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コンビクト×チルドレン

コンビクト×チルドレン

作者: 朝日菜

あおい!」


 玲音れおの声で目が覚めた。机に突っ伏すのを止めて顔を上げると、染められた明るい髪色が私の視界にちらりと入る。


「その髪色、やっぱり何度見ても慣れないんだけど」


「えぇー、マジで?」


「それに評判悪いし」


 私がつけ足すと、玲音は「俺は他人の目なんて気にしない主義なんだ」と胸を張った。いいことを言っていると思うし、玲音は強いなって思うけれど


「校則違反だし」


「それ言っちゃあおしまいだわ、葵」


 ケラケラ笑う玲音は、昔はこんな子じゃなかったのに。人は変わっていくんだと思い知って、何故だか急に寂しくなった。


「じゃああんな髪色ならオーケー?」


 玲音が指差す先を見ると、そこには同じクラスで素晴らしい黒髪を持つ佐久間さくまが彼の友達と喋っていた。


「もちろんオーケー」


 昔は玲音もあんな髪色だったのに。高二になってから染めたって、ただの遅れた高校デビューじゃないか。

 じっと佐久間を見ていると、不意に目が合った。私は慌てて視線を逸らし、なんでもないように前髪を弄る。……気があるとか勘違いされたくないし。うん。


「そうバッサリ言われるとマジでどうしようもなくなるじゃん」


 玲音はわしゃわしゃと髪を掻き毟った。そのおかげでチラチラと見える耳のピアスも、なんなのか。風紀委員や先生に目をつけられていること、知っているのかな。


浅倉あさくら


 不意に名前を呼ばれて顔を上げると、話しかけてきたのはさっきの佐久間だった。


「今日の放課後、一番目の空き教室に来い」


「……え?」


「いいから来い」


 佐久間は私に返事をさせる暇もなく、自分のいるグループへと戻っていった。





『ぜってー告白だって。良かったな』


 玲音はそう言っていたけれど、実際のところはどうなのだろうか。私がそうやって疑うのは、私と佐久間の初めての会話があれだったから。一度も話したことがないのに告白なんて、あり得ない――と、思う。

