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その八 トレド コンスエグラの風車見物

十九日目 五月二十七日(木曜日)

 朝食を食べてから、ホテルをチェックアウトした。

 タクシーを呼んでもらい、RENFEのコルドバ駅に向かった。

 コルドバ駅のプラットホームは地下にあるが、暗さは感じなかった。

 光がよく入る構造となっており、広くて明るいという印象を受けた。

 少し驚いたのは、列車に乗る前に手荷物検査がなされたことであった。

 「手荷物検査はなにも飛行機ばかりじゃないんですねえ」

 香織が少し感心したような口ぶりで言った。

 「テロ防止のためじゃないですか。ヨーロッパも結構物騒なんですねえ」

 「でも、このような新幹線に乗るのは初めてですから、何だかわくわくします」

 「全車指定席ですから、混み合うということはありません。優雅な列車の旅を味わってもらうという古き良き伝統なんでしょうか。僕なんか、古い人間ですから、ヨーロッパの列車というと、どうしてもオリエント急行を連想してしまいます。何泊もかけて旅をする、勿論、運賃だってバカ高く、庶民には高嶺の花だった頃の列車の旅を」

 「アガサ・クリスティの世界ですわねえ」

 「そうです。だって、この列車だって、ひょっとすると、卵型の頭をしたエルキュール・ポアロが乗っているかも知れませんよ。ほら、あの席あたりに、窓際のあの席です」

 二人は少し興奮しながら、軽口を楽しんだ。

 九時二十九分発のAVEと呼ばれる新幹線でマドリッドに向かった。

 シエラ・モレーナ山脈にさしかかり、トンネルがいくつも続いた。

 ごつごつとした岩が剥き出しになっている山肌に、しがみつくように立っているオリーブの木を見た。

 やがて、古城が聳える丘と白い家々が建ち並ぶ町が見えてきた。

 写真を撮れば、そのまま額に飾れる風景があまりにも多過ぎる、と三池は思った。

 選ぶのは不可能だ、とも思った。

 ところどころに、紅い花が群生していた。

 赤い絨毯のようだ、と三池は思った。

 初夏には、ヒマワリ畑が旅行者の眼を楽しませると云われているが、まだ、ヒマワリには早い時期だったのか、と三池は少し残念に思っていたが、この紅い花の絨毯は意外であり、三池と香織の眼を十分楽しませた。

 そして、赤茶けた平原に葡萄畑が点在し、時折、羊の群れを連れて歩く羊飼いの姿も見掛けるようになってきた。

 この荒涼とした、この地こそ、ドン・キホーテがロシナンテに跨り、驢馬に跨ったサンチョ・パンサを引き連れて威風堂々と冒険を求めて武者修行の旅をした、ラ・マンチャ。

 三池の目は、次第に潤んできた。

 どうしようもなかった。

 俺はどんなにこの地に憧れてきたことか。

 ふと、自分を見詰めている香織に気付いた。

 何か、言うのかな、と三池は思った。

 しかし、香織は言葉を発せず、じっと三池を見詰めたままだった。

 列車は十一時十五分定刻きっかりにマドリッドのアトーチャ駅に着いた。

 「五分ほど遅れると、全額払い戻しになるという話を聞いたことがあります。AVEにプライドを持っているんですね。そのプライドを賭けて、定刻より少し早めに到着するのだそうです。今日はまあ、定刻でしたが。このAVEができるまで、スペインの国鉄は遅れるし、遅いという悪評ばっかりだったらしいです。AVEができて、名誉挽回とばかり、気合いが入っているんでしょう。その意気や良し、ですねえ」

 コルドバからマドリッドまで、一時間四十五分の旅だった。

 「アトーチャ駅は二つの駅から構成されている複合駅で、在来線が走るアトーチャ・セルカニアス駅と、この新幹線といった高速列車が走るプエルタ・デ・アトーチャ駅とそれぞれ完全に独立した駅となっています。切符売り場も、駅長さんもそれぞれ別という話ですよ」

