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バーチャル・リアリティ・アミューズメントの虜

作者: 坂口正之

彼女は、彼と一緒に最新鋭バーチャル・リアリティ・アミューズメントの一室に入ると、ほんの少し、隣の彼の目を気にしながら目の前にある操作盤上のBボタンをタッチした。

彼女のタッチしたBボタンの他には、AボタンとCボタンがあった。もちろん、Aボタンは「友人コース」、Bボタンは「恋人コース」、Cボタンは「それ以上コース」となっていることは、百も承知の上だった。

その部屋には、二人が並んで座れるシートとその前にタッチパネルの操作盤があるだけだったが、間もなく、超高性能コンピューターによりレーザー・ホログラフィーなどの最先端ハイテクを駆使したバーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界が、部屋いっぱいに繰り広げられるのであった。

部屋の照明がしだいに暗くなり、やがて真っ暗になると、真っ先に現れたのはヘリコプターの操縦席だった。もちろん、彼は隣にいて、既にヘリの操縦桿を握っていた。

「うわっ、どうなっているんだ、ヘリじゃないか…」

「カズキ、あなたが操縦しているのよ!」

まるで本当のヘリコプターに乗っているような部屋中が揺れる振動を受けながら、バリバリといったヘリコプター独特のローター音に負けないように、彼女は、彼に向かって大声で言った。

「そんな、突然に…。オレ、ヘリなんか操縦したことないよ…」

「誰だって、そんなのないわよ…。とにかく、操縦桿を動かせばいいのよ!」

「分かった、やってみるよ…」

前後左右上下の壁全体に繰り広げられる映像からは、ジャングルの上空を飛んでいることだけは直ぐに分かった。地上には一面に密林が広がり、ゆったりとした大河が大きく蛇行しながら続いている。

ヘリが急降下し始めた。どんどん降下して目前に地上が迫ってきた。

「カズキ、危ない、キャー…」

ビューン、という大きなローター音をとどろかせて、密林の樹木すれすれにヘリが再び舞い上がった。

仮想現実のアミューズメントだから、ヘリが墜落しても怪我をしたり命を落とすことはないことは分かっていても手に汗を握らされる。リアリティの点では、これ程までのアミューズメントは他のどこにも無かった。

そうやって、ジャングルの上空を上下左右しながら危なっかしい操縦を続けているうちに、燃料切れを知らせる警告ランプの点滅と警報音が鳴り始めた。

「カズキ、どこかに着陸しないと…」

「分かっているよヒトミ。なんとか無事に着陸できるところは…」

彼は、低空で飛びながら平地を探し、密林の狭い隙間を見付けると慎重に着陸を試みた。ヘリは大きく振らつき、回転しながら何回か上下動したものの、何とか着陸に成功した。

二人にとっては、もう役に立たなくなったヘリを棄てて機外に出るしか残された道は無かった。

二人が機外に出た時、数十メートル向こうに数人の男達が見えた。ほとんど裸に近いその男達は手にヤリを持ち、体には赤いボディーペインティング、顔にも赤と青の縞模様の派手な装飾が施されていた。

男達は、ヘリから降りた二人を見ると奇声をあげ、ヤリを振りかざし、こちらに向かって駆け出して来た。

「ヒトミ、逃げるんだ!」

彼は彼女の手を取ると、一目散に男達が向かって来る方向とは逆に走り始めた。

彼女は、これはバーチャル・リアリティで現実ではないんだと心の底で思いながらも、彼に付いて一生懸命に走った。

どれだけ走っただろうか、もう息も絶え絶えになり、足がもつれて転びそうになったところで、彼女は言った。

「カズキ、もうダメ、走れないわ」

「バカ、走るんだ、殺されるぞ。ひょっとしたら、食われるかも…」

「えっ、そんな…。でも、もうダメ…」

そう言いながらも彼に引きずられて行くうちに、いつの間にかジャングルを抜け、川のほとりに来ていた。

アミューズメントの世界では、なぜか運良く、その川のほとりにはボートが係留してあった。

彼は、そのボートに飛び乗ると彼女の手を引いて一緒に乗り込ませ、直ちにオールを漕いで岸から離れた。

同時に、林の中からボディーペインティングをした男達が現れて川岸まで辿り着くと、意味の分からない言葉を発しながら、手に持ったヤリを次々とボートに向かって投げた。 しかし、どのヤリもボートに届く直前で落ちて、川の中に沈んでいった。