 《一》というなんとも簡単なプレートが貼られた空き教室の扉を開けると、やっぱりそこには佐久間がいた。


「何か用?」


 これから告白するかもしれない人にこう言うのは、冷たいのかな。いや、だからまだそうと決まったわけじゃないし……。

 自問自答を繰り返して数秒後、佐久間がようやく口を開いた。


「好きです、俺とつき合ってください」


 なんともありふれた、あらかじめ用意されたかのような台詞だった。ちょっと固さの残る声色が浮いていて、けれどそれが逆に〝本気〟なのかと私に思わせる。


「お願いします」


 私が黙ったままでいると、震える体で佐久間がさっと頭を下げた。


「あ、えっと……」


 本当に告白だった。

 今の今まで佐久間のことをなんとも思っていなかったから、思考が上手く纏まらない。


「好きな奴がいないなら、〝お試し〟でもいいから」


 佐久間のその言葉に驚いて、私は未だに頭を下げ続ける佐久間の後頭部に視線を固定した。佐久間の黒髪は艶やかで、私は唇を小さく結ぶ。


「その間に絶対惚れさせる」


 一瞬、壊れかけた感情がどきっと高まった。


「そ、そこまで言うなら……いいよ」


 壊れかけていたから。こんな私をこんなに好いてくれている人がいると知ったから。断る理由はどこにもない。


「ありがとう……」


 手で顔を隠す佐久間は、「……今日はもうヤバイから、先に帰る」と言ってさっさと教室から出ていった。

 惚れさせると言っておいてなんなんだと拍子抜けしつつ、告白する勇気を振り絞った代償を目の当たりにしたような気がした。


 覚束ない足取りで教室に戻ると、玲音が私を待っていた。私が鞄を手に取った瞬間、興味深そうに話しかけてくる。


「やっぱ告白だった?」


「うん」


「ま、マジかー! で? お前はなんて?」


「いいよって。だから私、もう玲音と一緒に帰れないかも」


 上手く言える自信がなくて、〝お試し〟の部分はあえて伏せた。


「あー……。そういうことになんのか」


 それで、玲音よりも一歩先に大人になったつもりになった。

 なんだかんだでほとんどの時を一緒に過ごしてきた玲音は、私の家族のような人だった。玲音も私のことをそう思っているし、恋愛感情はお互いにない。


 けれど、私たちの関係はあくまでも幼馴染みだ。私と玲音があまりにも一緒に居すぎるせいか、勘違いだってよくされていた。


「じゃあ俺、次からぼっちかよ」


「今日は何がなんでも一緒に帰る気なんだね。ていうか玲音は友達たくさんいるんだから、そいつらと……」


「あー、あいつらとはもう縁切ったからなー」


 あまりにもさらっと吐かれた台詞は、私を自己嫌悪させるのに充分すぎる台詞だった。拳をぎゅっと握り締め、震える声で私は尋ねる。


「……また、私のせい?」


「いいや。自分から」


 玲音は努めて明るくとんとんと自分の髪を指差した。

 高二から染めてピアスの穴も開けた玲音が、進学校の生徒から孤立していくのは自然の摂理のようだった。


「まぁ、あいつらとはうっすーい関係だったからむしろスッキリしたわ」


 そういえば、玲音の性格が変わったのもその時からだった。


「薄くても友達なら続けていればいいのに」


「バーカ、薄かったら続かねーの。ダルいだけだって」


 玲音があくびを噛み殺しながら言う。私にはその感覚がよくわからなかった。





「葵」


 ぶっきらぼうに下の名前で呼ばれたのは初めてだった。


「さ、佐久間。おはよう」


「おはよう」


 と思ったら次の瞬間にははにかんでいる。これって、私に話しかける為だけに緊張してたとかそういう感じなのかな。……佐久間のことがよくわからないや。


「今日は吉岡よしおかと一緒じゃないんだな」


「佐久間とつき合うことになったから置いてきたよ」


「えっ。別に一緒でもいいのに」


 え。


 佐久間を見上げると、彼はちょっぴり困ったような表情をしていた。……そんなに私と二人きりになると困るのだろうか。


「じゃあ、明日から連れてくる。玲音はだいたいぼっちだから」


「おう」


 けれど、こんな感じなら佐久間とは案外気楽につき合えそうだった。


「佐久間ってさ、いつから私のことが好きだったの?」


 何気なく聞いたのに、ぴたっと佐久間の歩が止まる。


「えっと……入学式とか?」


 思い出せないのか、曖昧に笑う佐久間は不意にぽんぽんと私の頭を撫でた。


「ッ!」


