クラスメイトの東宝院さんが婚約破棄された
「みなさま、ごきげんよう」
「「「――!」」」
教室に東宝院さんが入って来た途端、空気がパァと華やいだ。
「おはよう、東宝院さん!」
「ごきげんよう、鈴木様、本日もお元気そうで何よりです」
「東宝院さん、今日も髪型メッチャイケてるね!」
「うふふ、ありがとう存じますわ。田中様の髪型も素敵ですわよ」
瞬く間に人垣に囲まれる東宝院さん。
相変わらず凄い人気だ。
流石日本有数の財閥である、東宝院財閥のご令嬢。
生まれ持ったカリスマ性というか、人を惹きつけずにはいられない、圧倒的なオーラのようなものが全身から溢れ出ている。
そのケバブみたいに大層立派な縦ロールも相まって、さながら異世界恋愛小説に登場する悪役令嬢のようだ。
「柴田様、ごきげんよう」
自分の席に着いた東宝院さんは、隣の席の俺にも丁寧に頭を下げてくれる。
「おはよう、東宝院さん。今日も東宝院さんは何と言うか……、輝いてるね」
「うふふ、恐縮ですわ」
屈託なくころころと笑う東宝院さん。
高貴な身分でありながら、こうして庶民の俺たちにも分け隔てなく接してくれるんだもんな。
そりゃ人気も出るってもんだ。
「ところで東宝院さん、今日は随分来るのが遅かったね?」
いつもは誰よりも早く登校してるのに。
「ああ、それが、途中で荷物を抱えたおばあさんと、風船が木に引っ掛かっている女の子と、陣痛で苦しんでいる妊婦さんと、家族には会社に行くと噓をついて公園のベンチで黄昏ているリストラされたサラリーマンと、役者を目指して上京してきたもののなかなか芽が出ず付き合っている彼女からも『そろそろ現実見たら?』と言われ自暴自棄になっているところに実家から『お父さんが倒れた』と連絡があり慌てて駅に向かっている途中でオーディションの一次審査通過メールが届いた28歳フリーター男性がいたので、少しお手伝いさせていただいたら、こんな時間になってしまったのです」
「それ全部解決してきたの???」
「ええ、それがわたくしの使命――ノブレス・オブリージュですから」
東宝院さんは優雅に微笑んだ。
ううん、やはり東宝院さんは俺たち庶民とは、人間としての格が違うな。
「なあ麗子、ちょっといいかな」
「あら? どうかなさいましたか、正孝様」
その時だった。
東宝院さんの婚約者である、安土正孝が東宝院さんに声を掛けてきた。
安土も有名企業の御曹司で、二人は親同士が決めた許嫁なのだそうだが、今時許嫁なんて文化が残っている時点で、つくづく俺たちとは住む世界が違うんだなと思い知らされる。
「昨日の数学の宿題うっかりやり忘れててさ。頼むから写させてくれよ」
えぇ……。
「まあ。宿題というのは自分でやらないと身にならないものですわよ、正孝様」
「いや、それはそうなんだけどさ。今回だけは頼むよ、この通り!」
「なりません。あなた様はいずれ人の上に立つ、模範的な人間になるのですから、もっと自覚を持ってくださいませ。ノブレス・オブリージュですわよ」
「……チッ、この頭デッカチがよ。もういいよ!」
安土は子どもみたいにプンプンしながら、自分の席に戻って行った。
同じ高貴な身分でありながら、東宝院さんとはこうまで人間性が違うもんかね。
「……まったく、いつもいつも」
そんな安土の背を眺めながら、東宝院さんは深い溜め息をつきながら頭を押さえる。
この二人はいつもこんな感じだ。
性格が致命的に合っていない。
こんなんで将来本当に結婚できるんだろうかと、他人事ながら心配になってしまうな。
「おーい、ホームルーム始めるぞー。みんな席着けー」
その時だった。
欠伸を噛み殺しながら、担任の先生が教室にのっそり入って来た。
みんなゾロゾロと自席に戻る。
先生の隣には、一人の小柄で可愛らしい女の子が立っていた。
「えー、今日は転校生を紹介する。さあ、自己紹介して」