 三池がスーツケースを車内の荷物置場から出しながら、香織に言った。

 プエルタ・デ・アトーチャ駅は駅舎全体が熱帯植物園となっており、車内から降りた時、一瞬蒸し暑さを感じる、と云われています、と三池は付け加えた。

 プエルタ・デ・アトーチャ駅から地下鉄のアトーチャ・レンフェ駅に出て、メトロブスと呼ばれる十回乗車の回数券を買って、地下鉄・一号線のバルデカルロス方面の電車に乗り、パシフィコ駅で地下鉄・六号線のメンデス・アルバロ方面循環の電車に乗り換えて、プラサ・エリプティカ駅で降りた。

 地下鉄は掏りが多く、物騒だと言う話は聞いていたが、人が多い昼間ということでそれほど危険な感じは無かった。

 地下鉄の駅は地下三階にあり、地下一階にあるエリプティカ広場・バス・ターミナルに出て、トレド行きのバスの切符を買った。

 バスはコンティネンタル・アウト社のバスであるが、系列としては二人がバルセロナからコルドバまで利用したALSA社の系列会社のバスである。

 それに乗れば、一時間半ほどでトレドに着く。

 十五分ほど待って、バスに乗り込んだ。

 マドリッドからトレドまでの道はカスティーリャ、ラ・マンチャの乾いて荒涼とした野原を走る道であった。

 スペインは日本の一.三倍という面積を持った国であるが、地域的には多様性に富む国である。

 カタルーニャ、バレンシア、アンダルシアという風土と、このカスティーリャ、ラ・マンチャという風土ではあまりに違い過ぎる。

 ドン・キホーテに、アンダルシアのあっけらかんとした陽気な明るさは似合わない。

 乾ききり荒涼とした苛烈な風土こそ、この愁い顔の遍歴の騎士には似合うというものである。

 ラ・マンチャの荒れ果てた土地の中で、騎士道小説に惑溺した挙句、自分こそ世の中の不正を正すべく旅に出る諸国遍歴の騎士であると思い込み、武者修行の冒険の旅に出掛けて行き、行く先々で無残な挫折を繰り返し、人々の嘲笑を受け続ける者の物語を到底単なる滑稽小説とは読めない、と三池は車窓の侘びしい風景を見ながら思った。

 もし、生まれ変われるものならば、今度はもっと世の中と関わり合いを持つ人間に生まれたい、とも思った。

 少し、思い入れ過ぎ、かと三池は苦笑いした。

 何か、おかしいことでも、と三池の顔に浮かんだ微かな笑いに気付いた香織が訊ねた。

 いや、この地の果てのように荒れ果てた大地を見ていたら、ふと、ドン・キホーテの物語が頭に浮かびましてね、思わず笑ってしまった次第です、と三池は答えた。

 トレドのバス・ターミナルには午後二時頃に着いた。

 バス・ターミナルの建物は、古都にふさわしく、古色蒼然とした褐色を帯びた古びた建物であると思いきや、結構新しく近代的な建物であった。

 トレドというイメージにふさわしくない建物だ、と三池はバスから降りて建物を眺めながら、そう思った。

 明日のラ・マンチャの風車見物に備え、SAMARというバス会社の切符売場の前に立ち、コンスエグラまでの往復切符を二枚買った。

 明日はここから、コンスエグラに向かう九時十五分のバスに乗ることとした。

 ホテルまでは一キロほどの距離であったが、列車、地下鉄、バスを乗り継ぐ長旅で結構疲れていたので、タクシーを利用してホテルに向かった。

 ホテルはプエルタ・デル・ソル(太陽の門)の近くにあった。

 遠くに、アルカサルが結構大きく見えていた。

 随分と大きなアルカサルなんだろう、と三池は思った。

 ホテルにチェックインした後で、市内見物に出掛けた。

 画家エル・グレコが愛した街として有名なこのトレドにはスペイン・カトリックの総本山として位置付けられているカテドラルがある。

 ホテルから貰った観光地図を片手に、サンタ・クルス美術館を駆け足で見学し、アルカサル、カテドラル、エル・グレコの家、トランシト教会、サント・トメ教会、サン・マルティン橋、サン・フアン・デ・ロス・レイエス教会、サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会といった観光名所を外観だけ見物してホテルに戻った。