 ただ頭を撫でるという動作だけなのに、こんなにどきどきするのはどうしてだろう。先を歩く佐久間はゆっくりと歩を進めていて、私がちょっと早歩きしたらすぐに追いつけた。

 もしかしたら、佐久間の言った通り本当に私は佐久間に惚れ始めているのかもしれない。


「佐久間って意外とかっこいいんだね」


 思ったことをあえて口にすると、「そうだといいんだけどな」と背中を向けられたまま返された。


「佐久間?」


 その言葉の意味がわからなくて声をかける。


「サンキュ」


 一瞬だけ振り向いた佐久間は、何故か悲しげに笑っていた。





「は? ヤダ」


 昼休みになって佐久間と話したことを玲音に伝えると、即答で断られた。


「なんでよ、ぼっちで寂しいんでしょ?」


「それがヤダっつってんだよ。なんでつき合いたてのカップルの邪魔みたいなことをしなくちゃ……」


「佐久間が言ったから」


 すると、玲音はピタッと机の上で体を伸ばすのを止める。そして「佐久間が?」と、確かめるように尋ね返した。


「玲音がいないと困るっぽいよ」


 すると、玲音は長いため息をついた。


「けど、それでもヤダから俺」


 そう言って、机の上に乗せていた足を下ろした玲音は教室から出て行こうとする。


「……葵は佐久間のこと、好きなのかよ」


 その間際の台詞に、私はただ


「わからないけど、これからきっと好きになるから」


 思っていたことを玲音に告げた。


「……葵」


「ッ!? さ、佐久間、聞いてたの?」


「あ、あぁ。まぁな」


 若干頬を赤らめながら、佐久間はポリポリと頬を掻く。

 別に聞かれてもいい台詞だったのだけど、佐久間のそんな反応を見ていたら照れくさくなってきた。


「まぁ、そういうことだから……」


「え?」


「……これからもよろしくね、って言ってるのっ!」


 私は玲音と同じように教室を出る。

 昼休みだからこれ以上教室に残っている理由はなく、これも玲音と同じで〝ぼっち〟の私は食堂に向かった。




 数年前、私の両親は交通事故で他界した。

 その時私は学校にいて、その機会を伺った両親が私の誕生日プレゼントを買いに行った帰りだったらしい。


 原因はお父さんの運転ミス。


 両親だけでなく、原付バイクを一台巻き込んだとても大きな事故だった。原付バイクには若い男性が乗っていて、その人も亡くなったと風の噂で聞いことがある。


 その日以来、私は人殺しの娘として生きてきた。


 私が殺したわけでもないのに、もうこの世にいない人たちのせいで苦しめられるのは理不尽だなと思った。けれど、そんな小さな叫びを聞いてくれる人はどこにもいなかった。ただ、幼馴染みの玲音だけは私の側にいてくれた。

 友達が多かった玲音は私をよく仲間に入れてくれたけれど、その友達からの視線に耐えられなくて結局それは続かなかった。いつしか玲音は一人で私に話しかけてきて。友達が多かったのに、その中の何人かを犠牲にしてしまって。そうして今、私も彼も一人になった。


 そんな中に突然現れた佐久間は、人殺しの娘から見ても――多分、中途半端な不良から見ても異様な存在だった。


「優しくされたら好きになっちゃうよ……」


 私は、私の過去を許してくれそうな佐久間に密かに想いを寄せ始めている。

 惚れやすい体質なのかもしれない。けれど、もう二度と私を好きになってくれる人は現れないのかもしれない。そう思ったら絶対に離したくない。そう思った。





 屋上に向かうと、吉岡がフェンスに寄りかかっていた。青空から移した視線の先にいた俺と目が合って、吉岡は「あっ!」と大声を出す。


「おい佐久間! お前、どういうことか俺にちゃんと説明しろ!」


「……うるせぇな」


 距離を取ろうとしても、吉岡の方から近づいてきた。吉岡は前から距離感がおかしい奴で、多分わざとウザがられようとしているんだと思う。


「せっかく二人きりにさせてやったのに、なんで俺がそん中に入っていなきゃいけねーんだよ! 今さらやっぱ無理とか言うんじゃねーだろーなぁ?!」


「確かに無理だ。あんな奴とは一秒でも長く一緒にいたくねぇ」


「ふざけんなよ! 俺、『偏見止めろ』ってあんだけ言ったよな?! 『葵の両親は許せなくっても仕方ねぇけど、葵はいい奴だから好きになれなくても許せ』って何度も言ったよな?!」


「……言ったな。耳にタコができるくらいには」


 わざとらしくため息をついた。


 浅倉葵を脳内で思い浮かべることは簡単だ。恥ずかしそうに、『まぁ、そういうことだから…………これからもよろしくね、って言ってるのっ!』って言っていたのが記憶に新しい。

