第98話 ヨルムンガンド
「毒だと!?」
レイヴン公子が放った一言に、周りにいた一同全員が凍りつく。
先ほど聞かされた話では、刺された公王の傷は浅く、命に関わるようなものではないという話だった。だがナイフに毒が塗られていたとなれば話は別だ。わずかな傷でもそこから体内へと広がり、やがて体の組織に行き渡り最後は死にまで繋がってしまう。
聞けばヘンドリック様が居なければ致命傷にもなりかねない状況だったらしいので、ナイフに塗られていた毒もそう軽いものでは決してないはず。
「貴様……どこまで腐りきっているのだ。答えろ! 毒の種類はなんだ! なんの毒をナイフ施した!!」
トワイライト王の……、親友の命が危険にさらされている知り、ヘンドリック様が怒り任せにレイブン公子に詰め寄る。
毒の種類か名前が分かればまだ助けらる可能性は十分にある。解毒で一番大事なのは時間とその毒の種類。幸いここは王国でも王族が暮らす公城なので、薬草などを育てている施設か、薬を大量に保管している倉庫ぐらいはあるだろう。
「ハンッ、教えて欲しければ俺を解放しろ!」
「なんだと?」
「同然だろ、交換条件だ」
此の期に及んで自分が助かる事しか考えていない。ヘンドリック様の言葉をそのまま借りるが、どこまで腐りきった公子なのだ。
「「「……」」」
恐らく今ここにいる全員が同じ事を考えたのではないだろうか。
もし本当に陛下の体が毒に蝕まれているなら、何が何でもレイヴン公子から聞き出さなければならない。だけどそれにはこの危険な人間を野に解き放つ事になってしまう。
仮に陛下が助かったとしても、なんの関係もない国民が被害を受けては意味もない。寧ろ王族から殺人者をだしたともあれば、公王への非難は免れないだろう。
そんな僅かな沈黙が自分の優位と感じたのか……
「……そうだな、どうせならその女を俺に寄越せ。一生俺の小間使いとして飼ってやる」
レイヴン公子がさらなる条件として、私に向かって飛んでもない事を言い放つ。
まったくこのクズ公子が。
母国にもバカ王子はいたが、目の前の男はそれに増しても最低クズ男。この世界じゃ女性の立場はそれ程高くないため、政略結婚やら無理やり愛人にさせられたりもするが、自分が仕出かした罪から逃げるために、この私を一生小間使いにするのだという。
恐らく逃げ延びるための人質の意味合いと私への仕返し、そして自分への欲望のためだけに、女性である私を陵辱でもしようと考えているのだろう。
だが私一人が我慢することで、人一人の命が救えるのもまた事実……。
「貴方って子は……。そこまでして恥ずかしくは思わないの?」
「うっせい! 俺を見捨てた時点でお前も敵だ! どうした? 早くこっちへこい!」
私を気遣ってか、アレクとセレスがレイヴン公子から隠すように私の前に立ちふさがる。
「リネア、耳を貸す必要はないからね」
「えぇ、お兄様のおっしゃる通りです。お父様も無関係な女性を犠牲にしてまで、助かりたいとは思われません」
二人の立場からすれば当然の行動だろう。もしかするとこの場にいる全員が同じ事を考えているかもしれないけれど、私にはどうしてもこのまま立ち去るということは絶対に出来ない。
「ありがとうアレク。セレスも心配してくれてありがとう」
「リネア?」
「ダメです、お姉様。早まっては……」
庇うように立ちふさがる二人の間すり抜け、私は一人前へと出る。
「大丈夫よ、そんなバカな真似をするつもりなんてないわ」
そう、いまの私は昔のように我慢して逃げてばかりだったリネア・アージェントではない。大切な人に囲まれ、多くの人たちを豊かにさせたいと行動してきた、リネア・アクアなのだから。
「それしかないよなぁ。結局お前も俺に抱かれたいんだろう?」
