第65話 一難去ってまた一難
キィー、バタン。カツカツカツカッ……
「はぁ〜〜〜〜つかれたぁ〜〜」
扉の外から聞こえる足音が小さくなるのを確かめ、大きなため息と共にばふっと執務室に設けられた自分の椅子へと深く座り直す。
「お疲れ様ですリネア様」
「ホント疲れたわよ」
私の疲れを労うかのように、ノヴィアが淹れてくれた紅茶を一口。
春先とはいえ長い時間外に出ていたわけだし、着るものを着ずに外へと飛び出していたこともあり、温かな紅茶は冷え切っていた体に温もりを与えてくれる。
「それにしても意外とあっさりしていたわね」
「そうですね、私ももう一騒動はあるかと思っていたのですが、予想外の展開でした」
先ほど彼らが出て行った扉を眺めながら、ノヴィアと確認しあうよう語りかける
あのあと囚われているかもしれないシトロンと、立て篭りを続けているケヴィン達に対し、これからどう対策を取るかと相談している時、私たちの前に現れたのはシトロンだった。
「今回起こった一件は私にも責任があり、今まで彼らを説得しておりました」
シトロンは私達の前に現れるなり一人飛び込んでしまった理由を説明し、自らの行動を謝罪してきた。
「その辺りの話は後で詳しく聞かせてもらうわ。取り敢えず怪我はないのね?」
「はい」
少々時間がかかり過ぎていたことは気になるが、見たところ暴行や争った後は見当たらず、本人も説得に当たっていたという事から、本当に今まで一人で説得に当たっていたのだろう。
正直なところ囚われている可能性の方が高い気がしていた分、まずは一安心できるのだが、それでも状況が変わっていない事には変わりない。
本当はここでシトロンにお説教をしたいところではあるのだが、まずはこちらの問題を解決する方が先決だ。
私は気持ちを切り替えシトロンに中の様子を尋ねる。
「そう、それならいいわ。それで工場に立て篭もっている人たちはどうしたの? 貴方が帰ってきたという事は何らかの解決法が見出せたのでしょ?」
シトロンの事だ、説得に失敗したとしても何らかの成果は持ち帰って来ているだろうし、ケヴィン達からの交渉条件を聞いているかもしれない。
もちろん交渉条件を出されたところで、私が全てを了承するはずもないのだが、ここを起点に盤面を変えることは十分に可能。
流石にバカのような条件を出されてしまえばそれまでだが、シトロンが間に入っているのなら、それほど無茶な条件は受けてはいないだろう。
さて、どのような条件を持ち帰ったのかとシトロンの言葉を待っていると。
「話し合いで解決いたしました。今は彼らも反省し、荒らしてしまった所の片付けをしております」
「……はぁ?」
あれれ、私の耳、変になっちゃった?
聞き間違えでなければシトロンは今、解決したと言ってきた。しかも自ら荒らしてしまったであろう場所を片付けているのだという。
「まってまって、えっと、説得できちゃったの?」
「はい」
これには私だけでなく、隣にいるノヴィアやココア達も驚きの表情を表している。
荒らしてしまったというのは、恐らく最初の争いで何らかの荷物を崩したか、撒き散らしでもしていたのだろう。
流石に大鍋や釜が破壊されていれば事前に連絡は入っているだろうし、物が壊れてしまったという報告も耳にはしていない。
「そ、そう。取り敢えず助かったわ。それじゃ私とも話せる場を用意出来るかしら?」
いかにシトロンが説得できたとはいえ、商会の責任者である私が何もしないわけにはいかないだろう。
本音を言えばどのような罰を与えるかが悩みどころではあるのだが、このまま何もせずにというには余りにも事が大きいし、真面目に働いてくれているスタッフ達にも示しがつかない。
とは言っても、減給だ部署移動だとなると再び問題を起こされても困るので、さじ加減が難しいところ。
「わかりました、片付けが終わり次第執務室へ向かわせるよう伝えておきます」
「お願いすわね」
こうして私はノヴィアだけを連れてその場を後にし、約束通り執務室へやってきたケヴィンたちを相手にしていたのがつい先ほど。
事が事なだけに慎重に言葉を選びながら、結局一週間の謹慎処分で済ます事でまとまった。
まぁ、その際に自らの責任で自分も謹慎するという、シトロンの申し出もあったりしたのだが、彼の強い要望と他の真面目なスタッフへの示しとし、この申し出を私は受けることにした。
「それにしてもよろしかったので?」
「謹慎処分の事? まぁ正直迷ったところではあるんだけれど、あまり重い罰を与えると今度は何をするかわからないじゃない。だから今回は初犯という事で執行猶予付きの有罪、ってところで抑えたのよ。それにあの様子を見ればねぇ……」
人によっては甘いだとか言われそうではあるが、騒ぎが大きくなりすぎてしまった事に反省もしている様子だったし、何より私が一番目を疑ったのが再会したケヴィンの姿だった。
「そうですね。私もまさかあのようなお姿になっているとは思いもしておりませんでした」
約1年ぶりに再会した彼、その姿は嘗て見た貴族の男児という面影は一切なく、髪は手入れがされておらずボサボサ、服装も仕立ての良いシルクの服ではなく、私が難民用に用意した古着を着用し、たとえ街中ですれ違ったとしてもとても同一人物だとは思えない姿だった。
