『承』(陸担当)
※使用したワード
『織田信長』『闇鍋』
※スペシャルワード
『色』ー「いぶし銀に近いの色目」
『喜怒哀楽』ー喜び「秘かに喜びを募らせた」
スマホを握り締め、ふらふらと川沿いのベンチに座り込んだ。
結婚指輪のひとつやふたつ、似たのを買えばいい、と思うだろう?
そうはいかないのだよ、ワトソン君。 (誰っ?)
あの指輪はこの世に絶対無二だ。パッと見はいぶし銀に近い色目の縄模様というか、ドラゴンの鱗状。
妻が言うには、私を最低七回は殺しかねないうちのが言うにはだ、織田信長の短筒の火挟みだった、らしい。
火挟みってのはくるりんとした形状で火縄を挟んでいて、引き金を引くと動いて口火を点ける、あの部分。
少々長くなるがまあ、聞いてくれ。
当て所ない飲み屋周りをする前に、今は私も体力ゲージを上げておきたい。
私と妻は幼馴染だ。
大学から東京に出た私を四年間、健気にも待っていてくれた。帰省するたび確かめて秘かに喜びを募らせた。
就職が決まるや否や、「今度こそついてきてくれ」とプロポーズしたら、頬を染めて頷いた。
あああ、あの時は可愛かった。
いや、うちのはかなり可愛いんだ。アラサーになった今でも昔とたいして変わらない。ヘンな話さえしなきゃ、すれ違いざまに大抵の男が見惚れる美女だ。
妻の与太話を信じているわけじゃない。どう聞いたって極度の厨二こじらせだ。
だって、信じられない、だろう?
自分の配偶者が織田信長の末裔だなんて。
そりゃ、私たちは滋賀県出身で、安土城に近いっちゃ近いところで生まれ育った。だが、こじらせるならせめて、騎士とかドラゴンとか中世ヨーロッパ風にしてほしい。
なんだろうなあ、女の子のアノ日、が始まった頃? そのくらいからおかしくなったんだ。
中学、高校と警戒心もなく私の部屋についてきては一時間近く駄弁り帰っていく。
自室にふたりきりで制服女子の甘い匂いに耐えながら、話を聞かされる身にもなってくれ。
ああ、若き日の私よ、でかした、よく我慢した。こっちは情熱持て余した青少年だったんだ。
東京に下宿も決まり卒業式を待つだけの頃、離れ離れになるのならせめて一度は最後まで話を聞いておいてやろうと思った。それが大間違いだった。
「二男信雄しか子孫は生き残ってないぜ? 名字違うじゃねえか」
「母系よ、母系!」
「はあー、おまえ、そんなことオレ以外に言うなよ?」
「信長さまが城を出立する早朝に振り返ってこう言うの。『おまえ、自分の始末は自分でつけろよ? もう守ってやれないかもしれない』」
イタい、イタ過ぎる。
「短筒を差し出して、『使い方は教えた通りだ』って。あたしの先祖はね、黙って頷いて受け取るの」
「待て待て、まてー、突っ込みどころありすぎだろ? 本能寺は裏切り、信長殺られるなんて思って出かけてないって」
「物は備えよ」
「子供はどこだ、その信長さまのお子は?」
「お腹のなか」
だーっ。高三の私はカーペットの上に突っ伏した。
人のベッドを定位置にしていた危機感なしの幼馴染がドヤ顔で見下ろすのを感じながら。
「本能寺の変、信長48歳だぜ、いいおっさん」
「おっさんの魅力は破壊的よ! アンタがおっさんになるとこ見届けてあげる」
(おや? こ、これは逆プロポーズだったのか? いや、それは今問題じゃない)
「それで? おまえの先祖の女、誰なんだよ? どの側室だ?」
地元民なら信長の略歴くらいは頭に入っている。いい加減なこと言うと承知しないぞっと睨みつけた。
「えっとー……」
ほら、答えられない。目が泳いでいる。嘘つくときの顔だ。
沈黙が過ぎていく。絶対助け舟は出すものかと心に決めていた。
「…………闇鍋の方?」
私はスッと立ち上がってバタンと部屋を出た。トイレに駆け込む。胃から笑いが震え上がってくる。
(言うに事欠いてヤミナベだとー?!)