 途中、カテドラル近くの観光案内所で日本語版のトレドの案内地図を貰った。

 結構歩いた感じがして、疲れたので、ホテルで少し休息した。

 部屋に入るなり、三池は椅子にうずくまるように腰を下ろしたが、香織はさほど疲れているようには見えなかった。

 二十歳も違うということは、こんなものなのか、と三池は思い、何だかがっかりした。

 三池が部屋で休んでいる間、香織はホテルのロビーに行き、片言のスペイン語で、近くにコイン・ランドリーはあるかとか、市場はあるかとか、いろいろと情報を聞いてきた。

 スペイン語の発音は日本人には簡単で、スペイン人にも私が何を言おうとしているのか、結構理解してもらえるものだ、と香織は嬉しそうに話していた。

 そうです、言葉というものは、相手が外国人であっても、聞いてやろうとする雅量というか、聞く耳さえあれば、通じるものなんです、その反面、聞く耳を持たない人には同じ日本人同士でも全然心に響かず、通じないものですよ、と三池も笑いながら言った。

 ほんと、聞く耳を持たない人には何を言っても通じませんものねえ、と香織も何か思い当たることがあったらしく、神妙な顔で頷いた。

 夕食はホテル近くにある有名なレストラン、ロペス・デ・トレドの二階で食べた。

 観光案内書通り、なかなか、豪華な感じがするレストランだった。

 満腹となってホテルに戻り、シャワーを浴びていたら急に睡魔に襲われ、急いでベッドに飛び込み、三池は久しぶりに爆睡してしまった。


二十日目 五月二十八日(金曜日)

