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Teufelshöhle―トイフェルスヘーレ―  作者: 或宮澪
第1幕——悪魔との邂逅、そして闇中のファム・ファタール——
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【第1話】ザンクトマグダレーナ精神病棟6階——悪魔と共生し、悪魔と果てたものども—— 第1節〜経緯の整理・ヴィルヘルムの半生〜

———青年ヴィルことヴィルヘルム・ヴァイスヴァイラーがこの奇妙な精神病棟にて、自らの身に降りかかった事態の真相の究明を求めて行動を起こすまでに、それまでの経緯を改めて整理しよう。


1993年12月26日、午前3時頃。ドイツ南部バイエルン州に存在する、ある街にて、ヴィルヘルム・ヴァイスヴァイラーは生を受けた。その夜は酷い吹雪だったという。冬の嵐――交通機関は麻痺し、実際のところ、家族が妊婦の元へ駆けつけるにも難儀したとか。生まれたばかりのヴィルは驚くべきことに、泣きもせず、ただ母の顔を無機質な表情で凝視していたのだという。心配した両親であったが、翌日からは普通の赤子と変わりない様子を見せていたため、両親はこの時点では、生まれた際の様子を特に気に留めることはなかった。


ヴィルが3歳を過ぎた頃から、ヴァイスヴァイラー一家は、奇妙な現象に悩まされるようになった。最初は、人影が廊下を通り過ぎた気がしたとか、ラップ音がするとか、誰かに見られているような気がする、とか。そんな、気のせいに思われるような現象を、ヴィルの母親が度々体験しただけに過ぎなかった。けれど…

5歳、7歳、10歳とヴィルが成長するにつれて、怪しい現象は実態を伴い、規模を拡大し、やがてその体験者も、母親、ヴィル本人、父親、祖父母、親戚、友人…やがて近所にまで広がっていった。


俗に言うポルターガイスト現象がまず顕れ、2階に誰も居ない筈のときに聞こえていた有り得ざる物音も、床を奔り、壁を蹴るような激しいものへと変わっていった。そして、ヴィルが小学校に入学した頃から、ヴィルは偶に突然意識を失い———意識を取り戻したかと思えば乱暴を働き、天主を冒涜する罵詈雑言を吐き散らし、忌まわしき嘗ての独裁者の真似をして見せたり、誰に教えられたわけでもなく、旧く…そして神秘に満ちた異国の響きを持つ言語を、嗄れた声で発し、それらが終わると眠りについてしまう症状に見舞われるようになった。

蛇口から稀に血のような液体が流れ、両親の枕元に黒い人影が現れ、時に両親の身体に伸し掛かるだとか、両親の首を絞めようとするだとか、そうした現象が発生し始めたのも、その時期だった。そしてヴィルは、常に不思議と、凡ゆることに於いて——例えばくじ運だとか、スポーツやゲームの勝敗だとか、そうしたヴィルにとって比較的些細な事柄から、怪我が多いだとか、ガキ大将に絡まれやすいだとか、ここぞで感染症に罹患してしまうだの、深刻な事柄に至るまで。兎に角、何かにつけて運が悪かった。


ヴィルが成人に近づくにつれ、ヴィルは怪奇現象を起こす少年として近所で噂になり、気味悪がられていった。友人も、基礎学校からギムナジウム、そして大学と、人生の移行期を経るにつれて徐々に、しかし確実に減っていった。怪奇現象はますますエスカレートし、友人の家でも皿が独りでに飛んで割れるなどの現象を引き起こし、その友人から気味悪がられ、次第に疎遠にされていくなどという経験もした。

「あの子は忌子なのよ。きっと悪魔にでも魅入られているんだわ」

「あいつに近寄ると不運が感染るぞ!そら、逃げろぉ!!」

「ヴィルヘルムって、なんだか怖いよね…周りでよく変なことがあるって聞くし…」

そんな周囲の反応を、確かにヴィルは悲しみ、悔やんだ。けれど、それだけ。悲しくはあれ、悔しくもあれ、しかし最後には些末に感じられるようになっていく。不思議と、驚くことに、ヴィルはそんな状態を甘受し続け、遂には青春を浪費していた。彼はただ、学校を卒業し、働き、一市民として食べていけさえすれば、それで良いと感じていた。両親でさえヴィルを腫れ物扱いして別居するようになったが、不思議と、それで良いと確信していた。直感的に、来たるべき何かが、来たるべき日に訪れるだろうと信じて。


ヴィルは両親と別居しながらも、比較的怪奇現象に見舞われず、またその類のものをあまり信じない叔母の世話になりながら、黙々と勉強に取り組み。なんとか滑り止めの大学の文学部に入学した。大学に入ってからも、灰色がかった淡々とした毎日を、卒業して就職するべく———そして彼の中だけで感じ得る、来たるべき“或る日”に備えるべく。ヴィルは甘受し、黙々と学業に励んだ。

無論、彼も無趣味なわけではなかった。通常では体験し得ぬ奇妙な生育環境も手伝ってか、文学や歴史、それに民俗学に興味を示し、同好の友人も居た。けれども、何故だか降霊術研究会的な趣の強いオカルトに対しては、嫌悪感ともまた毛色の異なる、不思議な忌避感を感じていた。

