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グローバル・OEDO 〜江戸幕府鎖国せず〜  作者: 扶桑かつみ


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21/25

フェイズ21「マンチュリア・ウォー」(1)

 1894年の日清戦争の結果、清朝は「東洋の眠れる獅子」と思われたのが「張り子の虎」と分かり、ヨーロッパ列強の獲物へとなり下がった。

 一方の日本は、諸外国の予測通り高い軍事力を有していることが確認された。

 「北太平洋の鯱」というのが、清朝と並べる際に日本に対して使われた例えだった。

 


 しかし日本の陸軍は思いの外苦戦したことが知られ、陸ではそれほど強くないのではという評価が出来た。

 だから海の生物に例えられたのだ。

 また清朝と戦争するのは一向に構わないが、少しばかり賠償を取りすぎているという評価もあった。

 自分たちがこれから得られる物が減ってしまうからだ。

 

 特にロシアが受けた日本に対する衝撃は大きく、ロシアは中華利権を得たいフランス、ドイツを誘って、日本に対して「清朝の満州族父祖の地である満州の利権を返還し、還付金で手を打つべきだ」という勧告を行う。

 

 これには清朝も心を強くして一方的に格下と見下している日本との和平交渉を延長し、日本に独立させてもらった朝鮮王国までが日本に対して否定的な態度を取り始めた。

 

 これに日本は激怒。

 さらに帝国主義世界の中にあってここで弱腰を見せるわけにもいかない日本は、ロシア側に勧告拒否を通え戦争で得た正当な権利だと主張して、話しを外交で解決しようとする。

 

 日本の返答に対してロシアは、この頃ほぼ鉄道が開通していたバイカル湖西岸地域への兵力を増強しつつ、日本への再度の勧告を実施した。

 この勧告は一歩踏み込んだだけに、遠回しの表現ながら戦争する可能性もあるという脅し文句も含まれていた。

 しかも、ロシア、ドイツ、フランスが文書に署名しているので、場合によっては三国が日本に宣戦布告する可能性を示唆するものだった。

 帝国主義の時代の恫喝外交としても、かなり強い態度と言えるだろう。

 もっともロシアとしては、自分がしてやられたクリミア戦争の手法をまねたようなものだった。

 

 しかもこの頃既に日本との境界線のシベリアには、コサック騎兵を中心に5000名程度の部隊が北氷州の日本軍と対峙していた。

 また両国の国境となっているアムール川中流域でも、すでに師団級の戦力が睨み合っていた。

 満州の入り口近く(ザバイカル)にも旅団級の戦力の戦力が配備され、すぐにも満州に入る準備をしていた。

 またロシアは、策源地となるバイカル湖西岸には合わせて5万の兵力があり、さらに3万の兵力が鉄道を使って増派しつつあった。

 本格的な戦争をするほどの弾薬や物資は集められていなかったが、日清戦争の最中に火事場泥棒するつもりで準備されていたものを日本への恫喝に転用したのだ。

 


 ロシアに対して日本の幕府陸軍は、北氷州各地には屯田兵1個旅団、幕府騎兵1個旅団が常駐していた。

 アムール川流域には屯田兵が2個師団あり、うち1個師団がロシアとの国境沿いに移動していた。

 またアムール川方面には、幕府陸軍1個旅団が急ぎ鉄道で増派されつつあった。

 北の僻地では、本国から近いこともあって日本が有利だった。

 鉄道が最低限敷設されている事も、日本の優位を補強していた。

 

 現地の日本陸軍主力は、満州平原と華北の直隷平原の沿岸部にあり、遼東半島に2個、奉天近くに3個、北京を狙える直隷平原に2個の師団が展開していた。

 また騎兵旅団と砲兵旅団が各軍団に付き従っており、遼東半島の部隊には攻城戦のために派遣されていた重砲兵隊と工兵集団もいた。

 

 他にも沿海州では2個師団が動員され、満州各地に進駐しつつあった。

 合わせると前線の兵力だけで20万近い兵力となる。

 ただし、機動運用が可能な兵力は全体の7割程度なうえに、日本本土ではこれ以上戦力を用意したければ武士兵の数が足りないため、民衆を大規模に徴兵しなければならない状態だった。

 しかも幕府は民衆の志願兵も日本各地の募兵屯所で募集するようになっており、戦争が始まると民衆のナショナリズムが昂揚して、かなりの数の志願兵が集まりつつあった。

 特にロシアの横暴は、日本人としての自尊心を民衆にまで与えた。

 

 つまり、すでに武士だけで戦争ができる時代は過ぎつつあり、この時点でも動員された兵士の半数以上が民衆で、将校、下士官のほとんどが武士階級のため、動員という意味は民衆の将校、下士官を前線に動員するという意味になる。

