月夜と吸血鬼
このお話には多少の流血表現が含まれております。
いつもの要領で獲物をとらえた。
月明かりの街を一人歩く、金髪の着飾った女だった。
「好きだ」
女の耳元で囁き、抱きしめる。
女はこくんと人形みたいに頷いた。
左手で髪を撫でて、そのあと首にかかっていた髪を払った。
首筋に軽くキスをして、舌を這わせる。
つけすぎのコロンの味がした。
女はびくんとして声を小さく漏らしたが、そんなものは俺の空腹空虚の足しにはならなかった。
あまり旨くなさそうな女だ。
狙いを定めたときにわかっていたことだったが、予想以上でがっかりした。
しかしリスクの面を考えると好みの黒髪の清楚な女より、こういった軽そうなののほうが効率はよかった。
毎晩ありつけるからなのだが。
まあ、しょうがない。
明日はもう少し早起きして狙いをつけようと心に決めた。
「はやくぅ…っ」
女が口を開いた。
こいつは俺が何をしようとしているかわかっているのだろうか。
ふと思ったが、少ししたらどうでもよくなった。
「…興醒めだな」
俺は女から離れてコロンの味のする唾をぺっと地面に叩き付けた。
口の中の苦味は消えなかった。
「どうしたの?」
女ははやくしてよと続けた。
「煩い、黙れ。
今日は気が向かん。やめだ」
俺は薄手のロングコートをマントみたいに翻して女に背をむけた。
今夜は月が綺麗だ。
帰ったら久しぶりに酒でも呑もうか。
「ちょっとまちなさいよ!」
女が俺の肩に手をかけた。
「黙れといっただろう」
肩の手を掴んで地面へ捨てた。
「きゃっ!?」
短い悲鳴のあとにくしゃっと何かの潰れる音がした。
「……」
どうやら力加減を間違えたようだ。
女は元の形は維持していたものの、頭からは濁った紅が地面を這っており、意識はもうないようだった。
かっとなりすぎたかと、少し反省した。
しゃがみこんで女を観察する。
死んだだろうか。
人間とは脆いものだと、頭のメモに書き込む。
またひとつ俺は賢くなった。
濁った紅はグレーの地面をどんどん自らの色に塗り替えていく。
地面に広がる紅に小指をつける。
生暖かく、どろっとしていた。
女の頬を触ってみる。
先ほど抱きしめたときの暖かさはなく、ひんやりとしていた。
夜風のせいであろう。
「帰るか」
俺は呟いて立ち上がった。
女は置いていこう。
そのうち土に還るだろう。
空を見上げる。
月は丸くみえたが、まだ満月ではないようだ。
明日は今日より綺麗な月を見ながら、旨いものがたべられそうだ。
小指を月明かりにすかした。
女の紅がてらてらと妖しく光る。
俺は小指をくわえた。
「………!!」
少し考えた後に彼女の方を振り返った。
彼女は動かなかった。
風がぴゅうと吹いた。
彼女の金髪が紅に染まっていった。
俺は、もう一時の感情に流されないことと力加減を間違えないことを心にきざんだ。
それと人間を見た目で判断しないことも。
彼女のつけすぎのコロンは、俺の自慢の鼻を騙してくれたようだった。
帰って酒を飲むのはやめにしよう。
どんな旨い酒を呑んでも舌に焼き付いたこの味は洗い流せない気がした。
彼女の亡骸を見て不思議な気分になったが、それの正体はよくわからなかった。
人間のナカミは見た目では決まらないようだ。
俺はまたひとつ賢くなったが、明日からこれを生かして生活している自分を今一つ思い描けなかった。
彼女に背を向ける。
名残惜しげに沈んでいく月を追いかけるように俺は一歩踏み出した。