「流石にあの姿じゃ同一人物だって、わからないわよねぇ?」
思わず『誰!?』って二度見しちゃったわよ。
これはつい先日届いたヴィスタからの情報だが、どうやらケヴィンは実家でもあるシャルトルーズ家から、リーゼ様に度重なる無礼な振る舞いを犯したという理由で、一族から彼を追放。その後は知り合いの友人宅を転々とするも、そこでも問題を起こし、最後はとうとう人を騙すという詐欺にまで手を染めてしまったのだという。
結局その事件は被害者が早くに気づき、ケヴィンは警備兵に突き出されることになったそうだが、数ヶ月の投獄の後、彼は釈放と同時に王都から姿を消したのだという。
恐らくその後エレオノーラを頼りに、アージェント領にでも向かったのではないだろうか。
ちょうどその頃は王都に不穏な動きありという事で、貴族たちは王都から自分たちの領へと篭りだしたのだし、どこのお屋敷も外部との接触を控えていたとも聞いている。
ただ残念なのがアージェント領は戦場に巻き込まれ、当のエレオノーラ達は王都の屋敷に引きこもっていたので、無駄足を踏む羽目になったという点であろうか。
流石の彼も檻の中ではそこまでの情報は掴めず、結局エレオノーラに会えないまま、難民達と一緒にこのアクアの地にまで流れてきたのでは、というところで私たちの見解は落ち着いている。
「でもまぁ、自業自得よね」
可哀想だとは思うけれど、元をたどれば全て自分が悪いわけだし、その後の態度でシャルトルーズ家からの温情もあったかもしれないのに、それすら裏切って家名に泥を塗ったのは紛れもない本人の甘え。それなのにあんなセリフがよく出たものだと、呆れを通り越して感心すら感じてしまう。
いやね、先ほど立て篭り犯達に謹慎処分を言い渡したあと、ケヴィンが私に話があると一人部屋に残ったわけよ。
当然そこには警戒したノヴィアが付き添ったわけだが、そこで彼が口にした言葉が『僕をこの街の客人として迎えてくれ』だったのよ。
よくもまぁそんな馬鹿げた言葉が飛び出したものだと感心したぐらいだ。ノヴィアなんて今にも飛びかかって、蹴りの一撃でも放ちそうな勢いだったんだからね。
当然そんな事は受け入れられないし、自分との関係をバラすぞとも脅していたが、私が元貴族で可哀想な目にあっていたという事は既にばれているため、逆に今度問題を起こしたら国へ送り返すと脅しをかけておいた。
これでも私は公爵家に恩を売っているわけだし、商売という点から食料不足の母国へ其れなりに貢献も行っている。
そんな私がちょっと口添えすれば、国は喜んで彼の身柄を引き取ってくれる事だろう。
「そうですね。それなのに自分を特別扱いしろだなんて、よく言えたものだと思います」
多少身内が関わっていた点では申し訳ない気持ちもするが、私だって十分に彼の被害者なので、間違っても客人扱いする気持ちはサラサラない。
あとは彼が心を入れ替えて真面目に働いてくれれば、我が商会のためにもなるのだが。
あの性格じゃねぇ……。
貴族の子息というだけあって知識と能力は其れなり、真面目に働いてくれさえいれば戦力になることは間違いないのだが、それ以上台無しにしているのが彼の性格。
自分の失敗を認めず、自分を楽な方楽な方へと甘やかし、平気で他人を差し出す事も厭わない。
今だってわが身可愛さにとんでもない計画を匂わす事もやってきた。
「とにかく彼は要注意よ」
「わかっております。誰か信頼のおける者に監視してもらうよう、手配しておきます」
「お願いするわ」
ケヴィンの性格は以前見た時より酷く荒んでいる。余程この一年での生活が彼を悪の道へと向かわせたのだろう。
真面目に働きさえすればいいものを、過去の栄光から抜け出せずに今尚貴族でいる事に執着してしまっており、平気で他人を巻き込むという迷惑スキルまで身につけてしまっているので、早いうちになんらかの手を打たないと大きな打撃を被る事に繋がりかねない。
もしそんな彼が商会内で暴れてしまったら? もし周りを盛大に巻き込んで自滅でもしてしまえば? いつかは取り返しのつかない大問題にでも発展してしまう事だろう。
現に今だって……
コンコン。
そんな話を二人でしていると、ノックと共に部屋へと入って来たのはココアだった。
「どうしたの? 何かあった?」
「いえ、工場内の片付けが終わったご報告と、個人的にお話ししたい事がございまして……」
ふむ、これからノヴィアと内緒の打ち合わせをしようかと思っていたのだが、ココアの様子から見るとそれなりに重要な話の様子。
私はノヴィアに退出するように促すが、ココアがそれを止めに入った。
「あ、出来ればノヴィアさんも一緒に……」
「貴女の様子から察するに、それなりに内密な話みたいだけれど、ノヴィアには聞いて貰っていてもいいのね?」
「あ、はい。寧ろノヴィアさんの意見も聞きたいので」
「「?」」
ノヴィアの意見も聞きたい?
自分の考えだけではなく、同じような立場のノヴィアにも尋ねたいとなると、恐らくそれは社内絡み。
私とノヴィアはお互いの顔を見合うように確かめ合い、ココアから出てくる言葉をまった。
「実は……」
ココアから飛び出した内容は、まさにこれからノヴィアと話し合おうとしていた内容だった。