第100話 幻の植物
「陛下?」
「おい、しっかりろ!」
「大丈夫です。先ほど施した睡眠薬が効き始めただけです」
陛下が眠りへと誘われると同時に、慌てられるお二人。
私だって医師の方が教えてくださるまで、死んだんじゃないかと本気で思っちゃったわよ。
「それにしても自分だけ言いたい事だけ言いやがって。後で美味い酒でも奢らせなければ割に合わんぞ」
「ふふふ、兄上も少し昔に戻られたようですね」
公王様の無事が確認出来た事でまずは一安心といったところか。
根本的な解決にはなってはいないが、心の中に溜まっていた話も聞け、お互いの中に溜まり続けていた蟠りも、ほんの僅かだが気が晴れたのだろう。お二人の表情に自然と笑顔が戻って来ている。
「一応確認するが、ヨルムンガンドの解毒薬はここにはないのだな?」
「はい。なにぶん今じゃ禁忌に近い毒薬ですので、私としても今回が初めての事なのです」
ヘンドリック様が公王様の治療に当たった医師の方に尋ねられる。
「仕方がない。すぐに国中へ使いを出し、解毒薬が残っていないか調べさせるしかあるまい」
ヨルムンガンドの解毒薬に必要なシルフィニウムは、今となっては入手が困難という話なので、薬となって残っていないかの判断だろう。
問題は解毒薬があるかないかという点と、何十年もの前に作られた解毒薬が、今もその効果通りの結果を出せるかなのだが、逆を言えば何十年も前にも作られた毒が、今も同じ効果を発揮するのかという疑問も浮かび上がってしまう。
だが今は何もしないよりも、まずは考えられる可能性を一つでも潰していく方が余程理には叶っている。
「しかし深くは考えていなかったが、レイヴンのやつ、一体何処でヨルムンガンドを手に入れたのだ?」
「えぇ、それに牢へと閉じ込める際には身につけている物は確認しているはずよ」
確かに……。ヘンドリック様と公妃様が言う通り、毒つきのナイフ常に持ち歩いていたとは考えにくい。
ヨルムンガンドは随分と昔の毒薬だという話だし、作り方もコスト面や材料面もそれなりに大変だともおっしゃっていた。
それにレイヴン公子は罪人として牢屋へと閉じ込められていたのだ。まさか担当した兵士が身体検査をサボったという事もないだろうから、第三者がなんらかの手引きをしたうえで、毒つきのナイフを渡したと考えた方が余程合理的だろう。
だけどその場合、なぜその時レイヴン公子を助けなかった? という疑問が浮かび上がってしまう。あの部屋は身分のある者を閉じ込めるために作られた特別な牢。外側には普通の扉が付けられており、室内で牢と外から面会出来るよう鉄の格子で仕切られている。
普通に考えれば扉を開けて、格子の外からナイフだけを渡したとも考えられるが、外側の扉にも当然鍵はかけられている。
つまり扉の鍵を持っているのならば、とうぜん牢屋の鍵の方も用意していると考える方が普通なのだ。
「誰かがレイヴンが囚われている牢屋に近づいたという事は間違いないだろう」
「そうね。牢の前には常に騎士が見張っていた筈だし、怪しい者が近づける場所でもないわ。それにあの子がヨルムンガンドなんて毒を手に入れられる事もないはずよ」
公妃様がおっしゃる事はもっともな疑問。私が牢へ行った時でも数名の騎士の方がおられたので、見張り役がたった一人だけとは考えにくい。
すると犯人は騎士達が見守る中で堂々と毒つきナイフを渡した事になるのだが、そのような事が本当に可能なのかは甚だ疑問だ。
「オリーブ、考えるのは後回しだ。今はとにかく解毒薬の用意が先決だ」
「そうね」
公王様の命にはタイムリミットが刻まれている。
今は睡眠薬が効いているのか、私のところまで安貞した寝息が聞こえてくるが、それでも正常な状態でない事だけは容体を見ただけでも一目瞭然。
とにかく今は下手な詮索より先に、解毒薬の捜索が第一の課題となってくる。
「リネア、一応確認なんだけど……」
とりあえず今後の方針が決まったところで隣にいるアレクが尋ねてくる。
「どうしたの?」
「君の魔法か、そこにいる精霊たちでは治せないのかい?」
「「「!!??」」」
何気ないアレクの一言に、この場にいる全員が私の方を見つめてくる。
「まってまって、そんな期待するような眼差しで見つめられても、私も精霊達も毒の治療なんて無理ですよ」
精霊にはそれぞれ属性する力しか公使する事が出来ない。