 そんな彼女が俺の兄貴の仇の娘だったと知ったのは、入学式の時だった。だから、浅倉にあんな返事をしたのはあながち間違ってはいない。


「……そんなに葵が嫌いなのかよ、お前」


「嫌いだ。向こうは俺に好かれているって勘違いしてるけどな」


 吉岡のこともその頃から知ってはいたが、親しくなったのは吉岡が〝遅れた高校デビュー〟をしてからだった。

 前の吉岡は俺からしたら異様に話しかけづらく、個人的に好きなのは今の吉岡の方だと思う。


「……そこまでして、葵に復讐したいのかよ」


 吉岡の言葉で、改めて浅倉に接触した理由を思い出した。さっきまで思い出していた浅倉のことはなかったことにして


「……あぁ」


 機械的に、肯定する。


「先に言っとくけどな、俺はそんなことぜってーにさせねぇから」


「じゃあなんで、俺と浅倉をマジでくっつけようとしてんだよ」


 睨む吉岡に俺は尋ねた。

 浅倉とつき合って、そこで何かしらの裏切り行為を俺がすれば浅倉をちゃんと傷つけることができると無計画に思っていた。それは吉岡にも聞かせていた話で、吉岡はそれを承知の上で俺が浅倉に近づくところを黙って見ていた。


「お前らだからだよ。俺は葵の幼馴染みだし、佐久間の親友だって思ってる。だから、いい加減お前らには笑っててほしいんだよ。そう思ってちゃ悪いか、バーカ」


「…………」


 答えられなかった。ほんの少し意外だった。

 吉岡が俺たちのことをそこまで深く考えていたことが。


「……俺だって別に、好きでこんなこと……」


 言いかけて、慌てて口をつぐむ。

 俺は吉岡に何を言いかけたんだ。……こんなのは、俺が望んでいることじゃない。


「とにかく、吉岡が何を言おうと関係ねぇから」


「じゅーぶん関係あるっての。それに佐久間、ほっといたら葵の両親殺すかもだし」


「……はぁ? お前の目に俺はどう映ってんだよ。そんなことしたら、本当に兄貴に顔見せできなくなる。んなことは絶対にやらねぇよ」


「下手したらぶん殴るかもだし」


 刹那、一瞬だけ拳がぞわっと何かに取り憑かれた――ような気がした。視線をさ迷わせ、それが本心だと思って「それはあるかもな」と正直に答える。


「けどそれ、無理だから」


「吉岡が止めるからか?」


 止められて止まれるものならば、浅倉にはきっと告白しなかった。俺にほんの少しの勇気があったら、また別の告白をすることができたと思う。

 俺は唇を噛み締めて、肩を震わせ


「葵の両親はお前の兄貴と一緒に死んだんだよ」


 沸き上がっていた吉岡への怒りが、その一言で嘘みたいに消え去った。同時に何を告げられたのかがわからなかった。頭が少し混乱している。けれど、尋ねなければ何もわからない。