「やあ、君があのヴィルヘルム君かい?地元で噂になってるんだってね!なあ、なあ、降霊術や秘術には興味ないかい?我が研究会は今、新しい研究生を欲しているのだよ!よかったら…」

「よしてくださいよ、その話は。好きで変なことに囲まれて育ってきたわけでは、ないので」

入学したての頃も、このようにして、心霊研究サークルの誘いを断っていたものの、理由は今でも判然とはしない。ヴィル自身は、この時は学業に集中したいということにしていたが。

「…それでね、ヴァイスヴァイラー君は知っているかもしれないが。フランスで言い伝えられていた話が、このように伝播して…」

「興味深い話だよね。小さい頃はドイツの民話だと思っていたのは、よくある話だな」

その割に、友人とは、民話———それも怪談を含む恐ろしい物語や、或いは原版がそのような内容を含む話についての考察で、よく盛り上がっていたものだった。


大学時代、ヴィルはひょんなことから、自分には精神障害があるのではないかと疑いもしてみた。いくつかクリニックを受診してみたけれど、いつも返ってきた言葉は。

「———検査の結果は正常でした。特に、精神障害ということは…ありませんね。思い込みが強いだとか、それか疲れやストレスが原因だとは思いますが…もし持病をお疑いなら、別の病院で、場合によっては…脳外科などにもかかってはいかがでしょうか?」

大抵は、そんな調子で、医学的には自分がごくたまに気絶して豹変する現象に納得いく説明はなかった。なかったので、とりあえずヴィルはその問題を先延ばしにして、やはり卒業と就職を最優先事項として、大学生活を送った。


ところが、卒業を控えた2017年。ヴィルは応募した企業からは、どういうわけか悉く不採用通知を受け取る羽目になった。その前年辺りから、ヴィルの周囲で起きる怪奇現象が大学でも発生し、エスカレートするようになった。黒い人影や、悍ましい形相をした血塗れの見知らぬ女が出るといった現象が相次ぎ、ついには黒い人影に学友が首を絞められるとか、血塗れの女に女学生が追いかけられるといった出来事も起き。ヴィルの周りからは、人が次々と立ち去っていった。

「なぜ受からないんだ…一体、僕の何が悪いというんだ…?僕の周りで変な出来事が起きるせいだというのか?あれは、幻や偶然ではないとでも?」

ヴィルは孤立よりもむ、採用されないことに、より焦燥を感じていた。しかし実際のところ、人間関係を失っていくことも、伝手が無くなるといったデメリットには感じていた。ヴィルは焦燥と過活動によるストレスと疲れから、日に日に窶れていった。


その頃、ヴィルの自宅の周りでは、新たな噂話が広まっていた。なんでも、夕刻から夜間にかけ、ヴィルの自宅周辺に、スカーフとハットで貌を覆った、緋い眼を持つ不審な黒衣の男が現れ、出歩いているそうであった。ヴィルの自宅の玄関から黒衣の男が出てきたという噂を聞きつけて、強盗を疑ってはみたが。扉や窓の戸締りを日頃から徹底していた上に、侵入された形跡もなかった。黒衣の男の正体は杳として識れはしなかったが、この頃、地元で殺人事件や事故が急に増えたので、謎の男の噂話は、やがてちょっとした怪談にまで発展し始めていた。


大学生活が終わりを迎える2017年の夏、ついにヴィルを正規雇用する企業は現れなかった。地元はおろか、州外も国外も、応募した会社は全て同じ返答を寄越した。仕方なくヴィルは、パート労働者として地元のスーパーマーケットで仕入れや陳列の作業をする道を選択した。

それからも暫く、黒衣の男の目撃談は止むことはなく、時たま不審な事故のニュースも飛び込んできたもので、毎日の帰宅がやや憂鬱ではあったものの。不思議とヴィルが黒衣の男を目撃することは無かった。そして、ヴィルがスーパーに勤務するようになってから1年ほどが経過すると、黒衣の男の目撃談も段々と減少していった。


黒衣の男がヴィルの自宅近隣にて姿を見せなくなっていった2018年夏頃のある休日。ヴィルの家に、グレーのスーツに青いネクタイをし、整ったグレーの口髭と髪が気品を感じさせる、初老の紳士が訪ねてきた。紳士はオリヴァー・ユングシュタットと名乗った。なんでも、紳士はヴィルに関する噂話を聞きおよび、ヴィルの家で、ヴィルに会ってみたかったというのだ。ヴィルは訝しんだものの、何故だか断る気にはなれなかった。ユングシュタット氏は、ヴィルのこれまでの体験を聞いた上で、ヴィルの家を徐に調査した。そして、50分ほどして、氏は簡易にお祓いを済ませたと主張し―――ヴィルの家には昔から低位の悪霊(あくれい)が棲んでいたのだと語ると、そそくさと帰ってしまった。それ以後、現在に至るまで、ヴィルはユングシュタット氏と会うことはなく―――そして奇妙な現象も不思議とピタリと止んだのだった。あの、11月9日まで。

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