第22話 旅立ちの回想(後編)
「君がリネアさんだね」
そう言って自らの名を名乗られたのはヴィスタとヴィルの父親であるアプリコット伯爵とそのご婦人。
その後ろにシンシア様とヴィルの姿までもがある。
「すみません、こんな朝早くに訪れてしまって」
「いや、事情は娘達から聞いている。まさか本当に屋敷を飛び出すとは思わなかったがね」
一体ヴィスタ達がどんな話をしていたのかと気になるところだが、正直これ以上雑談をしている時間もないし、伯爵様とお話するような話題は持ち合わせてはない。
とりあえず簡単な挨拶と、こんな時間に訪れてしまった事をお詫びし、早々に話を切り上げて立ち去ろうとする。
だが……
「まぁそう慌てるな。急ぐ気持ちも分からんではないが、一時の焦りで最善の道を見とすこともあるのだぞ」
と、私がソファーより立ち上がった時に伯爵様が止めに入る。
それはつまり私になにか有益な話があるという事なのだろうか?
流石にこのまま叔父様の元へと送り返されるとも思えないし、この場にはヴィスタもヴィルも居てくれる。
確かにヴィスタのお父様が持ってきた話ならば、話だけでも聴く価値はあるかもしれない。
「そうですね。私のような者にわざわざお時間を頂いたというのに、このまま立ち去るのは無礼と言うもの。お話だけでもお伺いさせて頂いてもよろしいでしょうか」
あくまで話だけという部分を強調し、再びソファーへと座り込む。
「なるほどな、話に聞いていた通り現実を見据えておる。しかも伯爵である私に対しおくびも見せないとはな」
「申し訳ございません。今の私には妹とこんな私に付いて来てくれたノヴィアの安全を守らなければなりません。それが例え一本の細い糸であっても、私は間違えるわけにはいかないのです」
少し伯爵様相手に失礼かとは思うけれど、これから私は二人の身の安全を守っていかなければならないし、日々を暮らすための生活も確保しなければならない。
それに向こうも慈善事業で私に話をするわけでもないだろう。
これが何のしがらみもない平和な国ならばともかく、階級社会のドロドロの世界では、例え娘の友人でさえも時には見捨てなければならない。
ならばこちらとしても警戒するに越したことはないだろう。
「ふふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。私も主人も娘達の友人を売ろうなんて考え持ち合わせてはいないわ」
「そう……ですか」
私の強張った態度を見ていたヴィスタのお母様が、私たちを安心させるように暖かな言葉をかけてくれる。
「まぁそういうことだ。何も捕まえて引き渡すような真似はしないから安心したまえ。
さて、こちらから話をする前に一つ聞きたいのだが、この後の行き先は決まっているのか?」
「はい。一応は決めてはおります」
「それは何処かと、尋ねても良いものか?」
ん〜、言っても良いものだろうか。
私が居たアージェント家とヴィスタのアプリコット家は、現在エレオノーラ派とリーゼ派とで対立中。
流石に抗争中の相手に情報を引き渡すとも思えないし、先ほどのヴィスタのお母様の言葉もある。
それにどうせ落ち着いたらヴィスタには手紙を送るつもりだったのだから、ここで言ったところで今更だろう。
私は少し肩の力を抜き、予め決めていた町の名前を口にする。
「そこに在住するかはまだわからないのですが、取り敢えずはトワイライト連合国家にあるカーネリアンの街へと行く予定です」
「なるほど、カーネリアンの街か……」
隣国の街の名前とはいえ、やはり伯爵様も街の名前をご存知だったか。
このメルヴェール王国は南こそ海に面してはいるが、東には聖王国レガリア、北にラグナス王国、そして西に小さな街や公国を束ねたトワイライト連合国家がある。
その中で現在の目的地としているのは、トワイライト連合国家に所属するカーネリアンと言う名の街。
そこはメルヴェール王国から国境を越えた先にある宿場町で、つい十数年前にメルヴェール王国へと繋がる街道が新に作られ、ここ数年で一気に発展したと聞いている。
そこならば仕事の一つや二つは見つけられるだろう。
「中々いい目の付け所をしておる。……だが止めておけ」
「えっ?」
一瞬ホッとしたところを、一気にドン底へと突き落とす伯爵様の言葉。
止めておけ、それは一体どういう意味?