ようやく逃げ切った安堵感に、彼女は彼に寄り添ったが、その間もなく、今度はワニが姿を現した。

鋭い目だけを水面に出してこちらを見たかと思うと、ゆっくりと二人のボートに近づいてくる。ワニの全身のほとんどが水面下にあるため、その大きさがはっきりとは分からないが、目と頭の大きさの感じから、ゆうに体長四メートルはあるように思われた。

「カズキ、大変、あそこ、あそこ見て! ワニよ、大ワニが寄って来るわ!」

「ワニ? 今日はワニか…、どうすりゃいいんだ…」

彼女と彼は、先週もこのアミューズメントで楽しんでいたのだった。その時は、ゴリラの襲撃だった。時には砂漠でサソリに襲われることもあるらしい。

A、B、Cのコース以外は、どんなシチュエーションになるかは選択できない。コンピューターが乱数を使って、たまたま選んだものが二人の前に展開されるのだった。

しかし、いくらバーチャル・リアリティとはいえ、ジャングルの中で蛇や蛭の大群に襲われるのだけは嫌だと、彼女は思っていた。

ワニは、ボートから数メートルまで近づくと一度動きを止め、回りを伺うようにして間合いを取り、一気にボートに体当たりした。

大きく波が跳ね上がるとともに、ボートは木の葉のように揺れた。

「きゃー、カズキ、助けて!」

跳ね上がった波は、彼女の右半身をずぶ濡れにした。

ワニは一度ボートから離れ、ゆっくりと方向転換すると、こちらに向きを変え、再びボートめがけて突進した。

再度、大きく波が跳ね上がり、二人は川へ転げ落ちそうになるのをボートの縁を必死の思いでつかんで耐えた。

その時、ワニの大きな口がぐっと突き出され、彼女の顔の前を通過した。彼女には、ワニの口が自分の唇に触れたような気がした。

そして、ボートの縁に顎を乗せたままワニは止まり、ギョロリとした目を彼女の方に向けた。

「キャー!」

彼女の絶叫した悲鳴がこだました。

彼は、オールを持って立ち上がるとワニの頭に向けて、それを大きく振り下ろした。

ボコッ、ボコッ、という鈍い音が響いた途端、ワニは頭を左右に振り、大きく口を開いたかと思うと、そのまま彼女めがけて突き進んだ。

「あー…!」

彼女は恐怖のあまり言葉にならず、ただ、ボートの縁をつかんだまま目を瞑って首をすくめた。

まさに、開いたワニの口が彼女の頭に覆い被さろうとした瞬間、オールがワニの口に突き立てられた。

彼が、渾身の力でワニの口めがけてオールを突き出したのだった。さらに彼は、全身でオールを押し込んだ。

ワニは、鈍い唸り声を上げながらずるずるとボートの上から後退すると、オールをくわえたまま、バシャッと水面に顎を叩き付け、そのまま川の中に沈んでいった。

彼女には、これは仮想現実だと分かっていても震えが止まらなかった。

彼は、ワニの跳ね上げた水でずぶ濡れになった彼女の肩を優しく、それでいて力強く抱きしめた。

「もうだいじょうぶだよ、安心していいんだよ」

「…」

「ああ、こんなに濡れちゃって、寒くはないかい?」

「ええ、もうだいじょうぶよ…」

左手の甲で涙を拭いながら彼女は答えた。


その時、突然、ジャングルの風景が消え、紺碧の海に青い空、所々に白い雲が浮き、眩い太陽が降り注ぐ風景に一変した。

二人は、大型クルーザーのデッキの上で、映画で観るエーゲ海のような素晴らしい海をクルージングしているところだった。

「まあ、きれい! 本当にきれいだわ…」

彼に肩を抱かれたまま、彼女はつぶやいた。

遠くには海岸線が見える。目の覚めるような白い漆喰で壁を塗られた小さな家が、山から海岸線に向けて並んでいる。

海の青さと空の青さの中間で、白い絵具を点々と落としたような素晴らしい眺めだった。どこからか潮の香りのする爽やかな風が吹いてきて、彼女の髪を乾かすとともに、さらさらとなびかせ、それは肩を抱いた彼の腕の上を踊った。

心地よい速さで進むクルーザーの横を、時折追走するように飛魚が跳ねて飛んだ。白いカモメも直ぐ近くまで寄ってきて羽ばたくと、特有の鳴声で鳴いた。

その時、突然目の前に現れたダッシュボードの扉が開き、中からクリスタルグラスに注がれた芳醇なギリシャワインが現れた。さらに、その後からは、新鮮な魚介類とオリーブオイルをふんだんに使った地中海料理が差し出された。

