溢れる想いを受け止めたいのに、それだけの器がない
その日、昼間はリハーサルがあり、夕方には、TV出演があって、それがようやく、終わる。同じく、嘉隆くんのラジオ出演が終わって、連絡をもらう。どうやら、ラジオ局の人たちに飲みに誘われたらしい。飲んでいいよ、というと運転は誰がするのって言われた。ナビがあるから私が運転するよ、と返しておく。
免許は持っていますよ、田舎では、基本的に就職勢が多いので、就職決まると放課後を利用して取りに行く生徒が増えますから。
「じゃあ、申し訳ないけど一時間だけ」
「ゆっくりしてきて」
その間、適当に夕ご飯を取る事にした。やっぱり、お好み焼き食べておこうかなと思ったんだけど、一人では寂しいので、普通にチェーン店のパスタになりました。まぁ、莉子さん誘っても良いんだけど、仕事終わって、別れた手前、また、誘うのは気が引けた。運転するって言ったので、お酒が飲めないのは少し残念だけど。
本当に一時間後に、嘉隆くんは、戻ってきた。ナビに実家の住所をいれて、ゆっくりと、車を走らせた。嘉隆くんは思ったほど、酔っていないようだ。
私に断って、先日発売された私のアルバム曲を流してくれた。その細やかな気配りが好きだ。私の穏やかなバラードは、耳に心地良いって言ってくれた。
「麻衣の声が好きだな」
「私も嘉隆くんの声好きだよ。優しく心に響いて、寄り添ってくれるそんな声だね。あんな、高音出るの、私からしたら、すごくずるいけど」
少しだけ甘くて、古川くんと、違う声質、大好きな声だ。すると、信号が赤になったタイミングで、不意に嘉隆くんの左手が、ナビに触れた。目的の場所を指差して、ここに寄って欲しいって言っている。
「ちょっとだけ、寄り道しようか。この先の、コンビニ。飲み物欲しい」
「了解」
信号から、さほど遠くない場所にあったコンビニの駐車場に入り、車を下りる。三月の夜気は、火照った顔に心地良かったようで、嘉隆くんは、小さく伸びをする。
コンビニで、嘉隆くんは、水を私は、コーヒーを買う。お酒の入っていない私はホットコーヒーがちょうど良かった。
車に戻り、運転を再開しようとした、私の手を嘉隆くんが止めた。「嘉隆くん?」横顔から表情はつかめない。何を考えているのか。視線が絡み合うのを、避ける様に私は視線を外すと、窓の外に視線を向けた。
九時を回った時間帯では、通り過ぎる人も車もほとんどいない。コンビニの明かりだけがどこか異質に見える。窓に映る嘉隆くんの真剣な表情。
少しの間があって、言葉を選んでいた嘉隆くんが、口を開いた。続けられる言葉は予想できた。ずっと、私は彼の好意から逃げ続けてきたのだ。一度結婚に失敗した身としては、これからの結婚など、考えてもみなかったし、付き合う事自体、目を背けていた。それも、少しづつ崩れ去っていく。
「結婚は考えなくていいから、俺と付き合ってくれる? 麻衣と一緒にいるだけでいいんだ」
「今まで通りじゃダメなの?」
「それよりも、一緒に居たい」
私の答えを待ってくれる、私が返事を返さないとずっと待っていそうだ。その優しさにずっと、甘えてきた。その優しさが好きで、きっと私はこの人が好きだ。あの頃の広大くんに対する曖昧な好きじゃない。はっきりと、分かる好きだという気持ちだ。
「私のこれまでのこと聞いても幻滅しない?」
「聞いてもいいの?」
そう言って、私が話し始めたのは、昔の結婚の失敗だ。ネットの海に飛び込めばあっさり見つかるだろう。それを、私の口から話すのは、初めてだ。
詳しくは話さなかったが、広大くんとの結婚の失敗の後にも、数ヶ月しか続かなかったけれど、彼氏がいた時期もあった。でも、あの時の様な楽しいと言う事はなかった。年齢が上がるにつれて、恋人よりも仕事を優先させてきた。それは、逃げだったのかもしれない。
嘉隆くんとは、全然違う恋愛観。だって、嘉隆くんは、好きになった人と結婚して家庭を築いて、子供も産まれて、誰よりも幸せだったはずだ。その後、すれ違って、離婚しちゃう、その離婚が嘉隆くんの心を弱らせる程に、詳しい事は、古川くんからは聞き出せていない。
もしも、聞くとしたら、私から嘉隆くんに直接聞くしかないのだが、それは、きっと無理。好きという言葉さえ曖昧で、流されるだけの恋愛観だったのだ。そんな、私が聞けるわけなんてない。
私は今まで、誰も好きになる事はなかった。だからこそ、初めて人を本気で好きになって、こんなにも不安で、躊躇っているのだ。真っ直ぐで、優しくて、でも、それは一過性のもので、そのうち、私から離れていってしまうのではないか、そう思っても仕方がないだろう。
そのすべてを彼は受け入れてくれた。優しさを讃えた瞳に自分が映っている。眩しいな、こんな年齢になって、本気で誰かを好きになっている。
泣きたくない、けれど涙がこぼれ落ちる。苦しい。私はどうしても、この人が好きだ。私の流れる涙に指が触れる。
「麻衣?」
「こんな私でいいの? 無理だよ。これ以上、距離詰められちゃ、私はきっと貴方を手放せない。こんな、年齢になって初めて気付いた。好きってこんなに辛くて苦しいだね」
「ようやく、俺の気持ち分かった? 俺は麻衣を手放すつもりはないよ。一緒に居よう。一緒に歌って、笑って、寄り添う関係で居たい」
ありがとう、そう告げるしか出来ない私の言葉に彼は嬉しそうに笑った。その後のうちに帰りたくないね、という言葉に大いに慌てるのだった。その、慌てる私に嘉隆くんは、初めてのキスをくれた。
ここで、ようやく恋人同士に、長かった様な気がしますが、出会って、まだ、二年目なんですよね。