「……なんだそれ、本気で言ってるのか?」


「俺はずっと本気で言ってるし、マジだよ」


「なんで、もっと早くにそれを言わねぇんだよ」


「言わずに佐久間が葵のことを許せたらって思ってただけだ。言ったら佐久間、本当は優しいんだから壊れるかもだろ?」


 吉岡が茶髪を掻き乱した。その茶髪の隙間から、いくつかのピアスが覗いている。

 本人曰く、一度親しかった人間全員から嫌われてみたかったらしい。嫌われて、孤独になる人間の気持ちを知りたかったらしい。


 本当に優しいのは、吉岡の方だ。


 そんな不器用な方法で、他人の痛みを理解しようとした吉岡だった。


「…………俺は別に優しくなんかねぇよ」


「でも、葵に復讐しようとはもう思えねぇだろ?」


「…………」


「『大きな罪は未来永劫継承され、小さな罪は自分自身を傷つける』」


 一瞬、吉岡が何を言ったのか理解できなかった。


「俺のこれも」


 吉岡は、自分の茶髪とピアスを指差す。


「佐久間の復讐も、小さな罪だ。けど、葵の罪だけは継承された罪だと思う」


「…………お前は一体何が言いたいんだよ」


「それは自分で考えろよ」


 時間にもそう言われたかのように、チャイムが鳴った。それ以上何も言えなくて、俺は渋々足を引く。


「行くぞ」


「佐久間だけ行けばいいだろー」


「…………」


 何故その言葉だけは本気で言えないのだろう。午後の授業を無理してサボるらしい吉岡を置いて、俺は階段を下りる。すると、階段を駆け上がって行く誰かの足音を聞いた。


「あっ、佐久間! こんなとこにいたんだ!」


「ッ! あさ……葵」


 浅倉は、俺に会った瞬間今まで一度も見たことがないくらいのいい笑顔を見せた。と言っても、そこら辺にいる女子ならばいつでも見られる程度の笑顔だ。

 入学式のあの日から今までずっと見てきたからか、浅倉が笑わないのは嫌というほどよく知っている。なのになんで、俺の前で笑うのか。


「授業遅れるよ、行こう!」


 そう言って、浅倉はぱっと俺の手を取って教室へと駆け出した。

 今までずっと、吉岡に対しても冷たい態度を取っているキャラクターだったからか――俺の前だけで見せる明るいキャラクターのギャップに驚いて心臓が跳ねる。


 吉岡の言う通り、もう浅倉への理不尽な憎しみはなく。

 行き場を失った理由なき怒りが俺を壊そうとしていた。





 吉岡のせいで、今日の午後は授業どころではなかった。

 整理をしなくてはいけないことが多すぎて頭痛がする。五時間目をなんとか乗り気って、六時間目が始まる直前になって保健室へと駆け込んだ。


 誰もいない保健室のベッドに横になって、ゆっくりと腕で顔を隠す。視界を滲ませたそれを何度も何度も拭っても、終わりはまったく見えなかった。


 しばらくして、カタッという物音を聞いたような気がして目が覚めた。何故か、すぐ近くにはずっと見てきた奴の気配がする。

 狸寝入りをしていると、浅倉が俺の頭を静かに撫でた。浅倉の細い指先が髪の一本一本を丁寧に撫でて眠気を誘う。


「……いたいのいたいの、飛んでいけー……」


 お前一体いくつだよ。ていうか頭痛でそれやる奴に初めて会ったわ。

 浅倉はしばらくそうしていたが、何故か不思議と嫌ではなかった。……むしろ、驚くほどに落ち着いてしまって安堵する。


 浅倉のせいでここまで悩んでいるはずなのに、浅倉のおかげで落ち着くのは少し癪で。


「……こうして見ると、しんってちょっと可愛いかも」


 名前呼びの上に、可愛いとまで言われた俺は目を閉じたまま浅倉の手首をしっかりと捉えた。


「ッ!? さ、佐久間起きてたの!? いいいい一体いつから!?」


「葵が保健室に入ってきた時から」


「そ、それってつまり、最初から……?!」


 目を開けると、顔を真っ赤にさせた浅倉がいた。耳まで真っ赤にさせて、瞳を若干潤ませて。横たわる俺をそんな表情で見下ろしているからか、少しエロく見える。


「……お前って、俺のこと好きなの?」


 今思い出しただけでも死にたくなるような告白を、頭の片隅に押し込んで。俺は思わず素で尋ねた。


「な、ななな?!」


「ちゃんと答えて」


 と言っても、この反応を見ていたら嫌というほどにわかってしまう。急に女の子のような表情であわあわと手を動かす浅倉の想いは、きっと勘違いなんかじゃない。


 俺が男で浅倉が女だったから、恋愛関係で裏切ったらちょっとは自分の中の何かがすっきりするんじゃないかと思っていた。


 恋愛関係の裏切りは、余程のことじゃない限り犯罪じゃない。それに、浅倉のことをきっと深く傷つけることができる。

 だから、入学式の時からずっと見てきた浅倉とどうしてもつき合わなくちゃいけなくて。妄想なんかじゃなくて行動に移して、告白して。断られそうになったから、〝お試し〟だとも言ってダメ押しして。


