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閑話

 どうしてこんなことになったんだ。

 突然、周りが真っ白になった。

 とうとうお迎えが来たのかとも思ったが、どうもそうではないようだ。

 確か、遠く離れて暮らす孫とネットを使って将棋を指していたはずだ。

 恐ろしいほどの速度で蔓延した感染症の流行でもう数年会えていなかったが、今年になってその孫からゲーム機が送られてきた。

 コンピュータゲームなんてと、ずっと毛嫌いしてきたが、孫からの誕生日プレゼントとなれば話は別だ。

 しかも、このゲーム機を使ってインターネットにつなげば、孫と直接対局できるという。

すぐに家電店へ駆け込んだ。

 そして今日、ようやくインターネットが開通して初めての対局中だったというのに。

 幸せな時間は、不意に訪れた不思議な現象によって邪魔されてしまった。

 周囲が騒々しい。

 気が付けば、周りに大勢の人がいる。

 白内障か?

 良く見えない。

 周囲にいるのは人だと思うが、白く濁っていてよくわからない。

 まだそんな年ではない、と言いたいが自信は無い。

 騒いでいる内容も解く分からない。

 勇者?チート?一体何の話だ?

 この先一体どうなるというのだろう。

 孫は無事だろうか。

 ひょっとすると、すでに自分は死んでいて、ここが死後の世界とやらなのだろうか?

 それにしてもうるさい。

 少しは考える時間を・・・と、周囲が急に暗くなった。

 

 暗闇に目が慣れると、ようやく自分が森の中にいるのだと気が付いた。

 どうやら、死んだわけではないようだ。

 微かな虫の鳴く声、草のニオイ、風・・・死んでいたら、こんなにも感じ取ることはできないだろう。

 それにしても寒い。

 突然、遠くでけたたましい獣の遠吠えが聞こえた。

 怖い。

 どうして私はこんな目に合わなければならないんだ。

 かつては棋士として、名人タイトルをとったこともある私が、なんでこんな目に合わなきゃならないんだ。

 恐怖と寒さでガタガタと震えながら、小さくうずくまってただひたすら時間がたつのを待った。

 昔からそうだ。

 自分ばかりが貧乏くじを引くんだ。

 苦労に苦労を重ねて名人位を取ったときだって、後に対戦相手の、当時の名人が体調不良だったことが報じられた。

 実は体調不良で調子が出なかった、とでも言ってくれれば、中には敗者の負け惜しみだと捉えてくれた人もいたかもしれないが、相手は実力で負けただけだと、体調不良を否定も肯定もしなかった。

 結局相手は謙虚で潔い姿勢を賞賛され、私はまぐれの名人と揶揄された。

 そんな雑音に振り回されたあげく、その後の対局はさんざんな結果になり、揶揄された内容が、さも事実だったかのように広まっていってしまった。

 いまだにあの時の歯がゆさと苦しさ、耐えられないほどの屈辱が自分を苦しめている。

 困ったものだ。

 異常事態だというのに、こうして震えながら何もすることが無いと、過去の忌まわしい記憶ばかりが思い出されてしまう。

 少しでも楽しかったことを、と思うも、時折聞こえる遠吠えが恐怖心を掻き立てた。

 どうせなら、早く楽にしてほしいとさえ思ってしまう。

 残念なことに、その望みが叶えられることは無く時間が過ぎてゆく。

 恐怖の夜を超え、ようやく周囲が明るくなってきた。

 周囲から聞こえるけたたましい奇声に怯え、何も見えない真っ暗な闇に怯え、ガタガタと震えながらいつ終わるとも知れない夜を必死に耐えぬくことが出来たようだ。

 私は、みすぼらしい白い服を着せられていた。

 目の前には、初心者が手習いに使うような安っぽい将棋盤と駒の詰まった木箱があるだけ。

 結局これか。

 こんな状況には不釣り合いなことこの上ない。

 孫との対局が夢のようだ。

 ずっとコンピュータの将棋を毛嫌いしてきた。

 人が機械に負けるはずが無いと思っていた。

 そんな私が、孫のためとはいえゲーム機で将棋を指していたなんて。

 しかも、そのせいでこんな目にあっているなんて・・・。

 忌々しい。

 コンピュータのせいで何もかも失ったも同然だというのに。

 私が名人位を取った時にはすでに、若手の棋士たちの多くがコンピューターの将棋を練習相手として使うようになっていた。

 人が指して初めて駒が生きるとこだわった私は、頑なにコンピューターでの練習を固辞し続けたが、そのせいであっという間に時代の奔流にのまれた。

挿絵(By みてみん)