 しかも軍人・兵士以外となると、上位にいる者もほとんどが民衆となる。

 軍内部でも、既に工兵、輜重兵といえば民衆の将校、下士官がほとんどだった。

 なおこれは、「戦う以外は武士の仕事ではない」という一種の偏見が強く影響していた。

 

 一方のロシア帝国軍は、日本以上に古い統治体制のため近世ヨーロッパとあまり変わらず、貴族(+騎士)が将校、民衆(農民、農奴)が兵士という形が長らく固定化していた。

 幕府陸軍では希だったが、将校が兵士に無体な暴力を振るうことも日常だった。

 しかし日本と違い、制度面で民衆を兵士として使うことに躊躇はなく、動員力の大きさはロシア陸軍の大きな特徴だった。

 日本軍は中途半端に古くさかったが、ロシア軍はそれ以上に古いままだった。

 

 それが当時の日本とロシアという、近代になりきれていない国家とその軍隊だった。

 


 そうして日露軍がにらみ合いを始めたのだが、戦争は呆気なく始まってしまう。

 原因は、前線ではなかった。

 

 日本軍では、沿海州方面を中心に各地に鉄道連隊が入り込み、軍事用の簡易鉄道の整備や、既存の鉄道の利用のために活動していた。

 もっとも、当時の清朝領域に鉄道がほとんど無いので、多くは工兵部隊として活動しており、半ば実力行使で軍事鉄道の敷設に当たっていた。

 そしてロシアの干渉があったため鉄道工事は急ぎ足で進められ、浦塩から満州北部中原を目指す鉄道が急ぎ敷設されつつあった。

 

 日本軍による軍用の鉄道敷設はロシア側を大いに刺激し、日本側に国際信義を教えなければ行けないとして反射的に宣戦布告を実施。

 半ば付き合いで、ドイツ、フランスも日本に宣戦を布告。

 日清戦争が完全に終わらないまま、日本とロシア、ドイツ、フランスとの間の戦争が勃発した。

 

 「満州戦争」の勃発だった。

 


 戦争は、日本対ロシア、フランス、ドイツという図式のため、単純な国力差では日本が圧倒的という以上に不利だった。

 

 しかし、ドイツは日本への勧告で名前を貸したというだけで、当時アジア・太平洋地域に何の権益も植民地も持っていなかったので、日本に向けるべき兵力自体が存在しなかった。

 せいぜいが、上海の共同租界に駐在武官と若干の海兵がいる程度だった。

 東アジアに最も近い植民地でもアフリカ南東部のタンザニアで、そこには軍艦すら駐留していなかった。

 加えて言えば、東アジアにまで派遣できる海軍を、当時のドイツはまだ持ち合わせていなかった。

 ドイツができるとすれば、ロシアへの資金や武器、物資の援助、戦時国債の購入ぐらいでしかなかった。

 シベリア鉄道を使って兵士を派遣する気など、さらさら無かった。

 

 そもそもドイツが日本への勧告に参加したのは、露仏同盟にくさびを打ち込み英露の接近を阻止するという、ドイツの伝統的外交に乗っ取った実に欧州的な政治の結果に過ぎなかった。

 日本とロシアが、突然アジアの僻地で戦争を始めた事は政治、軍事双方での想定外だった。

 

 このため戦争に際しては、成り行き上でロシアを応援するという以上ではなかった。

 ドイツとしては、ロシアの目が東アジアなり太平洋に向いてくれれば御の字という程度でしかない。

 極論、ロシアが適度に負けても良かったぐらいだった。

 日本に対して行った行動も、ロシアに武器を多少用立てた以外ではほとんどが外交的嫌がらせだった。

 ただし、日本が負けた場合に、いかにして日本の海外領土をむしり取るかについては真剣に研究、準備されていた。

 

 フランスは、当時東アジアではインドシナと上海租界を有していた。

 また南太平洋のニューカレドニア島、タヒチ一帯のポリネシアもフランス領だった。

 インドシナには軍艦(巡洋艦)も駐留しており、インドシナには陸軍が、上海租界には少数ながら海兵隊が駐留していた。

 

 とはいえ、日本との戦争が出来るのかというと、日本が余程戦力を消耗するか不利にならない限り、巡洋艦すら動かせない状況だった。

 むしろフランスが、日本からの攻撃を警戒しなければいけないほどだった。

 戦争になったとき、日本又はロシアのどちらかに嵌められたのではと考えたほどだった。

 またフランスとしては、ロシアが東アジア、太平洋に首を突っ込みすぎることはフランスの国防戦略、国益に反しており、適当な小競り合いで戦争が終わるのを祈るしかない状況だった。

 元々フランス自体が、露仏同盟の維持のためにロシアの対日勧告に一口乗っただけで、戦争はまったく予測していないし迷惑という感情しかなかった。

 清朝と違って、日本はフランスの手に余る相手だった。

 

