美しく歩む
美しく歩むと書いて美歩。
この名前が嫌いだった。
私の歩き方はゆっくりでとろくて。美しさとはかけ離れた歩き方だったから。
「美歩ちゃんといるとイライラする」
友達によく言われた。
嫌われないようにイライラされないように必死になって相手についていく。
きっと私は一生、そんな人生を歩んでいくんだ。そう思っていた。
2人に会うまでは。
大学生になって一人暮らしが始まった。
私が選んだのは女子専用の学生寮で。
3階建ての小さなものだった。
2階。3つ並んだ右側が私の部屋。
そこで私は今、絶望していた。
ど、どこから手を付けたらいいの〜?
目の前にはたくさんの段ボール。
お母さんには一人で大丈夫と言って帰ってもらったけど、本当は全然大丈夫じゃない。
とりあえず、この箱からあけて〜。あ、でも、これの方がいいのかな〜?
段ボールの前をわたわたと。
そんな自分が情けなくてうなだれる。
ぐー。
追い討ちをかけるように鳴るお腹。
今までならお母さんがご飯を作ってくれたけど、これからは自分で何とかしなきゃいけない。
外を見るともう暗くて。こんな中、ひとりで外に出ていくのもなんだか怖かった。
こんな状態で一人暮らしなんて出来るんだろうか。
これからを思ってじんわりと涙がにじんできた時。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
私はビクリとして玄関を見る。
だ、誰だろう〜?
おそるおそる近付いて扉を開ける。
「は、はい〜」
そこには2人の女の子が立っていた。
1人はピンク色のショートカットで顔いっぱいにニコニコ笑っていて、もう1人は黒髪ボブの髪型で戸惑ったような顔をしていた。
「こんばんは。私、この階の左側の部屋に住むことになる夏凪と言うんだが。漢字は夏に凪と書くんだ。よろしく!」
ピンク色のショートカットの女の子がニコニコ笑顔のままそう言った。
横の黒髪ボブの子が渋々と言った様子で続ける。
「真ん中の部屋の凛音です……。漢字は凛とした音と書きます」
「同じ階同士、交流を深めるため、一緒に晩ごはんでも食べに行かないか? いや、ぜひ、食べに行こう。そうしよう!」
夏凪ちゃんという子は中々押しが強いタイプらしく、グイグイとやってくる。
横で凛音ちゃんが呆れた顔をする。
「諦めた方がいいですよ。私も強制参加させられたんで」
私は圧倒されながら答える。
「ちょ、ちょっと待っててください〜。準備してきますから〜」
慌てて部屋の中に入る。
突然のお誘いにあわてて準備する。
びっくりしたけど、一人で食べなくていいことにホッとしている自分もいた。
3人で外を歩く。
「さて、何を食べようかな。あ、凛音、携帯電話で調べるの禁止な」
「は、何で。調べないと分からないじゃないですか」
「何を言ってるんだ。自分の足で探すから楽しいんじゃないか。あ、あと敬語禁止な。初対面のそんな距離はいらん」
「……そう言うもんですか、いや、そう言うもの?」
おしゃべりする2人の後を一生懸命付いていく。
きちんと付いていかないと。
イライラされないように。嫌われないように。
今まで生きてきたように。
ふと2人の足が止まった。
こちらをジッと見る。
あ、しまったと思った。気を付けてたのに。
「私たち、歩くの速い?」
凛音ちゃんが気遣うようにそう言う。
私は笑顔で横に首を振る。
「ち、違うの、私が遅いだけで〜。私、美しく歩むって書いて美歩って言うんだけど、ぜんぜん美しく歩けなくて〜。友達にもよく名前負けしてるねって言われるの〜」
いつもの名前ネタ。こう言うとみんな、「ああ、確かにね」って顔をする。
今回もそうだと思っていた。
なのに──
「いや、そんなことはないだろう」
夏凪ちゃんははっきりとそう言った。
私はびっくりした。
「え、」
夏凪ちゃんは続ける。
「颯爽と歩くだけが美しさじゃないだろう。別にゆっくり歩いたっていいじゃないか。その方が周りの景色がよく見える。それだって美しい歩き方だと私は思うが。なあ、凛音」
凛音ちゃんも同意するように答える。
「そうだね。それに私は責めるために聞いたんじゃなくて、いっしょに歩きたいから確かめたんだよ。私たちが合わせるよ。美歩の楽しく歩けるはやさを教えてよ」
私は言葉を失ってしまう。
そんなこと、初めて言われた。
「イ、イライラしない?」
『しない』
「私のこと、嫌いにならない?」
『ならない』
声を合わせてきっぱりとそう言われた。
じんわりと涙がにじんでくる。
ああ、今日の私は泣き虫だ。
「ありがとう〜」
ぼろぼろと泣き出す私に2人はおろおろしていた。
美しく歩むと書いて美歩。
この名前が嫌いだった。
私の歩き方はゆっくりでとろくて。美しさとはかけ離れた歩き方だったから。
でも、本当はね。私、ずっとこの名前を好きになりたかったの。
それから3人で小さな定食屋さんを発見して、そのおいしさに感動して。
実は3人とも段ボールの前で絶望していたことが分かって。お互いに荷解きを手伝った。
1人の時はあんなにおろおろしていたのに、3人でやるととてもとても楽しかった。
そして今──。
「あー、今日の授業、面倒くさいな。あの教授の言ってること全然分からないんだよな。あれ、本当に日本語か?」
「ちゃんと同じ母国語だから安心しろ。夏凪の場合、自分の分からない言葉は全て異国の言語と思うの、どうにかした方がいいと思うぞ」
寮から大学への道。
大学2年生になった私たちは3人並んで歩く。
当たり前のように私のはやさに合わせて歩いてくれる。
それがとてもとても嬉しい。
「ん? どうした、美歩」
見つめられていることに気付いた夏凪ちゃんがこちらを見る。
私は笑う。
「えへへ、2人とも大好き〜」
気持ちがあふれ出す。
2人はキョトンとした顔をする。
夏凪ちゃんはあの時と同じように顔いっぱいに笑う。
「突然どうしたんだ。私も大好きだぞ」
凛音ちゃんも微笑む。
「私も」
嫌われないようにイライラされないように必死になって相手についていく。
きっと私は一生、そんな人生を歩んでいくんだ。そう思っていた。
2人に会うまでは。
でも、今の私は自分らしい歩き方を知っている。
夏凪ちゃん、凛音ちゃん。
それはね、2人のおかげなんだよ。
出会ってくれて、友達になってくれて、本当にありがとう。