 まぐれの名人などという揶揄に振り回された私は、頑なに否定し続けたパソコンの将棋、それを相手に訓練していたという若い棋士にあっけなく名人の座を奪われるた。

 世の中は一気にパソコン時代へ。

 取り残された私は、タイトルどころか格下相手にもてこずるようになっていった。

 まぐれの名人。

 私自身の実績が、この不名誉な称号を現実のものへと変えてしまった。

 やがてめっきり勝てなくなり、将棋への情熱も冷めていった。

 ほぼ引退同然となっていた私だったが、離れて暮らす孫と将棋を指す、と言う建前でとうとう将棋ゲームに手を染めてしまった。

 その罰が当たったのだろうか。

 「あゆむは巻き込まれてないといいが・・・。」

 あの時一緒に将棋を指していた孫のことだけが気がかりだった。

 ノソリと立ち上がると、当てもなく歩き出した。

 夜の森とはうって変わって穏やかだ。

 奇声は聞こえなくなり、暖かな日の光が、冷え切った体に心地よい。

 もう戻れないのか。

 認めたくは無いがホッとしている自分もいる。

 もう、自分を知る者ははいない。

 まぐれで取れた名人なんて揶揄されることも無い。

 機械なんてと意固地になってバカにしてきたパソコンの将棋ゲームだってない。

 もう将棋を指さなくていいんだ。

 いつの間にか小道に出ていた。

 心が軽い。

 孫のことは気がかりだが、あの白い部屋にはいなかったと思う。

 だいたい、孫がいるのは福岡だ、東京の自分とはあまりにも離れていた。

 巻き込まれているはずがない。

 むしろ、巻き込まれたのが孫ではなく自分で良かった。

 そう思うことにした。

 当ては無いが、小道を歩く。

 意識もせずに鼻歌が出ていた。

 日が高くなる頃、腰を下ろせそうな切り株を見つけた。

 さすがに疲れが出始めていたので助かった。

 腰を下ろすと、右手に将棋盤と駒を持ったままだったことに気が付いた。

 自嘲気味に笑いが漏れた。

 まさか、まだこんなものに執着しているなんて。

 この世界とやらには、将棋なんて無いだろうに。

 指す相手もいないのに、どうしろと言うのだろうか。

 「ははは・・・こんなもの、私にはもういらないのに・・・私には、もう何もないのに。」

 手放そうとして、それでも躊躇した。

 本当に必要ないのだろうか。

 人生をかけてきた将棋を捨てることができるのだろうか。

 結局何も決められず、気が付くと周囲が暗くなり始めていた。

 昨夜の記憶がよみがえる。

 慌てて立ち上がろうとして膝が崩れて転んだ。

 長く同じ姿勢でいすぎたようだ。

 その拍子に駒がバラまかれてしまった。

 「これも、背中を押してくれたということなのかな。」

 日が陰るまで悩み続けて結論が出なかった将棋との決別を、今決めることができた。

 駒も盤もそのままに、小道を急ぎ足で進み始めた。

 (完全に暗くなる前に民家でも見つかればいいんだが。)

 数m歩き出した時、背に激痛を感じた。

 が・・・あ?

 あまりの痛みに声が出せない。

 その場で膝をついてしまった。

 それ以上動けない。

 後ろを振り返ろうにも、ほんの数ミリ体を動かしただけで激痛が走るのだ。

 周囲から草がかき分けられるような音と、ドタドタと、複数の何かが駆け寄ってくるような音。

 怖い。

 恐怖と痛みで呼吸すらままならない。

 それでも、何とか体を動かすと走り出した。

 どこかに隠れたいという衝動が、森の奥へと向けて彼を動かした。

 しかし、すぐ足に激痛を感じて派手に転がった。

 続けて肩、腕、背中と、激痛が走り、何が起ったのかもわからないまま、彼は1000人の中で最初に命を失った者となった。


    **

 

 「「あぁ~あ、何で捨てちゃいますかねぇ、あれが命綱だったのに。」」

 何もない部屋に、不釣り合いなほど豪華なアンティーク調のデスク。

 そのデスクに行儀悪く座る男が、目を閉じたままつぶやいた。

 「「うまく使いさえすれば無敵のヒーローにだってなれたでしょうにねぇ、所詮は近代ゲームと縁遠い老人でしたか。」」

 目を開けた男は、感情の欠片すらない様子で指をパチンと鳴らす。

 と、何か文字でびっしりと埋められた紙が目の前に浮かんんだ。

 「「さようなら、あなたはゲームをただのお遊びと否定していましたけどね、あなたが人生をかけたものも所詮は同類、ただのゲームだったんですよ。」」

 そう言うと、目の前に浮かんだ紙は青白い炎を上げて燃え散った。

 「「しかたないですね、お孫さんに期待するとしましょうか。」」

 うっすらと笑みを浮かべると、男は再び目を閉じた。

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