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バタフライエフェクト 1  作者: 辻川優
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序章

「あれ、もしかして見えてる?」

 「見えてる・・・・けど」

 「そうだよね、目、しっかり合ってるもんね」

 「はぁー、参ったなあ」

 私の前に突如現れた謎の少年は、取り乱す様子もなく黒光りする髪をぐしゃぐしゃと触りながら「はぁ」とため息をついた。お風呂上りにベッドに寝転んでラインの返信をするという普段の日常をこなしていただけなのに、どうしたというのだろう。目の前には、いつからいたのか分からない得体のしれない少年が立っている。

 人間は本当の恐怖と対面したとき、ホラー映画で女優が発するような叫び声は出ないのだとたった今知った。恐怖は驚きの次の段階で、驚きを受容していなければ、恐怖は訪れない。私は目の前に広がる驚きを受け止め切れていない。

 もしこの少年が猟奇的殺人鬼であるとしたら、すでに私の両親は殺されているのだろうか。もし窃盗犯だったとしたら、その姿を目撃してしまった私は殺されてしまうのだろうか。もし幽霊だったとしたら、私は取りつかれてしまうのだろうか。どう想像しても私の未来はいい方向へ導かれないと悟ると、恐怖で体が震え、自然と瞳から涙が零れ落ちる。せめてもの抵抗として、寝転んでいたベッドにかかる掛布団に身体を包むが、こんなもので身が守れるなど到底思えない。

 「どうか、どうか命だけは勘弁してください。お願いします」

 声を震わせながら、ほぼ反射的に少年に命乞いをする。実際に命の危険にさらされるまで、私がこんなにも生きることを望んでいたなんて知らなかった。現実はなんと残酷だろう。

 「違う、違うんだよ。僕は君に危害を与えに来たんじゃないよ」

 少年は困ったように顔をしかめて、口の前で人差し指を立てながら「しー」と子供をあやすように言った。

 「じゃあ、なんで私の家にいるの」

 少年の言葉を頭に入れることなく、声を荒げ少年にぶつける。こんな得体のしれない人物の言葉は信用できない。私は身を包んでいた掛布団をぎゅっと握り、体を強張らせた。

 「ごめん、わかった。わかったから落ち着いて。本当に何もしないから」

 焦ったように少年は両手を上に挙げ、私から少し距離をとった。

 少年がこうした行動をとっても、私はいつ何をされるのか気が気じゃなかった。どうしても身構えてしまう。

 「あなたは、何者なの?」

 無意識に出た言葉が、震えている。

 「何者って訳じゃないんだけどぉ」

 少年はもごもごと聞き取りにくいような声で話す。

 「普通、僕は人から見えないようになってるんだよ」

 「どういうこと」

 何を言っているのか、全く理解できない。私は本当に頭のおかしい人につけられていたのかと、また新しい恐怖が襲ってくる。そんな矢先、私の頭の中に浮かんだのは三つ目の恐怖だった。

 「じゃあ、幽霊ってことですか」

 もし本当に幽霊だった場合、刺激したら襲ってきそうなので、敬語を使い下手に出てみる。得体のしれない幽霊もどきの後ろにあるプーさんのぬいぐるみが、程よく今ある雰囲気を壊していた。

 「ううん、幽霊じゃない。僕は君に害を与えようとはしてないんだって」

 なかなか信じてもらえないからか、少年は俯きながら頭を掻いた。

少しこの状況に慣れてくると、先ほどよりも冷静にその少年を見ることができた。私以上におどおどしている少年を見て、誰かに見られることは本当にイレギュラーな事なのだと、よくわからないながらも実感する。

 少しフラットになった頭の中でこの状況を整理する。急に私の前に現れた少年は、普通人には見えないと話し、本人自身も私に凝視されている事実に驚いている様子だ。直接私に何かしてくる風でもないし、幽霊でもないのに見えない存在とは何なのだろう。頭の中を行ったり来たりしながら、私の思考はある一つの最悪な仮説に辿り着いた。

 「も、もしかして、死神とか?」

 「いや、違うね。何か危害を与えるとか、本当にそういうのじゃないんだ」

 間髪入れず少年が答えるので、私の辿り着いた最悪の仮説は一瞬にして否定された。じゃあ、一体この少年は何なのだろう。少し会話をする中で、少年への驚きや恐怖心は不思議と薄れていた。

