婿入りの試験と妻との初対面
帝国有数の貴族への婿入りとあって、吝嗇な父にしては珍しく金を惜しまずに立派な衣装を仕立ててくれた。
さて、早めに準備をと帝都に着くと、義姉の実家ブリストル伯爵が出迎えてくれる。
「我が家を実家と思って寛いでくれればいい」
義姉に似て怜悧な美貌で、いかにも頭脳明晰な様子だ。
パーシーは面倒になって単刀直入に聞く。
「伯爵様、僕に投資をして、何を狙ってます。
僕は属国の次男、それほどお役に立てることはないと思いますよ。
過大な期待は迷惑なのでやめていただきたい」
ハッハッハ
伯爵は怒るかと思ったら笑い出した。
「そのくらいの気概があれば大丈夫だろう。
いいですか、公爵家は今や瀕死の象だ。
そして誰もがその肉を狙っているが、真っ先に行けばそいつが周りに咬み殺される。
そこで無力な小国の王子の出番だ。
他を油断させて巨象を再生させてもいいし、その美味いところの肉を腹一杯に食べてもいい。
その余得を我が伯爵家にももたらしてくれ」
いったい義姉は僕のことをどう紹介したのか、ろくな経験もない青二才の僕が伯爵の期待になど添えるはずもない。
そう言おうとしたが、彼は、あとは執事に任せてあるとさっさと席を立っていった。
面会者がここからも見える。随分と多忙そうだ。
伯爵家では賓客のように下にも置かずにもてなされるともに、宮廷作法を徹底的に叩き込まれる。
パーシーは人質時代に宮廷で仕えて知識はあるが、公爵婿ともなれば宮中の席は上位となる。
間違えたりすれば嘲笑われ、場合によれば処罰もありうる。
長く帝国に居させられたパーシーも貴族の作法のことは知らない。
そして特訓の合間にあちこちから面会の客が来た。
人質時代の旧友とは喜んで会うパーシーだが、見知らぬ高位貴族にジロジロと見られるのには困った。
「おお、あれが、先般の戦で大活躍した…」
「政務も一国を切り回して隙がなかったと聞くぞ」
ヒソヒソと噂されるのは精神衛生上良くない。
そして肝心の公爵家からはなんの音沙汰もない。
詰込み教育と来客の試すような問答に鬱々とするパーシーを伯爵は狩りに誘った。
二手に分かれて、伯爵隊が追い立ててくる獲物を、パーシーの隊が待ち受けて止めを刺すこととし、数十の兵を連れて完全武装で出向く。
(随分と重装備だな)
パーシーがそう思っていると、伯爵の隊から大声が聞こえた。
「山賊に遭遇したが、そちらに逃げられた。
仕留めてくれ!」
見ると同数くらいの武装した男達が血相を変えてこちらに向かってくる。
とっさに兵達に固まるように指示し、方陣を敷く。
まもなく伯爵隊が来れば挟み撃ちにして勝てるので、守りを固めてそれまで保てば良い。
若しくはこちらを素通りして逃げるのであれば、ここは領地でもないしパーシーの知ったことではない。
ところが彼の計算をよそに、賊達はパーシー隊に執拗に攻めかかり、しかも伯爵隊は一向に追撃してこないどころか、高台から見物している。
そこには身分の高そうな貴族が集まって何やらこちらを見ながら話している。
(くそっ。
僕は剣闘士じゃないんだぞ!)
あの物見遊山の様子では助けを求めても来ないだろう。
パーシーは救援が来るのを諦めて、ここで決着をつけるべく、自分が前面に出て応戦し、敵の注目を集める間にウィレムに兵を与えて迂回させて背後を突かせた。
「伯爵隊が来てくれたぞ!」
大声でそう叫ぶと、敵は少数と気づかずに挟撃されたと思って逃げ腰となる。
「今だ!全員進め!」
パーシーは自分が先頭に立って賊を追い、見世物にされた腹立ち紛れに逃げる賊を斬りまくろうとする。
ところが、そこで伯爵から
「パーシー殿、お見事。
そこまでで結構です。
後は我が手のものが始末しましょう」
と止められる。
どこまで人を虚仮にするとパーシーはますます腹を立てたが、家の実力から文句も言えずに引き下がる。
笑顔の伯爵の後ろには完全武装の騎士が整列していた。
その後、ようやく公爵家に呼ばれる。
(どんなお嬢様だ?)