「カーネリアンの街を選んだ理由は、恐らく急速に発展しているからであろう?」
「はい。発展途上中ならば私でも仕事が見つけられると思ったもので」
「やはりそうか。御主なら知っておろう、我がアプリコット領がトワイライト連合国家との国境沿いにあることを」
「それは勿論」
たしかアプリコット領はこのメルベール王国の西南に位置する領地。岩山に遮られているせいで海には面していないが、カーネリアンの街とは比較的近い領地となる。
まぁ、白状してしまえばヴィスタの家のアプリコット領が近くにあるから、私はカーネリアンの街を選んだという理由もある。
「実際のところカーネリンの領主との付き合いはないのだが、あの街の噂は時折耳にすることがあってな。いきなり街道が出来たこともそうだが、急速な発展にはどうも黒い影が潜んでおるようで、あまり良い噂は聞かないのだ」
「黒い噂ですか?」
「うむ。例えば街を手っ取り早く発展させるにはどうすればよいと思うか?」
伯爵様は話の中で質問を私へと投げかけてくる。
それってつまり、私を試しているということだろうか?
私は少し考え、至極当然の答えを口にする。
「そうですね、普通に考えれば人集めですね」
「ならば、人が集まった後はどうする?」
「人が集まった後ですか?」
私は『う〜ん』と考え、前世の記憶をたどり一つの答えを導き出す。
「街の整備でしょうか? 元々あった街と言うことですので、ある程度の整備はできているのでしょうか、人の行き交いが増えれば当然交通網はパンクしてしまいます。ならばこれ以上発展させようと思えば道路の整備や交通機関の設立、場合のよっては区画整理にも手を回さなければいけないのではないでしょうか?」
前世の日本で暮らしていた時、私はこんな話を聞いたことがあった。
何代目かの総理大臣が日本の発展を予測して、国中に多くの高速道路が作られたと聞いている。
そのお陰で今まで人が立ち寄らなかった街に人が集まり、観光などで賑わった街が幾つもできた。だが人が集まったはいいが、元々人口の少なかった街には道路などの整備が出来ておらず、街中は常に渋滞が続いた。
「ほぉ」
伯爵様は私の回答に満足いったのか、口の端を緩め驚きの言葉が飛び出す。
「まさにその通りだ。カーネリンの街の資源は行き来する人間と、その街で売買される商材。特に秀でた商品があるわけでもないので、街中の交通網は言わば生命線だ。
常識のある領主ならば当然そうなる前に街の区画整理に手を出すのだが、そこには大きな問題が一つある」
ここで伯爵様は言葉を止め、私の方へと視線を送ってくる。
あぁ、そういうことか。
前世の平和な日本ならば、土地の所有者と立ち退きの話を進めるのだろうが、ここは階級社会が支配する別の世界。
流石に領主が強制なんて言葉を使えば、住人達から大きな反論が沸き起こるだろうが、別の第三者を使い地上げや脅迫紛いのことを行い、その後に領主が買い取ったという形をとればスムーズに区画整理ができるのではないだろうか。
もしかすると高額の金利や脅しなどを使えば、比較的安く手に入れることもできるかもしれない。
「つまりはそれが伯爵様が仰っている黒い噂と言うことなのですね」
私の回答に、伯爵様は一度だけ首を縦に動かされる。
あえて言葉には出されなかったが、どうやら私の推測は正しかったのだろう。
流石の伯爵様も、根拠もなしカーネリンの領主様が悪事に手を染めておられるとは言えないのだろう。
これが信頼のおける者同士ならいざ知らず、いきなりの初対面の相手に、そこまで口にするのは憚れてしまう。
確かにそんな黒い噂がある街に、何も知らない私たちが行くのは少々危険かもしれない。
最悪騙されてお金を巻き上げられた挙句、娼婦へと売られてしまう可能性だって否定できない。
「カーネリアンの街も元々はいい街ではあったのだが、所詮は我が国とトワイライト国内への中継地点。近くにアクアという海沿いの宿場街があったがためにそれ程人の流れも多くはなかった。だが、10年ほど前に新しく街道をつなげた関係で一気に需要があがってしまった」
「それはつまり、新しく街道が出来たせいで荷物の輸送路が大きく変わってしまった。という事でしょうか?」
たしかアプリコット領は、先ほど出てきたアクアという海沿いの街に面していた。