「はい! 桃山果歩といいます! よろしくお願いしまーす! イエーイ、ピースピース!」
「「「……!」」」
転校生の桃山さんは、これでもかというドヤ顔で、ダブルピースを披露してきた。
こ、これはまた、強烈なキャラが来たな。
「桃山の席はあそこの空いてる席な。安土、今日は桃山に教科書見せてやってくれ」
「あ、はい」
「わー、よろしくね、安土くん!」
「お、おう」
ドカッと安土の隣の席に座り、ニッコニコの笑顔を安土に向ける桃山さん。
「……」
そんな二人を、東宝院さんは無色透明な瞳で見つめている。
この時俺の胸には、言いようのない不安が渦巻いていた。
「えー、安土くんてあの安土コーポレーションの御曹司なのー!? 凄い凄ーい!」
「アハハ、そうでもねーよ」
休み時間になった途端、桃山さんは安土の身体にベタベタ触りながら安土のことを褒め称えた。
安土も満更でもない様子だ。
安土は御曹司のイケメンの割には、ずっと東宝院さんの婚約者という肩書きが防波堤になって、女の子からは全然モテなかったからな。
意外と女の子に対する免疫がないのだろう。
「……ふー」
その時だった。
東宝院さんが二人の遣り取りを眺めながら、物凄い速さでルービックキューブの面を揃え始めた。
あっ、これは東宝院さんがイライラしている時の癖……。
俺の中の嫌な予感は、益々膨らんでいった――。
そして一週間ほど経った日の放課後。
「ねえねえ正孝くん、この後一緒にカラオケ行かない? 私、久しぶりにパーッと歌いたい気分なの!」
「ああ、いいな! 果歩の歌聴いてみたいと思ってたし!」
「……! 正孝様、少しよろしいでしょうか」
最近ではすっかり下の名前で呼び合うようになった二人に、東宝院さんがルービックキューブの面を揃えながら割って入っていった。
修羅場の予感に、教室の空気がズグンと重くなる。
「な、なんだよ麗子」
「いい加減になさってくださいまし。曲がりなりにも、あなた様はわたくしの婚約者なのですよ? それなのに他の女性と二人で出掛けるなど、世間からどう思われるか、少し考えればわかることでしょう」
「う、うるせーな! 所詮俺たちは、親同士が勝手に決めた間柄だろーが! どーせお前だって、俺なんかと婚約させられて、貧乏クジ引かされたと思ってんだろ!?」
「そ、それは……」
図星だったのか、思わず言い淀む東宝院さん。
「ですが、だからといって我々は模範的な人間になる責務があるのですから……」
「いやいや、固いよ固いよ東宝院さーん!」
「……!」
「人生は一度きりしかないんだからさー、もっとラブ&ピースの精神で、気楽に生きないと!」
桃山さんがいつものダブルピースを、東宝院さんに向ける。
うわぁ、良くも悪くも、メンタルオリハルコンだなこの子……。
「クッ、そういう問題ではございません! あなた様もあなた様です! 婚約者のいる男性に秋波を送るとは、淑女としてはしたないとは思わないのですか!?」
東宝院さんの正論パンチが炸裂!
……だが、多分この手の子は……。
「ふえ……!? なんでそんな酷いこと言うの……!? 私何も、悪いことしてないのに……。うえええええん!!」
「っ!?」
「か、果歩!?」
桃山さんは号泣しながら、教室から出て行ってしまった。
安土も慌てて桃山さんの後を追う。
やっぱりな。
あの手のタイプの子に、基本正論は通じない。
俺たちとは異なる常識の世界で生きているからだ。
桃山さんの世界では、あくまで絶対的な存在は桃山さん。
その主人公に反論してくる東宝院さんは、まさしく悪役令嬢なのだ。
「……嗚呼、いったいわたくしはどうしたら……」
項垂れながら頭を押さえる東宝院さん。
この日から三人の関係は、目に見えて険悪になってしまったのであった――。
――そして遂に事件は起きた。
「……こんなところに呼び出して、どんな御用でしょうか、桃山様」
――!
