第95話 一件落着?
……って、なに私なんかに頭を下げてるんですか!
「いけません公妃様、人前で頭を下げられるなんて」
目の前で頭を下げられる公妃様を、慌てて元の体制へと戻そうとする。
私だってこれでも一応人の上に立つ者の立場は理解している。ましてやトワイライトの公妃ともなれば、事実上この連合国家のトップであろう。それをたかだか一領主でもある私なんかに頭をさげられては、国の体裁すら疑われてしまうだろう。
「良いのよ、これは公妃としてではなく一人の母親として。それに貴女にはまだお願いしなければいけない事もあるのだし」
「お願い……ですか?」
何だろう、と思うのもつかの間。公妃様はニッコリを微笑まれたかと思うと、
今度は私の隣で浮かぶ精霊達に視線を移し。
「それにしてもまさか精霊を達を従えているなんてね、それも三人も」
「あっ」
余りのドタバタですっかり忘れていたが、アクア達の存在はまだ知らせてはいなかったんだった。
まぁ、レイヴン公子を捕らえていた蔦の説明やら、か弱い私のグーパンチでノックアウト出来た経緯やらを、ワザワザ説明しなくても済んだのだが、流石に公妃様でも精霊の存在は意外だった様子で、意識はすっかりアクア達に引き込まれてしまっている。
「初めて見るけれど、小さくて可愛いものね」
「す、すみません。隠しているつもりはなかったのですが、ワザワザ紹介をして騒ぎを大きくしたくはなかったものですから」
精霊は非常に希少な存在。
緑や自然が多いトライライト地方では比較的多く生存するらしいのだが、それでも人里や人前に現れる事は稀の事なので、アクア達の存在がバレたら余計な問題が浮上するのではと、敢えて存在は隠させていただいた。
まぁ、いざという時の切り札で隠していた事は否定出来ないのだが。
「いいわよ、警戒するのは当然の事ですもの」
「そう言っていただけると……」
「それで一つお願い……というより、これは私の興味本位なのだけれど、水なんか出せたりするのかしら?」
「水ですか? それならこのアクアが」
なぜ水? という疑問を浮かばせながら、とりあえず公妃様にアクアの事を紹介する。
「アクア? それって確か精霊伝説に出てくる精霊の名前じゃなかったかしら?」
「あぁー、たぶん本人です」
すっかり忘れていたけれど、アクアって結構有名な精霊なのよね。
巨大な津波からアクアの地を守ったとかで、本人の名前がそのままその土地の名前になる程に。
その経緯を知る私からすれば、なんとも申し訳ない気がしないでもないが、ここは精霊に夢を抱かせる方々を思い、そっと真実は私の心の中だけに留めておく。
「呆れたわ。貴女、一体どこまで常識はずれなの」
常識はずれと言われても正直困るのだけれど、このうえ別世界で過ごした記憶があるとか言えば、更に驚かれる音は間違いないだろう。
言わないケドね。
公妃様は『まぁいいわ』とため息まじりに吐きながら、私に向かって……
「それじゃ悪いのだけれど、水を掛けてもらえるかしら」
「…………は? 水を掛ける?」
一瞬聞き間違いかと思うも、私が反射的に出てしまった言葉に公妃様は頷いて返される。
「えっと……誰にですか?」
「あの子によ。目を覚まさせないと話を進められないでしょ?」
公妃様はそう言うと、そそくさと巻き添えを喰らわないよう、メイドさん達がレイヴン公子様から離れていく。
ま、マジですか……。
気絶させてしまった私が言うのもなんだが、幾らなんでも酷すぎやしまいませんか?
だけど公妃様はどの様な現象が起こるのかと興味深々だし、アクアはアクアでノリノリだし、メイドさん達もすでに雑巾を片手に後始末の準備すら初めておられる。
まぁ、公妃様直々のお願いなので問題ないわよね?
仕方ないなぁ
「アクア、後始末が大変だから水の量はなるべく少なめでお願い」
「りょうかい!」
流石のアクアでも床を全く濡らさずという訳にはいかないので、ここは水の被害を最小限に抑え、後は待機されておられるメイドさんズにお任せするしかないだろう。
少々仕事を増やしてしまうメイドさん達には申し訳ないと思いつつ、私はアクアに水をかける様に指示をする。
「それじゃいくわよー、えい!」
小さな体と可愛い掛け声と共に突如空中に出現するバケツ数杯分の水が、そのまま勢いよくレイヴン公子目掛けて降りそそぐ。
ドッボーン。
「ちょっと、水が多すぎるわよ」
「あ、ごめーん」
予想外の水の量に慌ててメイドさん達が後始末に走る。
この光景にアクア自身も慌てたのか、魔力を操って濡れた床から水分を取り除く作業に加わっていく。
ホント、アクアって根はいい子なのよね。
今もメイドさん達と一緒に後始末に翻弄し、濡れてしまったメイドさん達の服まで綺麗に拭っていく。
そして水をかけられたレイヴン公子はと言うと。
「ガハッ!」
うめき声とともに覚醒し、そのまま辺りの様子をぐるりと一周。そして私へとその視線を止め。
「て、てめぇ! っ、くそぉ、離せ!」
私に飛びかかろうとして、待機されておられた数名の騎士様にそのまま捉えられた。
まったく、全然反省していないわね。
「はぁ……、どうしてこんな風に育ってしまったのか。いえ、私が言う言葉ではないわね」
私にはレイヴン公子がどの様に教育されてきたかは分からないが、周りの環境やら生まれ持った性格やらで、人は簡単に堕落してしまう。それらすべてが親のせいと言うつもりはないが、公妃様にとってはさぞご自身の不甲斐なさを嘆いて来られたのではないだろうか。
「レイヴン、今回の件は公王に報告して、しかるべき対応をしていただきます。場合によっては公位を剥奪されることも覚悟しなさい」
「なっ!?」
「えっ?」
公妃様の言葉に前者は公子、後者は私の驚きの声が重なり合う。
「ふざけるな! なんで俺が公位を剥奪されないといけないんだ!」
「当然でしょ。貴方は連合国家に所属する領主を襲ったのよ。まさか領主間に結ばれている条約を知らないわけでもないでしょ」
条約と言うのは他領を奪わない、軍を進攻させないとか、連合国家間に結ばれた規約のようもの。
私も領主を引き受けるときに一通り目を通した事があるが、基本は領主間で脅したり脅迫したりと、一般常識的な文言が連なっていただけだったので、重要な部分以外はすっかり読み飛ばしてしまっていた。
もしかするとその中に、相手の姫君を無理やり奪わない的な事が書かれていたのかもしれない。
「ま、待てよ。待ってくれよ。だってこの女は俺の……」
「悪いけれど、私は貴方なんて知らないわよ」
例え向こうが私を知っていたとしても、私はこの男とは初対面。しかも直接本人から名乗られた訳でもないし、お見合い前でまだ顔合わせすらしていないのだ。
「それにね、女性をただの性欲を満たすためだけの道具としか見ていない男なんて、誰が好きになるというのよ。それでもまだ文句がある様なら、今度は手加減無しでぶっとばすわよ!」
「ひぃ!」
余程先ほどの正拳突きが答えているのだろう。私の拳が魔力で光る様子を目の当たりにし、すっかり怯えてしまうレイヴン公子。
「申し開きがあるのなら、明日公王の前で弁明しなさい」
公妃様は最後にこう締めくくると、連れて行かれるレイヴン公子の姿を悲しそうに眺めておられるのだった。