)


 一国の王子ともなると、外では完璧な姿を保たなければならないのだろう。

 だったらせめて、眠る時くらいはなんの憂いもなく。鎧も必要とせず、ただ心穏やかに夜を越してほしい。

 そんな願いを手のひらに託して、ルイーズは温度を取り戻してきた彼の手を包んだ。


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