このアミューズメントの中では、飲食だけは仮想ではなく現実のものであった。

二人は、クルーザーに微かに揺られながら、エーゲ海のどこまでも青い海と眩い太陽に抱かれたままワインを飲み、食事をし、誰にもじゃまされない至福の時を過ごしたのであった。


もう何回目の永いキスだろうか。彼の唇が彼女の唇からやっと離れた時、彼女はたまらなくなってCボタンをタッチした。

このアミューズメントでは、途中でコースの変更が可能であった。

先週、ここに来た時もそうであった。やはり途中で我慢できなくなって、夕陽に映えるマッターホルンが目前にそびえるカフェテラスの中で、スキーで疲れた体を彼にあずけながら、それをタッチしたのだった。

彼女自身、最初からいずれCボタンをタッチすることは分かっていた。でも、彼の目の前で最初からそのボタンをタッチすることは、彼女にはどうしても出来なかったのである。


突然、フランスルイ王朝風の宮殿の一室に変化した。ベルサイユ宮殿だろうか、彼女には分からなかったが、とにかく二人は大きなベッドの上にいた。

軽くて、今にも風に吹かれて流れていきそうなふわふわの羽毛布団が二人を包んでいた。 ベッドの四角には、紫壇だろうかそれとも黒壇だろうか、ロココ調様式のアカンサスの葉が彫刻された柱が立っていた。その柱によってベッドの回りにはカーテンが下ろせるようになっており、濃いあずき色のシルクのカーテンが、柱に付けられた黄金色の織り紐で結ばれていた。

彼女は、ああ、マリーアントワネットは毎日こんなベッドで過ごしていたのかしら、と思いつつ、先週は、寝殿造の一室で御簾に覆われた布団の上に十二単衣を着た自分がいて、源氏物語絵巻の世界のように感じていたことを思い出していた。

彼が熱いキスを続けながら、ゆっくりと彼女の胸のボタンを外し、彼女自身密やかに自信を持った、ふくよかで形の良い胸にしっかりと触れてきた時は、彼女は職場での嫌なことなど、これまでの全てを忘れ、彼と二人だけの時間の渦に吸い込まれていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


彼女は、殺風景な自分のアパートに帰っていた。

ついさっきまで、彼と過ごしたそのホテリが、まだ体の芯に残っているようだった。彼女はどっと疲れを感じ、短いため息をついてベッドの角に座った。

あのアミューズメントは凄い、凄すぎる。また来週とは言わず、もう明日にも絶対に行こうと心に決めていた。

その時、携帯電話が鳴った。

「ヒトミ、どう、元気?」

ごく最近までつきあっていた、恋人のアツシからだった。

「ええ、元気よ…」

彼女は、乱れた髪をかきあげて答えた。

「何か変わったことあった?」

「別に、何にも無いわ…」

「そう…。ところでバーチャル・リアリティ・アミューズメントって知っている?」

「…」

彼女は、黙って答えなかった。

「知っているの?」

「聞いたことはあるわ…」

「凄いっていう噂だよ…。どう、一緒に行ってみない?」

「…」

再び、彼女は黙った。

「行こうよ!」

「やめとくわ…」

「えっ、なんで、本当に面白いっていう話しだよ」

「なんか、そんな気分じゃないの、今は…」

「どうかしたの?」

「別に…」

「何かあったの?」

「今日は疲れているの…。早くおふろに入って眠りたいわ、悪いけど切るわよ…」

「ちょっと待って、ヒトミ…」

彼女は、アツシの話しが終わらないうちに電話を切った。

そうして、静かになった部屋の中で独りつぶやいた。

「行きたければ一人で行けばいいじゃないの、私なんか誘わなくたって…。男性にはYボタンがあるじゃないの…」

そのアミューズメントは、もちろん二人で楽しむことも可能だが、一人でも十分に楽しめた。いや、現実には、一人だけの利用者がほとんどだった。

彼女もそこに行く時は必ず一人だった。そして、入場するといつも最初にXボタンをタッチしていた。

簡単な男性の好みを入力してXボタンをタッチすれば、コンピューターが作り出した仮想現実の素敵な彼が現れて、彼女を優しくエスコートしてくれる。

ただし、真の仮想現実かと言えば、そうではないのかもしれない。コンピューターが作り出した彼は、全く生身の人間と同じように話もすれば、食事もし、ベッドを共にすることも可能なロボットで、人と区別がつかなかった。