 「じゃあ、本当に何者なの?」

 私の問いかけに対して少年は「はぁー」ともう一度ため息をつく。頭を軽く掻きながら、重そうに口を開く。

 「君、今幸せをあげたでしょ」

 「へっ」

 言ったことの意味が分からず、不意に間抜けな声を挙げてしまった。

 「いや、だから、幸せをあげたんだよ。今」

 「何を言ってるの?」

 ようやく状況を理解し始めたところだったのに、また訳が分からなくなる。

 「君は今、その連絡してる相手に一つ幸せをあげたでしょ」

 「え、ラインの相手ってこと?」

 「うん」

「もしかして、今ライブのチケットをあげる約束をしたこと?」

 「そう」

 なかなか物事を理解できない私にいら立ったのか、少年は顔をしかめながら言う。どうやら私がたまたま予定が入ってしまっていけなくなったライブのチケットを、ラインで友達の優香にあげる約束をしたことを言っているようだ。

 「それがなんなの?」

 まあ、とつぶやくように言った後「今から言うこと、全部本当だよ」と付け加えたため、私は少し体を緊張させて身構えた。

 「僕は、幸せを運ぶ役割をしてるんだ」

 急に何を言い出すのか、きょとんとしている私を前にして「まあ、そうだよね」と言い、続ける。 

 「今、君がしたライブのチケットを渡すって行為は、幸せを誰かにあげることと一緒なんだ」

 「うん」

 それは何となくわかる気がして、軽く頷いた。

 「だから、君に訪れた幸せを君が人にあげたから、その幸せを相手に渡しに行くために来たんだ」

 「誰かの幸せを、ほかの誰かに渡すってこと?」

 「まあ、そういうことだね」

 私はだんだんとこの状況が読めてきた。少年の言葉を使って話すなら、私が誰かに幸せをあげるという取引をしたから、幸せを運ぶ役目のある少年が来たというところだろう。私以外にも同じように少年が訪れているみたいだが、何故か私にはこの存在が見えてしまった。少年の反応から、きっと見えたのは私だけだということは容易に想像できた。

 「じゃあ、幸せを運ぶ神様ってこと?」

 幸せを運ぶというワードを聞くと私自身安心したようで、体に走る緊張も次第にほぐれた。気持ちの余裕からか、幸せを運ぶ少年の目を見て話す。丸い大きな目をしていて、案外可愛い。

 「神様よりも悪魔に近いかな。だって幸せを呼ぶってイメージよりも、誰かの幸せを奪うってイメージのほうが近いからね」

 「そうなんだ」

 自分のことをわざわざ悪魔と称すなんて、なかなか痛いなと、私は冷めた目で自称悪魔を見る。例えるなら、ノリノリの決めポーズで撮ったプリクラを勉強机に飾ってある私と同じ様に。

「奪った幸せは、もうその人の元へは戻らないの?」

 「うん、戻らない。だけど、その代わりに最後には絶対に幸せになるようになってる」

 「そうなんだ、やっぱ最後には自分に返ってくるんだね」

 なんだ、奪うだけじゃなくていいこともしてるじゃないか。そう思うと一気に肩の力が抜けた。今まで、幸せを奪うだの悪魔だのマイナスな言葉ばかり聞いてたせいで、その一言が余計に聞こえが良かった。

 「本当はこんなこと人間に話ちゃダメなんだけど、ねえ、なんで君は僕が見えるのさ」

 「知らない。そんなこと私が知りたいよ」

 嘆くように私が言うと「だよねぇ」と少年も嘆くように言いゆっくりと床に座る。私同様に、少年も緊張から解放されたのだろうと思うと、何だか愛らしく思えた。

 「ねぇ、あなた名前はなんて言うの?」

 「名前?特にないけど、しいて言うなら十二号かな」

 「ロボットみたいな名前なんだね」

 「名前っていうか、僕らは番号で呼ばれるから名前はないんだ」

 「そうなんだ。十二号って誰に呼ばれるの?」

「あんまりこういうの話ちゃいけないことになってるんだ」

「名前、私がつけてあげようか?」

 「いや、いいって」

 少年は首を横に振ったあと、不思議そうに私を見つめた。

 「君、もう僕のこと怖くないの?」

 「うーん、最初は怖いっていうか、びっくりしたけど、今はそんなに怖くないかも。だって悪い幽霊とかじゃないみたいだし、見た目はただの人間だし」

 とても綺麗な黒髪だったので「クロ君」と命名すると「なんでもいいよ」と答えるので、少年の名前はクロ君になった。クロ君もまんざらでもないような表情をしてはにかんでいた。