放課後にフラッと図書室に向かっていると、下り階段の踊り場で相対している、東宝院さんと桃山さんを偶然見掛けた。
こ、このシチュエーションは――!
「お願い東宝院さん! 正孝くんを解放してあげて!」
「……解放?」
「今のままじゃ正孝くんが可哀想だよ! あなたみたいな好きでもない女の子と無理矢理婚約させられて! 東宝院さんだって、別に正孝くんのことが好きなわけじゃないんでしょ!?」
「そ、それは……。ですが、これはそんな簡単な話ではないのです。我々は模範的な人間になる責務があるのであって……」
「何よいつも模範模範って、バッカみたい! 今時流行らないよ、そういうくだらない考え!」
「く、くだらないですって……!」
「オイ、果歩、何だ大事な話って」
その時だった。
俺の位置からだと姿は見えないが、階段の下のほうから安土の声が聞こえてきた。
ま、まさか――!
「……ふっ」
「……!」
桃山さんが下卑た笑みを浮かべた。
やっぱり――!
「きゃあっ!?」
「っ!!」
「果歩ッ!?」
桃山さんは自分から階段を転げ落ちていった。
うわぁ、マジでやりやがったよこの子……。
「う、うぅ……」
「大丈夫か果歩! 果歩ッ!」
「も、桃山様……」
おずおずと桃山さんのところに下りて行く東宝院さん。
俺もコッソリ後をつけると、安土に抱きかかえられながら呻いている桃山さんの横で、東宝院さんがオロオロしていた。
「クッ、やりやがったな麗子! いくらお前が果歩のことを嫌ってるからって、これはやりすぎだ! 立派な殺人未遂だぞ!」
「ち、違いますわ……! 桃山様は、ご自分で落ちていかれたのです……!」
「酷い! 私のことを突き落としておいて、そんな白を切るなんて! うぅ……、痛い痛い、痛いよおおお!!!」
「嗚呼、果歩ッ!」
その割には随分元気そうじゃないか。
大方しっかり受け身は取ってたんだろ?
やれやれ、女っていうのは、つくづく怖い生き物だな。
「もう我慢できねぇ! 今この瞬間をもって、俺はお前との婚約を破棄するッ!」
「ま、正孝様……」
うおぉ、まさかリアルでこの台詞を聞く日がくるとは。
「お前みたいな犯罪者とは、とてもじゃねーが結婚なんかできねえ! 精々ブタ箱の中で反省するんだなッ!」
「……ふふ」
この瞬間、俺は確かに見た。
桃山さんがほんの少しだけ、口端を吊り上げるのを――。
「……わかりました。こうなった以上、流石にわたくしも看過できません。この婚約破棄、謹んでお受けいたします。――ですが、わたくしが桃山様を突き落としたという濡れ衣については、断固として抗議させていただきますわ」
「ぬ、濡れ衣だとぉ!?」
「あんまりだよ東宝院さん! 私は素直に罪を認めてくれれば、示談で手打ちにしてもいいと思ってるんだよ? このままじゃ、東宝院さんの名前に傷が付いちゃうよ?」
「そ、そうだそうだ!」
うわぁ、濡れ衣を着せた挙句、示談金までむしろうってのかよ……。
こんな子が同じクラスにいるって、ちょっとしたホラーだな最早。
……やれやれ、流石にこれは見過ごせないな。
「あー、ちょっといいかな?」
「「「――!」」」
三人は突如現れた俺に、一様に目を見開いた。
うん、気配消してたから、急に現れたみたいでビックリしたよね。
「柴田様……」
「な、何だよ柴田! 俺たちは今、大事な話の真っ最中なんだよ!」
「そ、そうだよそうだよ!」
「うん、それなんだけどさ、俺、桃山さんが自分から階段を落ちてくのを見てたんだよね」
「「「――!!」」」
三人に電流走る――!
「本当でございますか柴田様」
「う、嘘だ! 果歩がそんなことするわけねぇッ!」
「そ、そうだよそうだよ! 証拠でもあるっていうの!? 酷いこと言うと、柴田くんも名誉毀損で訴えるよ!」
うわぁ、この人、自分に逆らう人間にはとことん容赦しないんだな。
どんな人生を歩んできたら、こんな人間が出来上がるんだろう?
