表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

幸福論

作者: 絵里子

それにしても、幸せとはなんだろう。

 佐藤愛子の時代では、花の命は短くて苦しきことのみ多かりきというのが常識だった。

 人生は苦難に満ちたものだから覚悟しなければならない、という大正時代を生きてきた彼女にとって、「幸せってなに?」という質問は困惑させられるものであるらしい。



 わたしには希望がある。八月から新しくはじめたブログ『明日へのまいにち』というタイトルでもわかるように、明日はヒノキになろうという希望である。ヒノキには決してなれないし、なったところで使えるシーンは限られている。しかし希望あるかぎり、人は幸せでいられる。佐藤愛子には希望があるだろうか。



 目の前の現実を生きることで手一杯だったと言う佐藤氏。シチューの作り方を聞いても作る人によって味が違うように、幸福も方法論では片付かない。生きる力を手に入れなさいというのである。



 おいしいシチューはだれしも作りたいし、マネしたいものである。生きる力というのはどうやって手に入れたらいいのだろう。料理にセンスが必要なように、幸福になるにもセンスが必要なのだろうか。



 材料をよく吟味する必要もあるし、じっくり煮込む根気もいる。

 複数で食べたいのか、あるいは独占したいのか。

 ソースはブラウンかホワイトか。

 具はチキンかポークかビーフか。

 シチューひとつとっても、いろいろ考えがある。

 幸福の形もいろいろだ。



 佐藤氏の言う「苦労を恐れない力」もまた、幸福の形のひとつだろう。

 とは言え苦労を恐れる人は多い。

 なぜだろうか。






 昭和の、特に三〇年代以降(つまり1970年代以降)は、家庭にも科学の恩恵が及んできた時代であった。冷蔵庫やテレビ、車などが飛ぶように売れた。それと同時に、科学が人をラクにして幸せにする、という考え方も浸透するようになった。



 ラクなことが幸せ、というのが現代社会の一般常識になったのである。

 こうして文明は爛熟し、人は変化を恐れるようになった。変化は苦労を伴うからである。就学、就職、結婚、リタイア。人にはさまざまな環境の変化があるが、それをいとわしく思う人が増えてきたのではないだろうか。



 わたしだって、パソコンがなかったら字が汚くてとても読めたものではない。この投稿も、電気がなければ空中で霧散している文字の列だし、パソコンもただの箱だ。たしかなものは何もないのがバーチャルな世界。


その中で幸せとはと大上段に構えたって、平凡な主婦の出来ることは限られている。他人のためになにかアイデアを提供しても、それが人の幸せにつながるとは限らない。





 『銀河鉄道の夜』では他人のために命を投げ出すのが幸せだとしながらも、それが本当の幸なのかという疑問も同時に提示されている。文章を読むのは、自分の命(時間)を奪うことである。もちろん作者の時間も費やしているが、それを「自己犠牲」とは誰も言わないだろう。




宮沢賢治は、何を考えてこの問いを発したのか。



 他人のために生きること、それが幸ではないとしたら。

 老人は昔、人の役に立てたからこそ尊重されたと佐藤氏は言う。しかしスマホや自動運転車など、老人にはハードルの高いものが世の中にあふれ、高齢者はいなくていい存在からお荷物になってしまった、と。



 迷惑をかけたくないのに、世話になってしまう。

 世話をしたいのに、うるさがられる。

 あの頃は良かったと回顧にひたっていると、じゃけんに扱われたりもする。

 佐藤氏は嘆き続けている。



 わたしは思う。

 環境破壊、自然災害、人口減少、戦争……。現代文明にはツケが回ってきた。  

 進化だけでなく片付けるのもまた科学の出番ではないだろうか。未来を分かち合おうとする人は世の中にはたくさんいる。





 トルストイは言う。

「たとえ世界が明日ほろびるとしても

 わたしはリンゴの樹を植える」

 明日へのまいにちは、いま、始まっている。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] お久しぶりです。 拝読させていただきました。 島倉千代子さんの『人生いろいろ』ではないですが、人の数だけ喜びも苦労もありますから。。。。 トルストイほど達観してませんが、必ず迎える最期…
[一言] 拝読しました。 確か去年の早稲田大学の小論文の課題が、<退屈の意味について論ぜよ>だったはず。 時代が宮沢賢治に追いついたのかなって思いました。 興味深い作品でした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