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虹の架け橋  作者: 藤井桜
本編
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幼い手を引いて見る鮮やかな赤と大人になるための言い訳



 私、川村麻衣は東北、宮城県の北部の港町に産まれ、家は代々続く農家、父母と祖母、上に兄二人が居て、どこにでもあるような普通の家庭に育った。ただ、少しだけ背が高い事を除けば、普通の女の子のはずだと思っている。

 しかし、年齢が上がるにつれて、少しづつ、女の子らしさと無縁になったのは、きっと、兄二人のせいだ。田舎の野山を駆け回り、お人形遊びや飯事よりも、外で遊ぶ事を好んだ。身近に年の近い女の子は住んでいなかったので、男の子とばかり遊んでいた。幼稚園の頃は戦隊ごっこ、小学校に上がると、野球にサッカー、缶蹴り、鬼ごっこ、外で遊ぶのが好きだった。

 近所の子供達の中で最年少という事もあったのかもしれない、仲間外れにされる事なく、誰からも可愛がられた。野球やサッカーは、ルールも知らずに、遊んだ、その記憶が懐かしい。



 夕焼けに染まる、田んぼは黄金色に輝く。日曜日、今日は、朝から色んな場所を駆け回っていた。午前中は、近所の子供達と、秘密基地になる場所を探して、森の中を歩いた。お昼を食べて、公園で野球をして、そして、少しずつ、子供達が家路に着く。無数に飛ぶとんぼに、吹く風は秋なのだと、感じさせる。家に帰る途中だった。


 次兄の敬也(けいや)と兄の友人の高橋健太の後ろをちょこちょこと着いて行く麻衣は、買ってもらった広島カープの赤い帽子が大のお気に入りだ。どこに行くでもそれを被っている。買ってもらった時点では大きくて、ぶかぶかだったその帽子はようやく彼女の頭にちょうど良く収まった。

 二つ上の兄は六年生で、一緒に遊んでくれる幼馴染みの健太は麻衣に手を差し出してくれて、とても優しかった。


 中学三年生になる長兄の悠一の大好きな映画の曲を覚えた次兄の敬也は、その歌を口ずさみながら、線路を歩いている。本当は、絶対にダメな行為だ。一時間に一本しか来ない電車、今日は日曜日で、夕方の今日最後の電車を見送った直後だった。有名だと言う映画は洋画で、小学生の麻衣には、難しく、見た事はない。でも、歌は、兄が歌うのを覚えた。麻衣はそれを真似するように、次兄とその友達の後ろを着いて行く。


 四年生の麻衣にとって、兄の存在は絶対だった。兄の真似事をして、一緒に親に怒られて、それでもその時間が大好きだった。


 夕焼けは空を真っ赤に染めて、高い位置にある線路からは、黄金色に輝く稲穂が見える。どこまでも、どこまでも続く広い田んぼと畑しか見当たらない、田舎のそんな光景。

 もうすぐ、実りの時期を迎え、稲刈りが始まる。少し小高い、場所にある、線路、麻衣はここから見える景色が大好きだった。幼な馴染みの健太と手を繋ぎ、道端で拾った長めの棒を片手に歌う。歌の意味なんて分からない。それでも、楽しかった。その後に親に怒られたのも良い思い出だ。



* * *

        


 小学生の頃から短かった髪は、中学生でも変わらなかった。身長は中学生になっても伸び続けて、三年生になる頃には、170センチに届くほどまで伸びた。兄二人も身長は高く、二人とも180センチ前後ほどある。ただ、身長は伸びたが体力は全くない。中学生になり、運動する機会が学校の体育の授業だけになり、民謡や踊りを習っていたために、部活には、強制で入ってはいたが、名ばかりだ。小学生の頃に野山を駆け回ったり、公園で毎日遊んだはずなのに、不思議だった。

 兄の影響で、音楽を聴くようになったからかもしれない。父母も兄も音楽を聞くのが好きだった。それと、祖母から教わる踊りが唯一の運動と言えるものだったのかもしれない。ポップスから洋楽に演歌、民謡と多岐に渡る音楽で、家は満たされていたのだ。


 中学生に上がる頃、隣りの町から近所に引っ越して来た、佐藤絵美と友達になった。麻衣とは、正反対の性格で、誰とも直ぐに打ち解ける、明るい子で、麻衣とも直ぐに仲良くなった。長い髪を、ポニーテールにしていて、運動が得意なのも、麻衣とは正反対だった。そして、女の子の友達は初めてだったかもしれない。

 その、絵美はこれからずっと、二人の歩む道が異なっても、友達で居てくれた、麻衣にとって、かけがえのない大好きな友達だ。



* * *                 



 中学三年生の二月の終わり、祖母が病気で亡くなった。突然の事だった。その年の冬は比較的、暖かかったので、油断したようだ。二月の初めに引いた風邪が、肺炎まで悪化して、そのまま、祖母は亡くなった。歌と踊りが大好きな人で、私も兄二人も祖母から民謡と踊りを習った。数年前まで、足腰もしっかりして、毎年、五月に青森県である、民謡の大会に行くのを楽しみにしていた人だ。

 祖父は私が産まれる前に、亡くなっているので、顔は仏間のある部屋に残された、写真のみだ。祖母はよく働く人で、農業の傍ら、女手一つで父と父の兄弟五人を育てたという。

 そして、父もまた家を継ぎ、ずっとこの土地で暮らしている。父も母も農作業で忙しいので、もちろん、私たちも手伝わされる事もあるが、私たちは、祖母に民謡を教えてもらいながら育ったのだ。私たち家族の生活に歌はずっとあるものだと思っていたので、悲しい。


 最後に祖母のために、涙を流しながら歌った兄弟三人の民謡の調べは静かに二月の空に響き渡った。絵美にしがみついて、わんわん泣いた。これが、友達になって、初めて泣いた時だった。祖母の魂が安らかでありますように、空に向けて、祈らずにはいられなかった。


 その日、急な天気の急変の後に、見た虹が忘れられない。



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