「……証拠ならあるよ」
「「「……え?」」」
俺は三人に、スマホの画面を差し出した。
『……ふっ』
『……!』
そこには桃山さんが下卑た笑みを浮かべた直後に、自分から階段を転げ落ちていく様が、ハッキリと動画として収められていた。
「これは……!」
「そんな……!? か、果歩……!?」
安土が青ざめた顔で、桃山さんを凝視する。
「な、なんで……! なんでこんなもの撮ってるのよアンタッ!? 盗撮じゃない、これッ!」
桃山さんが鬼のような形相で、俺を睨んでくる。
怖っ。
まあ、それを言われると、俺も弱いんだけどさ。
「その点については謝るよ。でも、俺はあの時咄嗟に、君が自分から階段を落ちる予感がしたんだ。だから証拠として、これを撮ったんだよ」
「そんな……! 何を根拠に……」
まあ、根拠は今まで散々読んだ、婚約破棄モノの小説の展開と酷似していたからなんだけど、それをここで言うとややこしくなりそうだから、無言で不敵な笑みを浮かべておく。
「か、果歩……、これは何かの間違いだよな……? お前はそんなことするような人間じゃないよな、果歩……!」
安土がゾンビみたいな顔で、桃山さんの肩を揺する。
哀れだな。
「……」
そんな二人のことを、東宝院さんは氷のように冷たい瞳で見つめていた。
「い、痛たたたたたたた……!!」
「「――!」」
その時だった。
桃山さんが右足を押さえながら、苦しみ出した。
「痛い痛い! これ、足の骨折れてるかもしれない! 急いで病院行かなくちゃ! 今日は私もう、帰るね!」
「え!? オ、オイ、待てよ果歩ッ!」
物凄い速さで駆けて行く桃山さんの後を追う安土。
骨が折れてる割には、なかなかの健脚だね?
「……柴田様、このたびは何とお礼を申し上げたらよいか。本当にありがとう存じます」
東宝院さんは折り目正しく、俺に頭を下げる。
「いや、気にしないでよ。俺は大したことはしてないし」
「そんな! 柴田様が助けてくださらなかったら、わたくしは冤罪で人生が滅茶苦茶になっていたかもしれません! ……柴田様は、命の恩人ですわ」
「……! 東宝院さん……」
東宝院さんは潤んだ瞳で頬をほんのりと染めながら、俺の右手を両手でギュッと包み込んできた。
東宝院さん???
「これでやっとわたくしも子守から解放されましたし、これからは少しだけ、我儘に生きてみようかと思います」
「あ、そう……。うん、それがいいと思うよ」
確かに今までの東宝院さんは、ちょっと自分に厳しすぎたもんね。
それにしても『子守』とは、言い得て妙だな。
「手始めに柴田様、今からわたくしとパンケーキを食べに行きませんか? 一度どなたかとご一緒に、食べてみたかったんですの」
「お、俺と……!?」
東宝院さんが、二人で??
「……ダメですか?」
「――!」
東宝院さんがあざとい上目遣いで、俺を見つめてくる。
こ、この人、天然なのか策士なのかは謎だが、こんな意外な一面もあったんだな……。
「いや、いいよ。俺なんかでよければ、喜んで」
「うふふ、嬉しい! では早速参りましょう」
俺と手を繋いだまま、鼻歌交じりに歩き出す東宝院さん。
やれやれ、平凡だった俺の人生だけど、ここから先は、波乱にまみれたものになりそうだな。
ふと窓の外に目を向けると、一筋の飛行機雲が、鮮やかな直線を描いていた。
拙作、『「私たちは友達ですもんね」が口癖の男爵令嬢 』がcomic スピラ様より配信される『一途に溺愛されて、幸せを掴み取ってみせますわ!異世界アンソロジーコミック 6巻』に収録されます。
・アンソロジー版
2024年9月26日(木)…コミックシーモア様で2ヶ月先行配信
・アンソロジー版_他社書店解禁&単話版
2024年11月21日(木)
よろしければそちらもご高覧ください。⬇⬇(ページ下部のバナーから作品にとべます)