人質時代の友人に聞いても、カーラの噂は義姉の話と同じであったが、結婚するのであればなんとかやっていかねばならない。
年若い女の子など話すこともないのに、そんな相手が当主でこちらはバッグもない婿。
滅多にない美少女という話よりも上手くやっていけるか心配で仕方なかった。
広大な公爵家に通されたあと、連れて行かれた先には老人が横たわっていた。
「そ、そ、そなたが婿殿か…。ストーク王国のゴードン殿の息子ならば安心だ…
カーラとこの家を頼む…」
それだけを言って震える手で僕の手を掴むと、公爵である老人はこちらに哀願するような目を向けた。
「はい、微力ながら全力を尽くします」
周囲の家臣に取り囲まれたパーシーはそう言わざるを得ない。
予想以上の衰弱ぶりであり、この様子では頼りにすることは無理そうだ。
そして、肝心のカーラについては、忙しいのでと面会を断られてそのまま帰される。
遂に婚礼の当日となった。
パーシーは教えられたとおりの作法で席につき、花嫁を待つ。
(なかなか来ないなあ。
とにかくうまくやっていければいいのだけれど)
パーシーも若い男だ。
これまでに女性と付き合ったこともない。
胸の中ではまだ見ぬ相手への期待と不安が高まる。
なかなか来ない花嫁に高位貴族が列席している会場もざわつき始める。
ようやくやって来た花嫁衣装の女性は、列席者のざわめきを無視してさっさと席に座った。
チラリと横顔を見ると前評判どおりの美少女であるようだが、一瞬こちらを見た彼女はプイッと視線をそらした。
その後はつつがなく、式は進行し、パーシーとカーラの結婚は成立した。
その後の披露宴では、花嫁は気分が悪いと退出し、パーシーはひたすらに公爵家の縁者や高位貴族達に挨拶をして回った。
狙っていた婿の座を取られたと思っているのかパーシーに挨拶すらしない者、睨みつける者もいれば、一見好意的だが目が笑っていない者もいる。
(僕がどれほどの器量か測っている、または役に立つか、傀儡にできるかと考えているのか)
人質時代にも、帰国してからもよくあった視線だ。
小国とは言え、王家の次男であればこんな視線に遭うことは多い。
親族のテーブルでは、特に幼い男の子を後ろに連れた若い女性からは凄い目つきで睨まれ、小声で「王子という名前のこそ泥が!」と罵られる。
唖然とする中でブリストル伯爵が肩を叩き、耳元に囁く。
「あれは亡くなった嫡男の妻とその子だ。
家督争いで負けたのがよほど悔しいらしい。
腹を立てずに柳に風と聞き流せ。
まずは家中の様子をよく観ることから始めるのがいい。
派閥争いが激しいが、君ならうまく操縦できるだろう。
期待しているぞ」
疲れ切って豪華な馬車に一人乗り、公爵家に連れて行かれると、広大な寝室に放り込まれた。
(はてさて、少し見ただけだが美人だったな。
しかし、あのお嬢様は初夜に来るのかな。
まあ、閨をともにするのに少し稚すぎるような気がするな)
疲れてまぶたが閉じそうだが、立場の弱い婿がここで寝るわけには行かないと眠気を振り払う。
果てしないほど待つほどに、突然にドアが開けられた。
カーラと思われる美しい令嬢が仁王立ちになり、後ろの侍女が止めるのも聞かずに大声で言う。
「みんなが頼むから仕方なくアンタなんかと結婚させられたけど、わたしの心に決めた相手はもういるの!
冴えないアンタなんかと結婚しないわ。アンタは名前だけの夫。
もちろんわたしとベッドを共にできるなんて思わないで。
名前だけでも偽りの夫が側にいるなんて耐えられない。
アンタは明日から離れで暮らすのよ」
そう懸命に怒鳴る少女にパーシーは可笑しみと安堵を感じた。
(一生懸命に頑張っているなあ)
修羅場を何度も踏んだパーシーには幼い子供が無理に踏ん張っているようにしか見えない。
そして笑みを交え、少しからかうように彼女に返事をする。
「じゃあ僕は何もしなくていいんだね。
その離れでのんびりしてればいいんだ」
カーラはそういう返答は予期していなかったようで、必死で突いた剣を躱されたかのような顔となり、一瞬ポカンとする。
しかし、次には心を立て直して気負った言葉を吐いた。
「そうよ。
アンタの価値は王子という肩書だけ。
アンタの役割は宮中の行事に行くこととアタシに愛する人の子供ができたら、その父親として名前を貸すこと。
それだけよ。わかったわね!」
そう言うとカーラはバタンと戸を閉めて出ていった。
「いやあ、助かった。
ここで同衾されて、その挙げ句に何もわからず当主にされて困ってます、助けてくださいなんて言われたら逃げ場がなかったからなあ。
女の子の機嫌を取りながら、陣代として兵の指揮をとらされて、おまけに他の貴族と利権を争い、家中を抑えて内政をなんて、僕にできるわけ無いと思っていたんだ。
とは言え、あのお嬢様の言葉がどこまで一門や家臣団の了解を得たものやら。
言質は貰ったし、それを盾に逃げ出せないかなあ」
パーシーはそれまでの不安な気持ちを一掃して、リラックスして安眠した。