例えばアクアの場合、本人が水の精霊と名乗っている通り、水や氷に関わる魔法しか使う事が出来ず、ノームはその名の通り土や岩石に関する力しか使えない。ドリィに関しては木や植物に関する力の他に、大地へ干渉する事も出来るのだが、その力は土の精霊であるノームほどは強くない。
つまりそれらの精霊を契約している私も、いきなり火の魔法を使えと言われても、マッチ一本分の火すらも起こす事は不可能というわけ。
「そうか……リネアならもしかしたらとは思ったんだけれど」
そんな残念そうな顔をされても出来ないものは出来ないとしか言えない。
「ですがお姉様、魔法で傷の治療や解毒が出来ると、何かの本で読んだ事がありますが?」
「あぁ、一応そういった魔法はあるらしいわね」
これはリーゼ様から頂いた本の知識なのだが、人体に影響をもたらすような力は確かに存在するらしい。
だけどその為の力を得るには光を守護する精霊との契約が必須となる。
他にも上級精霊と位置づけされる聖獣なんて存在も実在したそうだが、光の精霊を探すにしろ、伝説級と言われる聖獣を探すにしろ、それこそ解毒薬の元となるシルフィニウムを探す方が、余程見つけやすいのではないだろうか。
「光の精霊……ですか。もちろん知り合いなんて?」
「いるわけないでしょ! 私を何だと思っているのよ」
ノームとドリィはアクアが連れてきてくれたのだが、アクアもともと伝説になるほど長く眠り続けていた訳だし、精霊が集まるような集落があるわけでもないので、当てもなく探し続けて簡単に見つかるような存在では決してない。
大体私が何でも出来る完璧超人だと思われても困るっていうものよ。
「いえ、そこまでは……。ただリネアお姉様を私たちの常識範囲で考えてはいけないというか……」
「確かに。リネアを僕たちの常識の範囲で収め切るのは無理な相談だね」
もしもし、兄妹揃って何言ってるのよ。
「まったく私はどこにでもいる普通の女性だというのに、それを規格外の人間のように言われるのは心外よ」
「ははは、ごめんごめん」
僅かに見えた希望を潰してしまうようで申し訳ないが、それでも私たちの遣り取りが面白かったのか、一同から笑い声すら聞こえて来る。
そう、今一番大事なのは苦しむ公王様を差し置き、私たちが暗くならずに諦めないと心のみ。
再びみんなの心に希望の灯がともった時、ふと何気ない事をヘンドリック様が思いつかれる。
「一つ質問だが、リネア殿が連れておられる精霊は何の属性なのだ?」
「この子達ですか? アクアが水でノームが土、ドリィは木の属性ですが?」
アクアとノームの力は、先ほどレイヴン公子を拷問した際に見ておられるだろうし、ドリィはその見た目から大体の予想は付くのではないだろうか。
「ふむ、木の精霊という事は植物もにも精通していると考えてもいいのか?」
「植物ですか? ドリィ、大丈夫よね?」
「は、はい。大地に宿る植物の力なら、大体は操る事ができ……ます」
「ならばシルフィニウムの苗を……もしくは種を手に入れる事は可能か? そして僅かな時間で成長させる事も」
「種なら可能……です。成長も花を咲かせるぐらいなら」
「……………………は?」
ヘンドリック様は一体何を……と思い黙って聞いていたが、ドリィから飛び出た答えに思わず素っ頓狂な声が飛び出してしまう。
「それ本当!? シルフィニウムの種を用意できるの!?」
「でも種が手に入っても水と土が……あっ!」
ヘンドリック様の話ではシルフィニウムが育つ環境は『清らかな水』と、『気高い山の山頂で、陽の光をいっぱい浴びた栄養たっぷりの土』でないと育たないとおっしゃっていた。
それってつまり……
「ノーム、山頂で陽の光をいっぱい浴びた、栄養たっぷりの土って用意出来たりする?」
「同じのは直接採りに行かなあきまへんけど、まったく同じ条件が揃った土ならば用意する事は出来まっせ」
「アクア、清らかな水って……」
「誰に物を言っているのよ、そんなの余裕で用意できるわよ」
「やっぱり……リネアお姉様を私たちの常識の範囲で考えるのは……」
「間違いだったようだね……」
なんてこった、どうやら私は規格外の人間だったらしい……
その数時間後、公城にある一角の花壇に、幻の植物と言われるシルフィニウムの花が、僅かな人たちが見守る中で咲き誇るのだった。