 「クロ君のこと見えたのって私だけ?」

 分かっていたが、改めて本人から直接聞いてみたくなって問いかける。

「うん、君が初めて」

 そう言われると私が特別みたいな感覚になって嬉しかった。

 「なんで君だけに見えたのか、僕もよくわからないけど、このことは誰にも言わないでね」

 「言っても誰にも信じてもらえないよ」

 「まあそうか」と納得したようにクロ君は言う。言ったところで、こんな非日常的なこと、誰も信じてくれないだろう。変わり者扱いされて終わりだ。

 「じゃあ、そろそろ君のあげた幸せを届けに行くよ」

 腰を重そうにして浮き上がり、私に背を向け窓の方へ歩いていくクロ君に私は「まって」と追うようにして声をかける。

 「ねぇ、一つ聞いておきたいことがあるんだけど」

 「なに?」

 体を回転させてクロ君は振り返る。

 「あのさ、さっき幸せをあげると最後には絶対に幸せになれるようになるって言ったけど、それって自分の願いが叶うとかそんな感じ?」

 「いや、はっきりとは言えないけどそういう幸せじゃないんだ」

 このことは何か重大機密なのかと思うほど、クロ君の表情は曇っている。だが、私にとってもこれは重要なことなので、念を押すようにもう一度クロ君に問いかける。

 「どの程度大きな幸せなの?」

 「それは人によるかな」

 「小さい幸せを少しずつ誰かにあげていけば、最終的に大きな幸せが手に入るなんてなんか素敵な話だね。塵も積もれば山となる的な」

 こんなことが本当にあるなんて思ってもいなかった。この話は今まで見てきたSF映画に近くて、それ以上に優しい。

 「でも最終的に手に入る幸せが自分の望んでいるものとは限らないよ。誰かにあげてきた小さな幸せの方がよっぽど意味のあるものかもしれないし」

 「大きな幸せよりも大切な小さな幸せって、なんか矛盾してるね」

 「案外そんなものなんだよ。幸せって」

 「そっか」

 否定的な発言の多いクロ君は徐々にうつむき気味になり、目が合わなくなってしまったので何となく空気を読んで話を切り上げた。

 そうは言え、誰かに送った幸せが最後自分に廻ってくるとはなんだかロマンチックで、映画の中に入り込んだ様な気分がする。

 「じゃあ、行くね」

 くるっと軽々しく後ろを向き、今度こそ真っすぐ壁に進み、壁をすうっと通り抜けた。

 幸せを奪う悪魔と豪語するクロ君はこんなこともできるのかと目を見開いて驚く。こんな芸当ができるなんて、悪魔は霊に近い存在なのかと勝手に想像が膨らんだ。クロ君がいなくなって、一瞬今までのことは全て夢なのではないかと思って、思いっきり右手の甲をつねってみると反射的に「痛っ」と声が出たのでやっぱり現実だ。

 ベッドの上に寝転び、今までクロ君と話していたことを再度頭の中で整理する。もうすでにクロ君に対する恐れの念は消滅していた。今はクロ君の話した摩訶不思議な話が興味深くてたまらない。

 自分の小さな幸せを誰かにあげるだけで、確実に大きな幸せに結びつくなんて突拍子もない話受け入れられるはずもないのに、クロ君の話し方には妙な説得力があった。

 「人助けもできて、自分も幸せになれるなんて最高じゃん」

 天井を見つめながらぼそっとつぶやいた。これが自然の原理であるならば、真実を知った私は神様にでもなれるんじゃないだろうか。考えると止まらなくなる妄想を脳内で繰り広げながら、私は知らぬ間に眠りについた。

 

 翌日目覚めるとなんら変わらない普段の日常が私を何食わぬ顔で出迎えてきたため、昨日の出来事は全て夢だったのではと軽くショックを受けたが、目の前に現れたクロ君の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろした。


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