「……好きだよ。もう、嫌になるくらいに大好き」


 恥ずかしそうに、何故か涙を流す浅倉を惚れさせることに成功した。

 人間、やればできるのかと他人事のように一瞬思う。俺は、浅倉に告白する前から浅倉は吉岡のことが好きだと思っていた。だから、心の底では失敗すると思っていた。……失敗すればいいのにとも、思っていた。


「さ、佐久間は私のこと……」


 じっと俺を見下ろす浅倉は、俺にも同じことを言ってほしそうな顔をしていた。

 ここで俺が自分の思惑をすべて述べて、実は好きじゃありませんでしたと言えば浅倉は傷つくのだろうか。この方法で浅倉のことを裏切れば、俺の中にある怒りはすぐに収まるのだろうか。……答えは、否だ。


「好きに決まってんだろ、バカ」


 気づけば本当に惚れていた。本気で浅倉のことが好きになっていた。

 入学式の日に浅倉葵のことを知って、なのにどこか被害者面をしている浅倉葵にイライラして、上手く笑えない俺よりも笑えない浅倉葵に驚いて、わからなさすぎて目で追い続けた浅倉葵は――俺よりも、吉岡よりも、優しかった。


 混乱した俺の前に現れた吉岡にすべてを打ち明けて、そして自分の本当の気持ちを無視して嘘の告白してしまった。

 俺にすべてを打ち明けた吉岡の話で見えなかったものが見えた時、心の中で整理をしたくてここに来て――今度は本気の告白をしてしまった。


「すごいよな、葵って」


 言葉が漏れる。葵はぶんぶんと首を横に振って否定した。


「すごいのは慎だよ。私を宣言通り惚れさせたんだもん」


 葵が言うほど、俺は葵に何かをしたわけではない。多分全部葵の勘違いで、俺はまだ葵のことをきちんと愛してはいない。

 そう思ったら自然と体が動いていた。葵を引き寄せて抱き締めて、小さな背中に手を当てて、恐る恐る肩に自分の顔を埋める。


「……ッ!」


 葵は驚いていたが、しばらくすると強ばった体をゆっくりと緩めた。


 言葉はさっき、死ぬほど恥ずかしくなるくらいに言った。たった一回だけだったが、あれが今の俺の精一杯だった。

 だから代わりに抱き締める。これはこれで恥ずかしかったが、それは葵も同じだろうから構わない。


『大きな罪は未来永劫継承され、小さな罪は自分自身を傷つける』


 今ならば、吉岡の言った言葉の意味がよくわかった。


 ……なぁ、もういいだろ?

 ……笑っても、いいんだよな?


 誰の為にその言葉を向けたのか。そう尋ねられたら上手く答えられる自信がないが、何故だか不意にそう思った。……それはきっと、俺の本心だった。


「なぁ、なんで保健室に来たんだ?」


「え? 慎が具合悪そうだったから……って、大丈夫なの?! もう痛くない?」


 本気で俺を心配する葵の表情が兄貴に似ていて、すぐに似ていないことに気がつく。似ていたのは、葵が兄貴と同じくらい俺のことを心配しているその心だった。


「もう大丈夫。元からそんなに悪くなかったから」


「ほんと? 良かったぁ……」


 本気で安心したように笑う葵は、やっぱり俺や吉岡よりも絶対に優しい。誰よりも優しくて、今まで葵のことを傷つけたがっていた自分のことが嫌いになる。


「……俺のこと心配して授業をサボったなんて、バカだな葵は」


「だ、だって、初めて好きになった人だから……心配で」


 そんなことさえ予想外で、目玉をひん剥くように目を見開いた俺を葵は怒ったように見下ろした。


「ちょっと、なんでそんなに意外そうなの」


「え? い、意外だから」


「あとなんでちょっと笑ってるの……!」


 あまりのことに笑えてきてしまった俺のことを見透かしたのか、ぽこぽこと殴り始めた葵。だが、何一つとして痛くはなかった。それどころかそんな行為でさえ優しくて、俺はまた笑ってしまう。