もともとトワイライト国内へはアプリコット領から出発し、アクアの街近くのの街道を通り、カーネリアンの街を経由して最終的にトワイライト連合国家に所属する、大きな街や公国へと運ばれていく。
それが途中のカーネリアンの街から、メルヴェール王国へと抜ける街道が出来たせいで、アプリコット領の需要が減ったという事だろう。
「話が早くて助かる。とどのつまり私はカーネリアンの街ではなく、アクアの街を推奨したく思ってな。あそこならば街を治める領主にも顔がきくし、寂れてしまった関係で空き家となった家も多く存在する。私が手紙を認めれば取り敢えずの生活は保障してくれよう」
確かに、伯爵様の提案は決して悪い話ではないだろう。
私の知るアクアの事情は、急速な人口低下で街から村に格下げされたらしいが、農業や畜産が盛んで、オシャレな家々が立ち並ぶ町並みと、そこから眺める広大な海が見ものの街。
そして何より海沿いという事から、魚料理が食べられるという期待もある。
実はこの世界、魚などの海産物を輸送するという技術が確立されていない。
そのため隣町でさえも生魚を輸送する事が出来ず、内陸部にいたっては干し魚すら市場に出回ってはいないのだ。
そう思うと、海沿いの街というのもそんなに悪いものではないのかもしれない。
「どうだ? 悪い話ではあるまい。もちろんアクアまでの経路は責任を持って送り届けよう」
「そうですね。送ってまで頂けるのでしたら、今の私たちにとっては魅力的な話ではありますが……、私は一体伯爵様に対し何をお返しすればよろしいのでしょうか?」
私は一息間を開けながら伯爵様に問いかける。
流石に娘の友達とはいえ、無償でこのような話は持ち出されないだろう。
しかもアクアまでの経路まで確保してもらえるとなれば、叔父様にバレた時にはそれなりの代償も伴ってしまう。
正直私に返せる見返りなど、精々自分の身の内話程度だろう。アージェント家の情報など私は一切持ち合わせてはいないし、こんな小娘に寂れてしまった街の復興を頼むとも思えない。
そんな私が純粋に何をお返しすればいいのかと尋ねると、伯爵様はその場で大笑いを始められる。
「ふははは、話に聞いていた通りまったく面白い娘だな。いや、流石はフロスティの娘と言うべきか」
「はぁ?」
って、なんでここでお父様の名前が出てくるのよ。
フロスティ・アージェント、それは私達の亡くなったお父様の名前だ。
「実はな、フロスティとは学園時代の友人でな、昔は良く喧嘩もしたり酒を飲み交わしてもしていたのだ。まさかあんなに早くに死んでしまうとは思ってもいなかったのだがな」
あぁ、そういう事か。
いくらヴィスタの友人だからといって、ここまで親身になって話をしてくれるなんておかしいとは思っていたのだ。
私はてっきり何か見返りを求めておられたのかと思っていたのだが、どうやらかつての旧友の娘だと気遣ってくださったのだろう。
「すみません、私はてっきり試されているものだと勘違いしてしまって」
「いや、試していたという点では間違ってはおらん。何といっても親友の娘達が無事に暮らしていけるか心配になってな。少々出しゃばった真似をしてしまった」
「それであなた、リネアさんは合格なのかしら?」
「うむ。本音を言えば何処か信頼のおける者に預けようかとは思っていたのだが、今のこの国の事情では中々難しくてな。
だがそこまでしっかりしているようならば、何とか本人達だけで暮らしていけるだろう」
「その、ありがとうございます」
これも全てお父様が築いてくれていた絆の力。
思い返せばお屋敷の人たちだってお父様のお陰だし、亡くなった後でも見守られていると思うと、なんだか勇気づけられた気持ちさえも湧き上がってくる。
「なに、わたしとて何の打算も考えずにこんな話をしたわけではない」
「はぁ、打算ですか?」
「まぁ、今は気にするな。私が思っているような人物なら、自然と向こうから歩み寄ってくるだろう」
伯爵様は一体何の事を言っておられるのだろう?
打算? それって私に何かを期待しているっていう事? それに一体向こうから何が歩み寄ってくるというのだろうか?
何がなんだか分からないが、今は考えたって仕方がないだろう。
「それではアクア行きという事でいいかな?」
「はい。どうぞよろしくお願い致します」
こうして私たちは伯爵様のお陰で、無事アクアの地を踏む事となったのだった。