 今日は、ラ・マンチャ地方のコンスエグラに行き、風車を見物することとしていた。

 予報では雷雨に見舞われるとあったが、予想に反して、空は綺麗に晴れ渡っていた。

 それこそ、雲ひとつ無かった。

三池は心がうきうきとするのを感じていた。

 ホテルから歩いてバス・ターミナルまで行き、カフェテリアで朝食を食べながら、コンスエグラに向かうSAMAR社のバスを待った。

 九時十五分にバスは出発して、十時半にはコンスエグラのバス停に着いていた。

 少し、雲行きは怪しくなっていた。

 コンスエグラまでの道は三池の期待通り、ドン・キホーテとサンチョ・パンサが通りそうな道だった。

 人影もほとんど無く、いくつか停留所はあったものの、バスは小気味よくそれらの停留所を素通りして疾走して行った。

 途中、痩せた大地にしがみつくように根付いている葡萄の畑を見た。

 コンスエグラのバス停に降り立った二人は風車の丘に向かって歩き出した。

 風車はすぐそこに見えていた。

 コンビニのようなスーパーがあったので、そこで、飲みものとかサンドイッチを昼食用として買い込んだ。

 ラ・マンチャ地方名物とされる羊乳チーズのマンチェゴ・チーズもあったので、ひとかけら切ってもらって買った。

 「風車と言えば、何と言っても、ドン・キホーテです」

 三池は歩きながら、香織に言った。

 「この旅行に来る前に、ドン・キホーテを初めて完読しました」

 三池は笑って言った。

 「今まで、何回かトライしてきたのですが、いつも前篇の途中あたりで挫折して、後篇まで辿りつけなかったのです」

 退職して、この半年間、辞書を片手にスペイン語原書にも取り組んでいたことは言わなかった。

 言ってどうなるものでも無かったし、言えば、感心されることも無く、何だか、暇ですねえ、と笑われそうな気がしたからである。

 今のスペイン語とかなり文法が違い、三池が持っている辞書には無い言葉も結構あり、原書読破はあと数か月はかかりそうだった。

 何と言っても、四百年も前に発刊された小説なのだ。

 日本語だって、四百年も前の文章はなかなか読めない。

 やがて、古い城を挟んで、十一の風車が建ち並ぶ丘に着いた。

 紅い花が咲き誇っていた。

 新幹線の車窓から見た紅い花の正体が判った。

 スペイン語ではアマポーラ、英語ではポピー、日本ではひなげし、別名、虞美人草とも呼ばれる花であった。

 紅い花を前にして、香織も気付いたらしく、三池に向って微笑んだ。

 「スペイン語では、アマポーラと呼びます。メキシコでは、女の子に結構多い名前ですよ」

 「アマポーラ。優雅な響きを持つ名前ですね。とっても、可憐で綺麗な花」

 三池は風車に目を向けながら、香織に言った。

 「これらの風車には全て名前がついているという話です」

 三池は言いながら、前面に広がる空、赤い大地、白い風車を前にして、自然と目が潤むのを感じた。

 漸く、憧れのラ・マンチャの風車の丘に来たのだ。

 この風景を観るために、俺はこのスペインに来たんだという思いで胸が締め付けられた。

 泣いてもいいじゃないか、と思った。

 ふと、自分を見詰めている香織の視線を感じた。

 香織は優しく微笑んでいた。

 立って周囲を見ている二人に、どこからか、声がかかった。

 見渡すと、風車小屋の一つが売店になっており、その売店のおじさんが片言の日本語を操って二人に声をかけていた。

 人懐っこいおじさんだった。

 結構、日本語を喋る。

 どこで、日本語を学んだか、三池は訊いてみた。

 ここへ日本人観光客を案内してくるガイドから、少しずつ勉強したと言っていた。

 何とは無しに、高いとは思ったが、風車の絵葉書を買わされてしまった。

 「どうも、あのおじさん、日本人相手にいい商売をしていますね」

 三池は風車小屋売店を出て、城の方に歩きながら、香織に言った。

 全世界、日本人が行く観光地はそうらしいですよ、日本人はつい買ってしまうんです、と香織は笑いながら言った。

 「そうそう、ここは葡萄とサフランの産地だそうです。セントロ、街の中心地のスーパーあたりで、サフランが売っていれば買いましょうか。結構いい土産になると思いますよ。第一、軽くていい」

 「そうですね。サフランって、日本ではかなり高価な食材ですものねえ」

 二人は丘の上で座り心地の良さそうな石を見つけて腰を下ろし、白い風車を見ながら、先ほどスーパーで買ったサンドイッチを食べた。

 至福の時ですね、と三池は空を見上げながら言った。

 しかし、空は一刻一刻と暗くなってきていた。

 やはり、予報通り、雷雨になるかも知れません、そろそろ帰りましょう、と三池は香織を促した。

 風車見物を終えて、コンスエグラのバス停まで戻って来たが、バスの時間までにはかなりの余裕があったので、セントロに行ってどこかの店に入り時間を潰しませんか、という話になった。

 行ってみたら、バルがあったので、二人で入り、トルティーリャと呼ばれるジャガイモ入りのオムレツを食べながら、ビールを飲んで時間を潰した。

 「スペインでは、このポテト入りのオムレツをトルティーリャと言いますが、メキシコではタコス、ご存じですよね、あのタコスの皮をトルティーリャ、トルティージャと言うんですよ」