「ちょっ、ちょお……! だからなんで笑うのってば!」


「ごめん、いや、ほんとにごめん」


 そんな葵が俺は好きだ。こんなに他人に優しくなれる、葵の心の美しさが愛おしい。


「ほんとにもう大丈夫だから」


 そんな彼女をサボらせてしまったことに罪悪感を抱いて、もっと他に抱くべき罪悪感があることに気づいて俺は正気を取り戻す。

 だが、このことは俺が責任を持って墓場にまで持っていこう。知ってしまった葵が悲しんでしまう表情を、俺は絶対に見たくないから。兄貴もきっと、その方が喜ぶだろうから。


「慎……?」


「大丈夫だけど、もう少しだけここにいて」


「え?」


「俺と一緒に授業をサボってさぁ」


 そうして一緒に、お互いの気持ちが本物になったこの時の空気をめいいっぱいに味わいたい。だから、まだ――うん、もう少しだけ。葵と二人でこうしていたい。

 俺は葵を抱き締める手を強めた。「苦しい」って葵が言わない程度に強く、葵の匂いを嗅いで、このひとときを堪能する。


「し、慎……なんか急に大胆になってない? すっごく恥ずかしいんだけど」


「じゃあ離す?」


「離さなくていいけど……!」


 そう言って葵は慌てて俺を抱き締め返した。必死になって、離したくないって言いたそうにしていて、ずっと一人で過ごしていた彼女の孤独を俺が埋めたくて。俺たちは、目を合わせて笑い合った。





 翌朝通学路に立っていると、遠くの方に葵がいるのが見えた。葵の方も俺を見つけて、小走りに近づいてくる。


「おはよう、葵」


「おはよう、慎」


 吉岡はいなかった。そのことが気になって尋ねると、「ヤダの一点張り。どうしても私たちを二人っきりにさせたいみたい」と答えられる。でも、「明日から連れてくる」と昨日言っていた割には今日の葵は嬉しそうで。

 俺も、自分の本音に気づいてしまった今吉岡がいないと困るわけではなかった。


「でも、あいつには一言言ってやりたいよな」


「言うって何を? 玲音が慎に何かしたの?」


「あいつが俺たちを引き合わせてくれたんだよ。だから、礼くらい言わなきゃなと思って」


「えっ、そうなの?」


 俺たちが裏で繋がっていたこと、やっぱり葵は知らなかったか。


「どうやって? 玲音が慎に何か言ったの?」


「いや。俺が吉岡に葵のことを聞いたんだよ」


 そう言うと、葵は顔を真っ赤にさせた。相変わらず耳まで真っ赤にさせていて、葵は重度の赤面症なんだと思う。


「あ、噂をすれば」


 俺たちを見守れるギリギリの位置にある電柱の裏から、吉岡が顔を覗かせていた。俺に気づかれて引っ込んだが、そんな吉岡に気づいた葵に手を引かれて俺も走る。


「玲音ー! そんなとこで何してんの! 一緒に行くよー!」


「うわっ、お前らなんでこっちに来るんだよ! 二人で行けよ!」


「会っちゃったんだからいいじゃん。ね? 慎」


「そうだぞ吉岡。今日は観念しろ」


「なんでお前もノリノリなの?!」




 俺と葵が思わず笑うと、吉岡も笑う。そんな日が来るなんて思いもしなかった。笑ってもいいのだと許された気がして、もう一度笑った。

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