依然グズ男のような発言を無視し、私はレイブン公子をビシッを指差すと。
「拷問します。止めませんよね?」にっこり
渾身の笑顔を公妃様とヘンドリック様へと送る。
するとお二人は驚かれつつも……
「構わん。手早く済ませてくれ」
「えぇ、止めないわ。貴女の好きなようにしてくれて構わないわ」
「なっ!?」
まぁこれが良識ある人の答えよね。この状況で女性を連れ回した挙句、陵辱するとハッキリ口にしたのだ。今更親であったとしても止めはしないだろう。
「しょ、正気か!? 拷問なんてしても俺が喋らなければ意味がないんだぞ!」
「そうなのね。それじゃ喋りたくなるようにしてあげるわ」
うふふ、私のニコヤカな笑顔に心底引き攣るレイヴン公子。
これは私の勝手な想像なのだが、この公子は痛みや苦しみといった状況には全くと言って耐性がない。もしほんの僅かでも経験していれば、ここまで捻くれた性格には育てはいなかっただろう。
そしてこういった人物には、自分が責めらるという状況は今まで一度たりとも考えた事がないと断言できる。
「アクア、ノーム。やっておしまい!」
「任せなさい! こう言うの一度やってみたかのよね!」
「ワテは余り気がすすまんけど、リネアはんを傷つけようとするなら話は別や。精々がんばりますわ」
「あ、ドリィは加わらなくていいからね」
「あ、ありがとう……ございます」
こういう荒事にはドリィは向いてないからね。ノリノリの二人を横目に、ちょこんと私の肩に乗せてあげる。
「さぁ、覚悟しなさい」
「拷問ちゅうからには、やっぱ痛くしないといけまへんな」
「「ククク……」」
二人とも案外役者向きね。
アクアもノームも、私の言葉を本気にしているわけではないだろう。精霊たちはレイヴン公子にとって、初めて痛い目を合わされたいわばトラウマ。それが今回は拷問というハッキリとした行動に出ようとしているのだ。
本人は逃げようとしても騎士達に抑えるけられている状態だし、味方であるはずの母親と叔父からの助けは期待できない。それどころかこれから行われる拷問の許可すらしているのだ。
今まで逆の立場にいた者からすれば、そうとう恐怖を感じていることだろう。
「ひぃ……たす……け……」
その後、数分も経たずに泣きながら謝って来たことは言うまでもあるまい。
案外私自身に恐怖を抱いてたのでは? とはアレクの言葉だが、なぜか私の一睨みで目を泳がせてしまった。
か弱い女性に対してそれは酷いんじゃないかしら?
「なに、ヨルムンガンドだと!?」
私の拷問? というべき行いにより、アッサリと毒の名前を口にしたレイヴン公子。それを聞いたヘンドリック様が驚きの声をあげる。
「ご存じなんですか?」
「あぁ、有名だからな」
猛毒、ヨルムンガンド。
聞けば昔、尋問や凶悪な死刑囚などに使われていた毒らしく、侵された者は一週間ほど死ぬような苦しみを味わいながら、最後は絶対的な死に繋がるという猛毒なんだそうだ。
平和となった今では、製造方法こそ伝わっているが、製造に関わるコストとその非人道的とも言える内容から、昨今ではすっかり影を顰めてしまっているのだという。
「そんな猛毒が……」
「ですがヨルムンガンドなら解毒薬の作り方が伝わっていたはず」
アレクが言うにはヨルムンガンドは拷問なんかにも使われており、自白を求める過程で治療法も生み出されていたのだとか。
だったら陛下には解毒薬が出来上がるまで耐えていただき、急ぎ薬の生成を始めれば今からでも十分に間に合うのではないだろうか。
だが……
「無理だ。解毒薬の作り方は伝わっているが、肝心の薬草の方が手に入らない」
次にヘンドリック様が放った一言で周りが絶望の底へと落とされるのだった。