 「あら、そうなんですか。私、タコス、好きなんですよ」

 「香織さん、日本ではタコスは堅いパリパリの皮のものを食べていましたか? それとも、柔らかい皮のものを食べていましたか?」

 「そう言えば、お店によって違いましたね。堅いパリパリの方が多かったかも」

 「本当は、柔らかい皮のタコスがオーソドックスなんです。皮もとうもろこしの粉から作った皮と小麦粉の皮と二種類ありますが、これもとうもろこしの皮が本物です。ただ、米国人の好みから、とうもろこしならば、堅めのパリパリ皮、柔らかい皮ならば小麦粉の皮と変化しただけなんです。僕は、メキシコでは現地のマヤの女性が鉄板焼きみたいにして焼き上げるとうもろこしの柔らかい皮に具を挟んで食べていました。女性が、粘土状のとうもろこし団子をこのように両手の掌で伸ばして、このくらいの円にしてから、鉄板か陶板の上で焼き上げるんです。温かいトルティージャに牛肉などの肉とレタスなどの野菜を挟み、チレという唐辛子を混ぜ、くるりと丸め、片方を少し折って、チレが零れないようにして食べるんです。チレは辛いので、ビールを飲みながら食べる、この旨さ、くせになります」

 身振り手振りよろしく夢中になって話す三池を見ながら、香織は新しい三池を発見したような気がした。

 その内、雷が鳴り響き、激しく雨が降ってきた。

 二人はバルの窓から雨を眺めながら、雑談に耽っていたが、雨は段々小降りになり、いつしか止み、空はすっかり晴れ上がってきた。

 午後三時二十分のバスに乗って、トレドに戻った。

 トレドには午後四時半頃に着いた。

 ホテルに歩いて戻り、シャワーを浴びて、夕暮れのトレド市内に出掛けた。

 ビサグラ門からソコドベール広場に向かう道沿いにあるラ・アバディアというカフェテリアで少し早めの夕食を摂り、デザートとして、チュロスをチョコレートに漬けて食べながら、昼間のラ・マンチャへの小旅行の話を交わした。

 「どうでしたか、ラ・マンチャの風車は?」

 「大きな羽根と黒の円錐形の屋根、その下の白い円柱の小屋。風車小屋全体が芸術作品を観るような気がしました。ピタッとラ・マンチャの風土にマッチングしているんですから。本当に、コンスエグラまで出掛けて行って良かったと思います。私、三池さんに改めてお礼を言いますわ。いいものを見せて戴いて、本当に感激しましたから」

 「そう言って戴いて、僕も嬉しいですね。僕も念願のラ・マンチャの風車を実際この眼で確認することができ、今はとても幸せな気持ちで一杯です。それに、丘の上で食べたサンドイッチ、それに、ケソ・マンチェーゴも美味しかった。今夜は幸せな気分で眠れます」


二十一日目 五月二十九日(土曜日)