そのコンピューターが作り出した彼は、彼女が気に入れば記録され、次回の訪問時に再び、彼女の前に現れるのであった。

彼女は、そのカズキに本当に恋をしていた。もう人間のアツシのことは、彼女の意識の中では他の男と同じ、ただの男性だった。

「アツシもYボタンさえタッチすれば、私よりずっときれいでスタイルも良くて、アツシ好み女の娘が現れて一緒に楽しめるのに…」

 そうつぶやくと彼女は、熱いシャワーを浴びようとベッドから立ち上がった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


その頃、バーチャル・リアリティ・アミューズメント運営会社の営業部長は、社長に話しかけていた。

「大成功ですね。こんなに大勢のお客さんが来るとは思いませんでしたよ」

「これまでに無い最新鋭のバーチャル・リアリティだ、人気が出ない訳が無いだろう…」

イケメンの若手社長が答えた。

「しかし、当初は二人での利用を見込んでいたのですが、まさかこれほどまでに一人のお客さんが多いとは思いませんでしたよ…」

「そりゃそうだよ。自分好みの彼や彼女が現れて一緒に相手をしてくれるのだから、一人がイイに決まっているよ…」

社長は、コンピューター画面を見ながら言った。

「でも社長、一人で来るお客さんは何度か来ると好みが変わって、必ず違う恋人に換えようとするんですよね。なぜでしょう?」

「それが、人間なんだよ。人間とはそんなものだ…」

「じゃ、あのヒトミとか言う女性もカズキに首ったけのようですが…?」

「ああ…、今はぞっこんでもあと二、三回来れば、必ず、他の男に換えようとする。間違いない」

「そうですか…。人間って、変ですね?」

「ああ、そうだ。とても理解できないよ…」

「社長、これでは若い人たちの結婚がますます遠のきますよね。子供も生まれなくなるじゃないですか。少子化もここまで進んで、もはや人類は滅亡の危機を超えて絶滅に向かって後戻りできない状況だということを分かっていないのでしょうか?」

「イイじゃないか。もうみんな未来のことは諦めているんだよ。彼らは、不自由で面倒くさい人間同士の恋愛には疲れ切って、自分が望む理想の恋人とバーチャルな恋愛をして人生を最後まで楽しく過ごせればイイんだよ」

「でも、その理想の恋人がコロコロ変わるなんて…」

再び部長は、首を傾げて言った。

「だから、それが人間だって…。間もなく人類が滅亡しても、我々ロボットが人類に代わってしっかりこの地球を守って行くのだから、心配はいらないよ…」

「人類は、このアミューズメントで理想の恋人と大恋愛をして、幸せに滅亡していくっていう訳ですね…」

「ああ、そういうことだ…」

カズキと呼ばれるイケメンのロボット社長は、そう言いながら画面上でコンピューターがこれまで作り出した多数のロボットの中から、次にヒトミに気に入られそうなイケメンロボットを探し始めていた。

(おわり)

この作品は、ミレニアム記念作品として1999年(平成11年)12月25日に作成したものです。それで、今回の公開に当たって、改めて、読み直してみたのですが、もう一段階オチがあっても良いのではないかと思い、25年近くも経って最後の部分を付け加えてみました。

つまり、以前は「そうつぶやくと彼女は、熱いシャワーを浴びようとベッドから立ち上がった。」で終わりとしていたのですが、その後にカズキをイケメン社長にしてヒトミの立場を少し落としてみました。そうしないと、このままではアツシが少し可哀そうな気がしたのですが、余計だったかもしれませんね。

当時は、このオチに持ってくるためにヘリコプターを操縦したり、ジャングルでワニと闘ったり、エーゲ海クルーズやマッターホルン、ベルサイユ宮殿などを持ってきたりしたのですが、どのような情景や状況を提示すれば皆さんが興味を持って読んでくれるのか、随分悩んだ覚えがあります。

ところで、以前はこのようなアミューズメントは小説の世界だけだったのですが、25年経ってみると小説の世界から現実の世界にだんだん近づいてきているような気がしてきました。さらに、あと25年も経つと現実に起こりえるのではないでしょうか?

もし、このようなアミューズメントが本当に出来れば、私だけでなくほとんどの人が行ってみたいと思うのでしょうが、カズキが言っているような社会にならないか心配もありますね。大きなお世話ですかね…。

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