綾音さんと職場体験
職場体験学習の紙を見ながら唸っていると、綾音さんが同じところに行かないかと誘ってきた。特に行きたい希望がなかったので、ありがたくその誘いに乗ったのだけど。
なんで姉の店なんだろうか。
「私も綾音も特に希望なかったんで、工場見学でもしよっかって話してたら、新藤くんがこのお店に見学に行ってみたいっていうからさ」
ギャルさんがそれにここ美味しいし店長さん楽しいしと、理由を教えてくれた。バイトしに昨日も来たってのに。
イケメン君は恥ずかしそうに、一人で見学を申し込む勇気がなくってと言っていた。サッカー少年だからてっきりそっちに進むのかと思ったのだけれど。
「サッカーは好きだけど、…プロになれる程実力があるってわけじゃないから。それにうちの学校のレベルじゃ、どう足掻いても全国行けないし。こういう事いうと冷めてるって思われるし、本気でやってないとか言われたらアレだから、部活の友達には言えないんだよね」
将来は小さくてもお店を経営してみたいんだよねとの事。イケメン君は将来の考え方もイケメンな気がしてきた。大学で経営学か法律関係を学びたいとかなんとか。
果たして姉の店の見学が、そこまで役に立つのかどうか。
姉は一日の仕事の流れとかを説明した後で、イケメン君と一緒に下ごしらえの手伝いをする事となった。綾音さん達はお店の掃除とかである。
姉のお店はクレープがメインだが、お昼にランチボックスを限定30食分販売している。
姉が一人で作れるギリギリの量であり、それ以上は売れ残ってしまう可能性があるからだとかなんとか。
ランチボックスを作る姉を、イケメン君は尊敬の眼差しで見ていた。なんでもイケメン君の親はあんまり料理をしないらしい。なので料理の作れる人は素直にすごいと思ってしまうそうな。
「その気持ちすごいわかる、店長さんマジ凄いもんね、カロリーオフの生クリーム」
「わかってくれる? この生クリームの為に研究に研究を重ねたのよ!」
毎日食べ歩いてただけじゃん。実情を知る弟の視線などなんのその。姉はドヤ顔を決めていた。
「やっぱりカロリーオフは女の子の夢なのよ! ってわけで鈴樹、生クリーム特盛りクレープをオーダーよ!!」
店長命令に逆らえず、特盛りクレープを作って綾音さん達に渡す。イケメン君にはランチボックスの余りのサラダで作ったクレープを。
「お昼から忙しくなるから、今のうちに糖分補給しておいてね」
姉の言葉に神妙に頷く三人だけど。クレープ焼くのって自分しかいない気がする。
「それじゃ、私はランチボックスの配達に行って来るから」
力仕事なので、イケメン君が同乗して行き、残った綾音さんとギャルさんと自分で店番である。バイトの時は一人だから、まあ心強いか。
姉が出かけている間、お客さんはポツポツ、それからワッとやって来て慌しい時間が過ぎた。
力尽きそうになった頃、ようやく姉達が帰ってきて休憩に入れた。本当に疲れた。
バックヤードでぐったりとしてると、綾音さんが心配そうな顔で入って来た。
「これ、差し入れ」
飲み物だ、助かる。受け取ると、すぐに店に戻るのだろうと思っていた綾音さんがソワソワと何やら言いたげに体を揺らしていた。どうしたのだろうかと首を傾げてから、もしかして飲みたいのかなと思ってカップを差し出した。
「はい、まだ口つけてないから」
「ちょっ、…なんて事いうのよ、別に欲しくないからね!?」
見てるからてっきり飲んでみたいのかと思った。綾音さんが好きそうなバニラシェイクだしこれ。
「それにシェイクは、頑張ってくれた胡桃くんの為に作ってもらったのだし」
どうやら姉からではなく綾音さんからのようだ。まああの姉は弟を労うような性格じゃないしなぁ。素直に嬉しいよとお礼を言えば、綾音さんは皆からだもんと慌てたように言った。
「それでも嬉しいから。あ、綾音さんも少し飲む?」
「へっ!?」
「まだ口つけてないし、それにバニラ味とか綾音さん好きそう」
「た、確かに好きな味だけど、そうじゃなくって…!」
「一口くらい飲んでも構わないのに」
綾音さんは一瞬固まった後で、カーッと赤くなってしまった。金魚のエリザベスみたいだなぁと思って見ていると、口をパクパクと動かしてからバックヤードを出て行ってしまった。
いつもの「なんて事いうのよ」という台詞はない。
なんか怒らせたかなと首を傾げながらシェイクを啜り、そこでようやく気がついた。あ、綾音さんが飲んだ後で自分が飲めば、もしかしなくとも間接キスになるのか、…もしかしなくとも。
「鈴樹、そろそろ手伝ってー。…ってあんた、どうしたの顔赤くない、熱でも…」
「…暑いからっ!」
姉の言葉を遮ったのは悪くない。悪くないったらない。