頭の中で叫んだが、決して声には出すまい、笑い声も聞かせないと蹲り、自分を抱きかかえて堪えた。
普段の私を取り戻すのに五分はかかったと思う。部屋に戻ると若き日の妻はどこかしゅんとしていた。
「お鍋の方は女性の鑑だよね、再婚だったけど奥向き差配して、信長死んだ後もお墓整えたり……」
笑顔を取り戻させたくて、猫撫で声で俯いた顔を覗き込んだ。
「もうひとり……、いたの。ジ・アザー・ナベ・ガール」
「ナベ・ガール?」
「一緒に見たじゃん、『ブーリン家の姉妹』。あの原題、The Other Boleyn Girl」
宮廷物が好きな妻とスカーレット・ヨハンソンが好きな私が最初のデートらしいデートをした記念映画だ。
「信じてくれなくてもいい。ヘンリー八世にブーリンが二人いたなら信長さまにナベが二人いてもいいでしょ。なへって名前たくさんあったって。濁点取ってひらがなで『なへ』って署名するから区別つかない」
「わかった、わかった」
その後しばらく遠距離だったし、次にこの話が出たのは結婚指輪を買う時だ。
ペアが鉄板だろうと言うと、妻は「あなたのはもうあるわ」と宣ったのだ。そして昨夜まで私の指にあったリングを見せた。
信長さまの短筒の部品をリデザインし、代々長女が相続してきた大層な指輪だそうだ。
「いや、いいよ、そんな大事なもの……」
最初は私も礼儀正しく断った。
「だめよ、これしてくれなきゃ結婚しない」
「指輪くらいオレに買わせてくれない?」
「お金払いたいならあたしからこれ買って」
「うそだろ? じゃ、式でつけたら普段は箱に仕舞っておいていいな?」
「毎日つけなきゃだめ」
「なんだよ、その強情な感じ……?」
「しないと人間五十年で死んじゃうから」
「ん? 断定?」
「うん。信長さまも短銃を持ってたら死ななかった。闇鍋さんの身の安全を優先したから。あなたもつけとかないとあたしを置いて死ぬから」
余りにも真面目な瞳が見つめていた。だが私ももう一歩だけ抵抗した。
「おまえ、オレを金属アレルギーにしたいわけ? これどう見ても指の間で溶けそうじゃん。鉄とか錫だろ?」
「失礼ね。日本一の刀匠を兼ねた鉄砲鍛冶の作よ。玉鋼製、鉄と炭素だわ。鉄アレルギーが出る頃にはあたしが死んでるから大丈夫」
妻に餌付けされ幸せに五年間、指は肥ったがアレルギーは出ていない。
ベンチに前屈みに座り両膝に肘をおき、私の右手は左薬指を触っていた。
(物足りない。あるべきところにあるものがない……)
指輪をくるりくるりと回すのが思考中の癖になってしまっていた。
ジャストフィットになってからは回さず、指輪の表面を撫でていた気がする。
まるでドラゴンの加護が無くなったかのように心細い。
膝の間に目を落とした。ズボンの裾が見えている。
あれ?
私はちゃんと着替えている。昨日とは違うズボンだ。シャツもネクタイも。しこたま飲んで酔っ払った記憶はある。だが家に帰って妻の顔をみただろうか? ベッドで寝たか?
覚えがないのにきちんと着替え朝から仕事に精を出した。
と思ったが、本当にそうか?
ここは、どこだ? 私は私のままか?
左手をじっと眺めても、指輪の痕はもう見えなかった。
陸さん
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