流れる歌に想いを乗せて、歌い続ける
実家で結婚を決めたと、報告すると、父は「そうか」と短い返事を返してくれた。とくに、籍を入れるぐらいで結婚式を予定してはいないが、芸能人同士の結婚なので、少しは話題になるかもしれない、昔ほどの騒ぎにはならないし、実家には迷惑を掛けないようにすると言ったら父に怒られた。迷惑なわけあるか、と。数日の滞在だったが、父は嘉隆くんを気に入ってくれたようだ。
母はこっそり耳打ちして、結婚式もしなくていいから、写真だけは欲しいと望まれた。まぁ、それくらいならと私は了承する。嘉隆くんもどこか嬉しそうだった。
嘉隆くんの実家にも、そう伝えると、まぁ、お互いバツイチ同士なうえ、アラフォー同士なので、大々的にする必要はないだろうということで、かなり、あっさりとしたものだった。
お父さんに怒られるような事にはなっていない。ただ、一度顔を出しなさいとだけ、言われた。
その報告を、絵美にすると、仕事終わりに直接、うちの実家に顔を出してくれた。勢い良く私に抱きついて、大きな声を上げて泣き出した。ふと、前にこう言う事があったなと思う。
あの時は、祖母が亡くなった時で、私は絵美に抱き付いてわんわん泣いた思い出がある。嬉しくて、嬉しくて、もっと早く私を見守ってくれた人たちを、安心させてあげれば良かったなと、心から思った。
私の結婚の話で話題が逸れたが、最後に杏の話を聞く事が出来た。来年には、就職か進学、九月では既に決まっている事のはずだった。今まで、その話題を控えていたが、流石に聞かないのも気になる。その話題を振ると兄はあっさりと、仙台の専門学校に進学が決まったと告げた。
ずっと、家にいるわけではないが、経理などの知識を学んで家のためになる事をしたいらしい。
そのために、週明けに仙台に用事があるので、一緒に車に乗って行かないかと誘われた。早めに出て、どこか、見たいところがあったら、そこを経由してくれるらしいが、乗せてもらえるだけありがたいので杏を優先して欲しいと伝えた。
それでも、兄は私たちの、宮城の県北に来るのが、初めてな、嘉隆くんのために、国道を南下して松島を通過してくれた。走る車から見るだけだったが、そこを通ってくれた兄に感謝だ。ふと、運転をする悠兄から、突然、話を振られた。
「嘉隆くんは、いつ東京に上京したんだ?」
「俺ですか、高校卒業して、家の手伝いしながら、バイトして二十歳になる前ですかね、歌を歌う夢諦められなくて、バイトしながら、路上やライブハウスで歌わせてもらったり、その時に遥に会って、ビートルズの曲で意気投合して一緒に活動するようになりました。遥の実家にはかなりお世話になった」
「ほぉ、ビートルズか、うちらもよく聞いたな、麻衣」
兄がにやにやして私に視線を送るが、ごめん、私もその話初めて聞いた。広大くんと意気投合したのビートルズなのですが、その事を知っている悠兄は悪い笑みを浮かべてその爆弾を投げつけた。
「ビートルズの話しておけば簡単に麻衣を落とせるぞ」
「麻衣もビートルズが好きなの?」
「お、知らなかったのか、そうだよな、その話はほとんど禁句のようなものだもんな。言うわけないか。なぁ、麻衣の結婚の話どこまで聞いている?」
「ネットで調べられる情報よりも知っていると思います。麻衣がちゃんと、話してくれたので」
「そうか、まぁ、そいつと、意気投合した話題がビートルズだったんだよ」
「それは知らなかったな」
まさか、嘉隆くんもビートルズを聞いていたなんて思わなかった。もしも、その話を聞いていたら、話題にしていただろう。嘉隆くんは、そっかと何かに納得したのか言葉を続けた。
「その後、ライブハウスで今の事務所にスカウトされて、二人でデビューすることになった。この話、麻衣にはしていないね。していたら、流れでビートルズの話題になったかもしれないから」
「そうだね、聞いていたら、私もビートルズが好きだって、言ってたかもしれない。というか、嘉隆くんのデビューはライブハウスからなんだね」
その会話を、助手席で聞いていた杏が目を輝かせて後ろを振り返った。あ、杏がいるのに、こんな話題出しちゃった。しかし、彼女の興味は私の結婚の話ではなく、嘉隆くんのデビューする時の話の方だったようだ。
「浅生さん、超カッコいい!」
「定職にも就かないような若者がただ、好きな事しようともがく話だよ?」
ごめん、嘉隆くん、それ、私や悠兄にも刺さってます。杏は楽しそうに笑うと、「それ、お父さんとおばさんもだよ」と続けた。あっと、気付いたように嘉隆くんはごめんと言って謝ってくれた。
オーディションを経て芸能界に入った私と、高校を卒業して、就職はせずに家業を継いだ兄は、定職にも就かない若者の筆頭だろう。
それにしても、杏の言い方、今更気付いたんだけど、古川くんは「くん」で嘉隆くんは、浅生「さん」なんだね。
そんな、家庭で育った杏なので、地道に家のために、経理系の学校に行こうとしているかのように見えたが、彼女もきっと、歌う事が好きなのだ、その夢は諦めてはいないだろう。
仙台でアパートを借りて、過ごす二年間で何かが変わるかもしれない。それに、彼女が真面目に専門学校に進学を決めたのは、古川くんが、大学を卒業しているからだ。
「なんで、仙台なの? 東京で私のところに転がり込むって選択肢なかったの?」
「それはない。だって、去年の時点でおばさん、結婚するかもしれないって、お父さん言ってたもん。そんな、新婚さんのところに転がり込む事なんて流石に出来ないって」
「結婚する予定はなかったよ」
「今そんなこと言っても、説得力ない。だって、お父さん、おばさんの男友達出来たのLINE見て、絶対に付き合うって、力説してたもの。そして、その通りになった」
何年、お前の兄ちゃんやってんだ、と見てれば分かるって言われた。ああ、そうですか。顔を覆って下を向いても誰が咎められるだろうか。隣りに座っている、嘉隆くんは、声を上げて笑っている。
「いつまで、はぶてとるん?」
ああ、方言反則ー! 周りは大爆笑だ。ううう、拗ねてないもん。嘉隆くん、私を甘やかせる時に、方言使うのは、ずるいです。悠兄もげらげら笑いながら、嘉隆くんと同じ事を言った。「いづまで、むつけてんだよ」と、宮城弁で。
「はぶてとるん?」すごく、可愛い言葉だなと思います。拗ねるとか、機嫌を損ねるって言う意味があるそうです。
久々にキーワードのビートルズ登場。忘れていたわけではないです。これからも、ちゃんと出て来ます(笑)。