 いつもより、遅く起きた二人は、朝食を摂らずに、市内見物を行なうこととした。

 二日前は外観だけを見るにとどめたカテドラルから始めた。

 チケット売場を探したが、周辺に売場らしいところは見当たらなかった。

 通りかかった人に訊いたら、お土産屋さんを指差した。

 お土産屋さんの店に入り、訊いたら、ここで売っているのよ、という返事が返ってきた。

 チケットを渡しながら、ここでも売っているけど、観光案内所でも販売していると言っていた。

 なるほど、訊いてみなけりゃ判りませんね、と三池は言いながら、買ったチケットを香織に渡した。

 カテドラルでは、黄金、銀、宝石で細工された聖体顕示台が有名である。

 その金の一部は、コロンブスが新大陸から持ち帰った金が使われているとも云われている。

 どこの金だろうと、金に代わりは無いが、三池は何となく不愉快な気持ちになった。

 スペイン人は征服した土地から金でも銀でも容赦なく奪い、収奪した財宝は本国に送った。

 嵩ばる金銀細工品はほとんどが熔かされて、単なる鋳塊・インゴットとされた。

 インカの話は有名だ。

 ピサロに囚われたインカ王は自分が幽閉されているこの部屋に入る分の黄金を与えるから、自分を解放して欲しいと懇願した。

 部屋を満たす黄金が国中から集められた。

黄金は集まったが、スペイン人は約束を守らず、そのインカ王を処刑してしまった。

 その後も問題がある。

 絢爛豪華な細工が施されている見事な黄金細工は全て無残にも坩堝で熔かされ、単なる黄金のインゴットとされてしまったのである。

 熔かされずに残った黄金細工もほんの少しだけ残されている。

 いずれも、博物館に飾られれば、その博物館の目玉になるような逸品ばかりだ。

 それが、単なるインゴットとなって、スペイン本国に船積みされて運ばれた。

 インゴットとなった金を博物館に飾る馬鹿は居ない。

 国宝級の黄金細工芸術品を坩堝に入れて熔かしてしまう、この暴挙は歴史の恥としていつまでも語られ続けるだろう、と三池は黄金祭檀を見ながら暗然たる気持ちになった。

 次いで、サント・トメ教会を訪れた。

 エル・グレコの最高傑作と言われる『オルガス伯爵の埋葬』の絵をじっくりと時間をかけて観ることができた。

 エル・グレコはスペイン人では無く、外国人であった。

 しかし、エル・グレコの国籍は名前で分かる。

 エル・グレコはそのまま、ギリシァ人、という意味だ。

 本名は、ドメニコス・テオトコブーロス、と云う。

 ギリシァ人の名前は外国人にとっては長過ぎるし、発音もしづらい。

 テオトコブーロスという名前も例外では無かった。

 可愛そうに、時の王様から嫌われ宮廷画家になり損ねたこのギリシァ人の画家は、本名では呼ばれず、簡単にエル・グレコと人々から呼ばれた。

 エルという定冠詞は伊達には付いていない。

 エル・グレコ、あのギリシァ人、ギリシァから来たあの男、というようなニュアンスで若干敬意を込めて人々から呼ばれたのであろう。

 その後、ソコドベール広場に戻り、トレド名物のソコトレンという観光ミニバスに乗って、座席からアルカサル、タホ川、エル・グレコの家、カテドラル広場を眺めた。

 ソコトレンの乗車チケットは近くの売店では無く、少し離れた路地の観光案内所で売っていた。

 昼食は、カテドラルの脇にあるカサ・アウレリオというレストランで、トレド名物料理となっている『鶉の赤ワイン煮込み』を食べた。

 このレストランは結構高級レストランで、料理の値段もそれなりに高かった。

 鶉の肉質は鶏肉と似ているが、少し柔らかい感じもした。

 この郷土料理の他に、トレドには有名なお菓子がある。

 マサパン、或いは、マジパンと呼ばれるお菓子だ。

 香織が友達から聞いた話として、トレドに行くんだったら、このお菓子を食べてみなさいよ、と勧められた話をした。

 買って、食べてみたいと三池に言った。

 アーモンドの粉と蜂蜜から作られるこのお菓子は女性の間では結構有名らしい。

 レストランを出て、三池が通りかかった人に訊いてみた。

 すぐ判った。

 支店はソコドベール広場にもあるが、本店はサント・トメ教会の近くにあるらしい。

 早速、歩いて行ってみたら、マサパネス・サント・トメ菓子店という大きな看板が出ていた。

 香織は喜んで、いそいそとその店の中に入って行った。

 三池は普段は甘いものを敬遠していたが、香織から勧められて、買ったものを一つ、食べてみた。

 何のことはない、日本で言えば、黄身しぐれのような和菓子と同じような味ではないか、悪くない、と三池は思った。

 夕食はタクシーでパラドール・デ・トレドに行き、オープンテラスのカフェテリアで夕陽を眺めながら食べた。

 「このパラドールにも本当は泊まりたかったんですが、グラナダ同様、ここも人気がありましてね、アクセスした時は既に遅く、満杯となっていました。インターネット情報によれば、何ヶ月も前に予約しないとすぐ一杯になってしまうようです。それと、大手の旅行会社の方でも押さえてしまうようで、個人で上手に予約するのは至難の業ですね」

 「でも、泊まることはできなくとも、こうして、私たち、グラナダでもここトレドでも、このようにレストランで優雅な食事を楽しむことができています。私、三池さんに感謝していますわ」


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