 このため早くから、ロシアの側から戦争調停に動き出す事になる。

 だが戦争当事国として何もしないわけにも行かず、また日本が負けた場合の自らの権利を主張するためにも、少数ながら自らの艦艇や軍隊をインドシナなどに進めた。

 


 一方当事者以外の国々だが、アメリカは日本が大敗して新日本への影響力を低下させる事を大いに期待していた。

 このためオフレコで国内の軍の準備を進めつつ、ロシア側のセコンドに入ったような状態で傍観していた。

 アメリカ国内では、ロシアの戦争債が積極的に買われたりもした。

 軍事的に傍観に過ぎないのは、東アジアどころか太平洋にすら足場一つ無かった事と、やぶ蛇という事を相応に理解していたからだ(※まだ「米西戦争」の前)。

 

 事実、戦争勃発と共に新日本でのアメリカへの警戒感は上昇しており、日本への軍の派遣という名目で新日本中で義勇兵が編成され、そのまま現地の防衛についている有様だった。

 新日本の住人は、彼らにとっての第一の仮想敵が誰であるかを体感的に知っていた。

 

 日本にとって唯一の有益な味方と言える国は、ブリテンだけだった。

 ブリテンにとって、中東、インドへの圧力を強めるロシアが当時最も警戒すべき国だったからだ。

 またロシアの悪巧みに、ドイツ、フランスがそのまま乗っかった状態であることも、ブリテンにとっては懸念材料だった。

 

 とはいえブリテンも、ロシアが東アジアに深く首を突っ込むのを避けたいだけで、当時の日本にそれほど親近感を持っているわけではなかった。

 日本が勝利して満州地域での権益を拡大すれば、それはそれで好ましい事態ではなかった。

 上海を中心に中華権益の拡大を行っているブリテンの利益にはならなかったからだ。

 

 日本が判定負け程度になったところで、ブリテンが恩を売って新日本での影響力を拡大する、というのがブリテンが求める最高の筋書きだった。

 それが無理でも、日本とロシアが適度に戦って疲弊することを大いに期待していた。

 無論だが、日本が新日本をアメリカに奪われそうになった場合は、十分以上に自分自身も動くつもりだった。

 

 このためブリテンは、当面外交的にも不利な日本のセコンドに立って、情報や物資を用立てているという状態だった。

 日本の出す債権も積極的に購入した。

 もっとも、既にフランス、ドイツが日本に宣戦布告しているので、絶対に参戦する気はなかった。

 

 日本を応援している国は、基本的にロシアを憎んでいる国だけと言ってよかった。

 そしてそれは同情心に満るも、無責任な応援でしかなかった。

 とはいえ、トルコ、スウェーデンなどの大使館での情報収集や外交が行いやすくなった事は、外交力に劣る当時の日本にとってかなり有り難かった。

 

 また、ロシアと対立するようになると、欧米の一部資本が日本の戦時国債購入に動き出していた。

 


 かくして日露開戦となったが、まずは両者の国境が接しているアムール川上流とシベリア=北氷州の境界線(国境線)での小競り合いが始まる。

 

 東シベリア=北氷州では、両者の騎馬隊が広大すぎる土地を舞台に、両者錯綜して小競り合いを繰り広げたが、戦況に大きな変化を与えることはなかった。

 戦闘も、多少武器が新しくなった他は、一世紀前の戦闘と大差ないものでしかなかった。

 何度も頻発した接近戦では、騎兵らしい刀や槍を使った戦いも行われた。

 両者が名乗り合い、時には戦わずに交歓することすらあった。

 ある意味、非常にのんびりとした古き良き戦争を、日本、ロシア双方の騎兵達は自らの勇猛と自己満足の中で堪能しきったと言えるだろう。

 戦争の結果、両者の友好が深まったとすら言われたほどだ。

 記念撮影した写真までが残されている。

 

 北の僻地は、その過酷な環境とは裏腹に騎士と侍の天国だった。

 

 一方北氷州南部のアムール川中流域では、日本が有利に戦況を運んだ。

 黒竜江の海運が使えた事と、既に国境にまで鉄道を引いていたおかげだった。

 日本側は、鉄道で持ち込んだ兵力と物資を開戦すぐにも投入し、圧倒的物量差によって戦いを有利に展開することができた。

 このため国境守備に就いていたロシア軍は、当初攻勢を取るも一歩も進むことができなかった。

 一方の日本軍は、別命あるまで固守が命じられていた事と、既に冬に入りつつあったため、相手を半ば一方的に砲撃で痛めつけつつ十分な体制で冬営に入っていた。

 黒竜江の北壁は、当時の日本にとって非常に心強い要素だった。

 

 しかしそれらは支戦線であり、主戦場は満州平原にあった。

 

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[気になる点] >一方北氷州南部のアムール川中流域では、日本が有利に戦況を運んだ。  黒竜江の海運が使えた事と、既に国境にまで鉄道を引いていたおかげだった。  日本側は、鉄道で持ち込んだ兵力と物資を開…
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