雨の中、君の心に花が咲いた(side遥)
新しいアルバム作成のために、遥はスタジオにいた。レーゲンボーゲンのアルバムでは無く、遥のソロのアルバムだ。こうした、音楽番組以外のTVに出る事はほとんど無いので、こうして、MV撮影とは言え、スタジオに入るのは珍しい。しかし、今回は、MVも拘って作ってもらおうと思って、役者の様な真似事もしてみようと思った。
その影響を受けたのが、麻衣だった。彼女は俳優からデビューをして、役者としてもプロだ。本人はかなり、否定的だったが、見せてもらった映画もドラマも芝居、ミュージカルにおいても妥協は一切せず、全力で取り組む姿に好感が持てた。
それに感化されたのかもしれない。今まで、ちょっとした、演技は今までMV内でやって来てはいた。しかし、初めて、再開後に出した『暁』のMVでその楽しさを知った。今までのアルバムやシングルでも多少は、演技するシーンもなくは無かった。がそれほど多くはない。
そして、『暁』よりも前に出た、嘉隆のアルバムに入っている『My Angel』と『regret』で嘉隆が演技の才能もあった事だ。それには、驚いた。アルバムに妥協したく無かった、と言われたが、もしかしたら麻衣の目に留まるかもしれないと思ったのかもしれない。
嘉隆本人は、目立つ事が嫌いで、特に演技に興味は無かった。しかし、このビジュアルだ、周りはそうではない。再三、嘉隆に俳優の道に進まないかと打診をした様だが、それが、余計に俳優はやらないと思った要因かもしれない。
仕事が終わり、スタジオを出て、遥は降り頻る雨を見つめていた円に気付いた。傘を持っている様子は無かった。ならば、遥の選択肢は一つしか無かった。もう一度、その機会に恵まれた事が嬉しかった。
「頼永さん、こんにちは」
「え」
「ああ、驚いてくれた」
振り返った円は遥の姿に驚いた様だ。ここで、会うとは思っても見なかった様だ。スタジオでMVの撮影だったと言うと納得してくれた。役者なので、音楽番組に出る事はあれきり無いと思っていたので、本当に驚いた様だ。
「傘、今日はありますよ。こないだの約束どうですか」
「そうね、お言葉に甘えましょうか」
今回は素直な返事をもらえる事が出来た。あの時、また機会があったら、と言ったのは円だ。だったら、それに掛けて見たくなった。巡ってくるはずなど無いと思っていた縁に、運命は悪戯だ。傘があったら、今回は断られていたかもしれない。でも、円の手に傘は無い。
「こないだのお店でいいの?」
「他にも美味しいお店知っているんですか」
「何軒かあるかな」
「じゃあ、そっちは今度行きましょう。今日は、こないだのお店で。まだ、もう一つのチーズケーキ食べていないっすから」
「え、今度があるの?」
「あの時は、逃げられたから、今度は逃すつもり無いですよ」
遥はそう言って、笑った。今度はどんな言葉ではぐらかされるか、しかし、その予想は外れた。相変わらず、物好きね、とだけ呟いた言葉に遥はいつも言われると返事を返したのだった。
「ここだけの話なんすけど、新しいアルバムを作成中です」
「え、それ、私が聞いては駄目な事でしょう」
「まぁ、あそこで会いましたからね。言っておこうと思って」
「古川さんて、確信犯ですね」
「それも言われます」
誰にも言うつもりは無いけれど、こうして、その情報を円に曝け出す事の意味は理解している。長い間、芸能界にいれば、公に出来る事と出来ない事の判断は付いているはずだ。
そして、遥ははっきりと、裏表の無い言葉で、円に告げた。俺と付き合って下さい、と。
「ちょっとだけ、待って。古川くんの気持ちは嬉しい。でも、私が古川くんに答えるためには、どうしてもやらなければいけないことがあるの」
「付き合っている人ですか」
「知ってたの?」
「なんとなく」
「そう、古川くん、腹黒いって言われない? でも、そんなところ、嫌いではないわ」
「ありがとうございます」
この人に、彼氏がいるのではないか、と言うのは薄々気付いていた。しかし、表情にも言葉にも出さない。あの日、円の手元に置かれたスマホに来ていた着信を遥は見ない振りした。
「あの日、スマホに着信ありましたね。なんで、取らないのかなと思っていました」
「気付いていたのね」
「こんな、良い人を待たせるなんて、嫌な男ですね」
「そうね、もしかしたらって、ずっと思っていた。あの日、雨が降った日、そろそろ潮時かなって思っていたところだったの」
「俺に乗り換えませんか」
「私と合わないと思ったら無理に付き合う必要は無いわ。その時は、さっさと私を振ってね」
「その言葉、俺からもそのまま返しますよ」
そう言って、遥は珍しく感情の読める表情で笑った。あの時、円は遥の伝票を手にして、一人で帰った。あれは、彼氏に対する後ろめたさの表れでしかない。
その日、円は彼氏に別れを告げたと言う報告が遥のLINEに届けられた。
遥くんにも、ようやく春が訪れました。




